相変わらずなまえは図書室で勉強をしていたが、その場にいるのは1人ではない。
本を静かに読んでいる飛沫と、静かにゲームをしている蝶ヶ崎もまた、立ち入り禁止の図書室に入り浸っていた。

「なあ、」

本を読んでいたはずの飛沫が、なまえへ話しかける。
もしかしたら読んでいるふりだったのかもしれないし、読むことに飽きたのかもしれない。
なまえとはいうと、登校してから1時間以上経つというのに未だ同じページと睨めっこをしている。

「なんでそんなに他人事なんだ?」

「他人事?」

問題に集中していたらしいなまえは、ふぅ、と息を吐きながら顔を上げる。
視線がぶつかった飛沫は、言葉を続けた。

「あたしたちを負かすために生徒会の奴らが戦ってるってのに、ずっと勉強してるからさ」

「まあ、確かに。彼女の言うことは最もです」

クリアしたのか飽きたのか、ゲームをしていたはずの蝶ヶ崎まで会話に参加する。

「確かに戦っているのは生徒会ですが、なまえさん。球磨川さんはあなたに勝とうとしているんですよ。この学園の他の生徒とあなたの立場はまるで違う」

この学園は今、どこかピリピリとした緊張感を孕んでいる。
しかし、この図書室だけは別だった。ここは普段通りの箱庭学園。ただの学生が夏休みを謳歌しているような雰囲気に2人が呑まれそうにならなかったかと問われれば、心の底から頷くことは出来ない。
他人事ではない。球磨川禊は、名字なまえに勝つためにこの学園に来た。かつての彼女のクラスメイトの妨害を乗り越えてまで。

「それとも何か――"策"でもあるんですか?」

それは、2人が球磨川にも問いたいものだった。
球磨川に隠すつもりはないのかもしれない。だとしても、2人は直接球磨川にその質問をすることは憚れた。
球磨川禊はどのように黒神めだかに勝利し、名字なまえに勝利するのか。
または、名字なまえはどのように球磨川禊から逃れるのか。

「策なんてないよ。考えたこともないし、難しそうだし…」

何故か自信無さげに声を段々と小さくしていくなまえ。
利き手に持っていた筆記用具は真っ白なノートの上に置かれる。
でも、となまえは言葉を続けようとした。確信がある目で、心の底から信じているといった風に、2人に言葉を返すつもりだった。
しかし、瞬間。図書室への扉が"開いていた"。

「…………………?」

スライド式のその扉が開いた音はしなかった。
ここにいる誰もが、その扉が開いた瞬間を見ていない。
開きかけた口を閉ざしたなまえがそちらへ視線をやったとき、既に扉は"開いていた"のである。
違う、と異変に最初に気付いたのは蝶ヶ崎。そして、飛沫の順だった。
"入口の前に立っている人物を見ればわかる"。
なまえはその名を知らないが――球磨川は確か「江迎ちゃん」と彼女を呼んでいた、と蝶ヶ崎たちは記憶している。
―――マイナス十三組江迎怒江。
彼女は口端を思いっきり上げながら、虚ろな目で図書室内をじっと見ていた。

「皆さん、こんなところにいらしたんですね」

可愛らしい声。そのフリフリの洋服と大きなリボン。それらだけを見れば、"可愛いものが好きな女の子"とも見れる。
しかし――と、なまえの視線は彼女の手元にいく。
それはあの日、彼らと"再会"したときと変わっていない。
"両方の手で包丁の刃を握り締めている"江迎怒江は、図書室に入ろうとはせず、未だ入口の前に立っている。

「ダメですよ、ここは立ち入り禁止だって委員会の人に言われたじゃないですか」

「…ああ。そうだな」

江迎の注意に、飛沫は素直に頷いた。
しかし、身体は動かない。
この図書室から出る唯一の出入口に江迎が立っているのだ。飛沫は、出来ることならそちらへ近付きたくは無かった。
相性の問題、というのもある。過負荷ではない。むしろ、飛沫と相性の悪い過負荷などそれこそ蝶ヶ崎くらいだ。
江迎と飛沫の過負荷の度合いでもない。ただ、江迎に飛沫の過負荷を使ったところで―――彼女は笑うだけなのだ。
それが飛沫には気味が悪かった。彼女と戦う気もなければ彼女に負けることもないが、自信が妄信していること意外を微塵も気にしない江迎を、どうにかしようとは思わない。

