「大丈夫かなあ。先生に怒られたりしない?」
『ちゅうかあんたこそ平気なん?そないなとこおって』
場所は箱庭学園の図書室内。
普段から学生で賑わっているとはいえないそこで、なまえは教科書とノートを開きながら、机の上に画面を上にして置いてある携帯電話に話しかけていた。
どうやら通話をしているようで、相手は声と喋り方からしてなまえと同学年の鍋島猫美である。
なまえが恐れているのは、『静かにしましょう』と言われる図書室でこうして堂々と通話をしていることが咎められないかということだろう。
いつもなら先生や司書に怒られるのは確実だが、今の状況は"普通"ではない。
何を今さら気にしているのだろう、と鍋島はそこに対しては特に触れず話を続けた。
『せやけどまたなんで、図書室で勉強を?たまには喫茶店やら洒落たところで勉強するのも気分転換になるんちゃう?』
「うん、まあ毎日来るつもりは無かったんだけど…」
『けど?』
「球磨川くんが『図書室で勉強してくれないか』って」
問題の解き方を考えるふりをして、なまえは文具を持ちながら手を顎に添える。
『……球磨川が?』
言葉が一歩遅れたものの、鍋島は怪訝な声音を隠そうとはしなかった。
『それは…なんちゅうか、良くない流れやなあ』
「―――ええ。その通りで御座います」
声は、静かに空間へ落ちる。
なまえは、廊下へと続く扉を見た。
声の主はゆっくりとなまえへ近付き、目の前で足を止める。
『…?誰かそこにおるんか?』
「その声は鍋島様でいらっしゃいますね。私、選挙管理委員会副委員長の長者原融通と申します」
二年十三組長者原融通。自己紹介のとおり、彼は今現在行われている生徒会戦挙を取り仕切る選挙管理委員会の副委員長だ。
嫌な予感は当たったと、電話の向こうで鍋島は眉間に皺を寄せる。
「名字様。お迎えに上がりました。至急、私と共に来てください」
『お迎え?』
「騒いでたの怒られるのかと思った…」
自身の胸元に手をあてるなまえを見下ろす長者原の表情は相変わらず見ることが出来ない。
なまえが言葉を待っていると、長者原は深々と頭を下げた。
何事かとなまえは目を丸くする。
「いえ。いいえ…名字様。申し訳御座いません。それこそが間違いでした。少なくとも戦挙中に、この学園にいるべきでは無かったのです」
それが、選挙管理委員会副委員長の言葉でなく、長者原融通個人の言葉だということを鍋島は察した。
それは"長者原融通"という"異常"を知っていれば有り得ないことだが、今はまだ、鍋島は彼の"異常"を知らない。
『副委員長…って。それがなまえに何の用や?』
一度、鍋島は雲仙と共に戦挙戦を見に学園へ入り込んだことがある。
最初の一戦だけだったが、鍋島は長者原の姿はしっかりと覚えている。
そんな彼が、わざわざ最終戦が始まる数分前に"無関係"のなまえに会いに来る理由。
そんなものは―――1つしかない。
「名字様には、生徒会戦挙最終戦――会長戦に参加して頂きます」
しん、と静寂が訪れる。
そうかもしれないと未来を予想していた鍋島は、見事的中してしまった嫌な予感に必死に口を動かした。
『なんやねんそれ…"会長"ならもう立派なんがおるやろ』
「ええ。もちろん参加されます。ただ、ルールが少し複雑でして。この場で説明している時間はありませんが」
「猫美ちゃん今ひま?」
『は、はあ…?なんで今その質問やねん』
なまえは既に勉強道具を片し、鍋島と通話をしている携帯電話だけを手にしている。
「暇なら応援にきてほしいなって」
『……………………』
言葉もない。
鍋島は何か回避する方法を練ろうと一瞬頭を回転させたが、すぐにやめる。
それが意味を成したことなど、彼女に関しては一度もないのだ。
『……なにか策はあるんやろな?』
「う〜ん。策なんてないよ。考えたこともないし、難しそうだし…」
なまえは椅子から立ち上がりながら、鍋島の質問に首を傾げる。
マイナス十三組の二人に訊かれたときは江迎の登場によって答えを遮られてしまったが、今はそんなこともないだろう。
でも、となまえは言葉を続けた。
「黒神めだかが負けることは、絶対に無いから」
安心してとでも言うように、なまえは静かに電話を切った。