7月ももう終わるという頃。
既に夏休みに入った箱庭学園は、部活などで賑わっているかと思われたが―――異様に静かである。
三年十三組に所属しているなまえは、特にそのことを気にした様子もなく学園の門をくぐった。
その足は玄関を通り過ぎ、人気の無い職員室を通り過ぎ。
階段を昇り、1階と2階の間にある踊り場で停止した。

「長者原くん」

「おはようございます。名字さま」

2階に続く階段の上に、二年十三組である長者原融通が平然と立っていた。
その表情は逆光でよく見えないが、見えたところで顔の半分を目隠しで覆っており、なにを考えているかなどわからないだろう。
なまえは長者原を見上げたまま、次の言葉を待った。

「生徒会戦挙の一般生徒の見学は、原則禁止となっておりますが」

―――生徒会戦挙。
箱庭学園の前身である黒箱塾時代の塾則第百五十九項に基づき、全校生徒の半数以上の署名を集めて生徒会長にリコールを請求した場合に行われる、現生徒会とリコールした側との決闘。
黒神めだかたち現生徒会が、球磨川禊率いるマイナス十三組に対抗するために打った手だ。
それはこの学園にいる全生徒が知っており、それについての通達も登校していない十三組を含めた全校生徒に行なわれている。
7月25日から8月22日まで行なわれる、1対1の"決闘"。
この戦挙中の負傷や死亡は事故として処理される―――そのルールは決闘をするメンバーでなくとも当てはめられ、そのため一般生徒の見学は原則禁止になっているのだ。
見学する際は自己責任のもと、という風になっている。
そして、この戦挙の管理をしているのは誰であろう、選挙管理委員会副委員長の長者原融通であった。

「今年は夏期講習がないから、自習でもしようかと思って」

「…でしょうね」

溜息の代わりに零したかのような言葉に、なまえは首を傾げる。
長者原は『なまえが自習をする』ということではなく『戦挙の見学に来たのではない』ということに納得していた。

「受験勉強は大変なんだよ」

「受ける大学は決めたのですか?」

「ううん。まだなにも」

昔みたいにアドバイスしてくれる人もいないし、となまえは箱庭学園を自分に勧めた先生をふと思い出す。
それが正解だったのかはわからなかったが、なまえは特に後悔はしていない。

「どこで勉強をなさるつもりですか?やはり教室で?」

「ううん。図書室」

「そうですか。では、原則図書室から出ないようにして下さい。"こちら"も図書室は原則立ち入り禁止ということにしておくので」

「長者原くんってなんだかんだ優しいよね」

「いいえ」

そこで初めて、長者原が口以外を動かした。
その一歩は階段を一段降りるのではなく、一気に跳躍し、なまえの前へと降り立つ。
なまえはその挙動に驚き、一歩後ろへ下がった。
なまえの動揺など気にせず、長者原はまた一歩なまえへ近付く。
無言で近付いてくる長者原に、なまえはその目隠しをじっと見上げながら一歩、また一歩と後ろへ下がった。
とん、と背に冷たい壁の感触。
後ろの逃げ道が無くなったなまえの左側に、長者原の腕が伸ばされる。
壁に手をついた長者原は、そのままじっと目隠しの奥の瞳でなまえを見下ろした。

「これは"特別扱い"です。名字さま」

なまえは動くことが出来ず、今だ驚きの表情のまま長者原を見上げる。

「私の異常性アブノーマルは『公平』。意味はわかりますか?」

「そ、ういうところはいつも通りだね…」

なまえは肯定の意味で苦笑いを零した。
しかし、まだ長者原の手は壁につかれたままであり、もしこのまま逃げようとして、簡単に逃がしてくれる彼ではないだろう。
なまえは大人しく長者原の話を聞くことにした。

「"長者原融通はすべての物事を公平に扱う"。"ただし、名字なまえはその限りではない"」

「っ―――!?」

「私が、名字さまの異常性アブノーマルに気付いてないとでも?」

なまえの身体が一瞬強張る。
黒神まぐろは自身の異常性アブノーマルのせいで解析出来ず、日之影空洞はなまえの異常性アブノーマルを見ないようにしていた。
宗像も高千穂も、鍋島達ですら気付かなかったそれに、まさか目の前の彼が気付いているとは思っていなかったのだろう。
なまえは、長者原から視線を逸らした。

「名字さま」

長者原は優しく、それでいてしっかりと空いた手でなまえの顎を掴み、自身の方を向かせる。
なまえは反射的に長者原の腕を掴んだが、ちょっとやそっとの力では離してくれそうにもない。
目隠しの奥の目と視線が合っているのか、なまえにはわからなかったが、長者原自身はしっかりとその両目でなまえを捉えている。

「私は名字さまを特別扱いしているのです。そうでなければ、剣道場の件も、十三組での忠告もしませんでした」

去年、剣道場に行こうとしていたなまえの前に突然姿を現し、その背中を押したのも。
雲仙冥利が入院した際、なまえも無関係ではないと忠告をしたのも。
全ては、"公平性を欠いた"故の行動であると、長者原はそう言った。
『なまえの異常性アブノーマルを理解している』という言葉は、文字通り―――なまえが"何なのか"を知っている、ということだったのだ。

「戦挙の準備を放棄して今ここにいるのも"そういうこと"です。名字さまに何かあっては"困る"のです」

「……いつからわかって、」

「最初から」

なまえの言葉を遮り、長者原ははっきりと答えを言う。
そこで、なまえがしっかりと自身を見ていることに気付いたのだろう。
長者原は顎に触れていた手を離した。

「確かに、最初雲仙さまとの間に"割って入った"のは名字さまの異常性アブノーマルが原因でしょう。しかし、その後は自分の中に芽生えた感情のまま名字さまと関わりましたので、それだけは覚えておいて下さい」

「……というと?」

なまえは本気でわからない、といった風に長者原へ答えを求める。
長者原の表情は変わらない。

「いえ。いいえ。"これ"は名字さまはわからなくて良いのです。だからあえて名字さまにはわかり辛い表現を使いました」

長者原はそこまで言うと、ス、と身を引く。
一歩後ろへ下がりなまえと距離を取ると、どこからか時計を取り出しそれをじっと見る。

「私はそろそろ行かなくては。名字さま、くれぐれも」

「図書室の外には出ない、だよね?」

「ええ。よくできました」

なまえは長者原が笑ったような気がしたが、相変わらずその表情は固いままだった。

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