「それに、一緒にいるなんてダメじゃないですか。その人は球磨川さんが倒そうとしてる人なんですよ」

じろり、と江迎の視線がなまえを捉える。

「……昔、会ったことあるよね?」

「さあ?私は覚えていませんよ」

なまえの問いに、江迎は本当にわからないといった風に軽く首を傾げながら答えた。
なまえと江迎は過去に一度だけ、蝶ヶ崎達同様"あの病院"で出会っている。ただ、江迎はなまえの存在を認識しておらず、なまえが江迎に話しかけることはなかった。

「それにしても、」

生温い風が、なまえの頬を撫でる。
夏ということで、室内はかなり暑い。だからこそ図書室は少し寒いくらいに空調が効いているのだが、どうやら扉を開きっぱなしにしていることで廊下の空気がこちらへ流れ込んできたらしい。

扉を溶かしたので風通しがよくなりましたね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ガタン、とその場に膝をついたのは飛沫。
なまえは驚いたように横を向く。

「…なるほど。空気を腐らせました・・・・・・・・・か」

冷静に状況を理解する蝶ヶ崎だが、既にゲームはしまっておりじっと江迎を見下ろしていた。
ス、と江迎の表情から笑顔が消える。

「ふぅん。やっぱり効かないんですね」

それは不慮の事故エンカウンターをもつ蝶ヶ崎というよりも、風下にいながら無事でいるなまえに向けられたものだろう。
巻き添えをくらった飛沫に謝罪するでもなく、江迎は空気を"腐らせること"をやめた。

「皆さんを誑かすような例外アブノーマルに少しお仕置きをしようと思ったんですけど」

江迎は両手の包丁をぐずぐずに溶かしており、既にその原型はない。

「…アタシたちに用があるなら呼べばいいだろ。別にここで"仲良く"してるわけじゃない。作戦会議ってんなら、今からでも行くけど?」

「そうですよ。それに、これは球磨川さんの指示ではないのでは?」

「……へえ」

江迎の顔に、笑みが戻った。
その焦点の合っていない目は飛沫と蝶ヶ崎を交互に見る。

「庇うんですね、その例外アブノーマルを」

「はあ?どうやったらそう聞こえるんだよ。庇ってなんかないぞ」

「いいえ。庇ってますよ。だって私の行動に賛同してくれないじゃないですか。球磨川さんだったらきっと私のことを褒めてくれますし、もしこれが間違った行動だとしてもなかったことにして相変わらず私を見てくれます」

ぐずぐずに溶けていった包丁を見て、なまえは気づく。
江迎が立っているすぐ側の扉も、先ほど江迎が言った通りその手で溶かされたのだろう。
それが荒廃した腐花ラフラフレシアという名の江迎の過負荷マイナスであり物を"溶かす"のではなく"腐らせる"ものだということをなまえは知らないが、江迎に近付かないほうが良いだろうという判断はしていた。
―――しかし、既に遅かった。
江迎怒江は、もう既に、自身の過負荷マイナス成長・・させている。

「名字なまえさん。あなたの例外アブノーマルのおかげで、あなた自身を腐らせることは私には出来ません。でも、それ以外・・・・ならどうでしょうか」

「……どうして私を?」

「わかりませんか?戦挙に参加していなくとも、あなたは球磨川さんの敵。すなわち、私の敵でもあるんです」

ズドン、という物凄い音が少し離れた場所から聞こえた。
なまえだけではない。飛沫も、蝶ヶ崎も驚いたようにそちらを向く。
扉の近く。本来ならばこの図書室の管理者がいる受付が、ごっそりと無くなっていた。

「っ!」

否。無くなっていたのではない。
受付の一番近くにいた蝶ヶ崎が真っ先にその異変に気付く。
受付の床が腐り、机などの重さに耐え切れなくなったそこが抜け、その場のものが下の階に落ちたのだ。
このままでは、この図書室は江迎の過負荷マイナスによって"腐り落ちる"だろう。
"触れていないのに周囲が腐っていく"――飛沫の戦挙戦で何かを掴んだ江迎のマイナス成長の結果である。

「このまま無事に夏休みを過ごせるだなんて本気で思っていましたか?」

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