水槽学園という名の学園をご存知だろうか。
知らなくても仕方は無い。その学園は、既に"廃校"になっている。
何が原因なのかはわからない―――だが、"誰"が原因なのかは一目瞭然。
"球磨川禊"―――この青年以外に、原因があるだろうか。
彼はこの箱庭学園に転校してくる前、水槽学園に在籍していた。
その前も、その前の前も違う学園に在籍していたが、球磨川は既にそんなことを覚えてはいない。
否。覚えているのかもしれないが、今回に限ってはそのあたりの話は関係が無いので省略しよう。

「球磨川くん」

そう、水槽学園がまだ存在していた頃、彼の名を呼ぶ知らない声があった。
球磨川は女の子の声ということで笑顔で振り返ったが、やはりそれは見知らぬ少女。
しかし此処は水槽学園の廊下。それでいて、少女は水槽学園の制服を着ている。
つまり同じ学園の生徒だ。そんな少女が何の用だろうか、もしかして愛の告白だろうかなどと心を躍らせている球磨川をよそに、少女は淡々と言葉を続ける。

「箱庭学園に行くって聞いたけど、本当?」

「『え?うーん。どうだろう。誰から聞いたの?そんなこと』」
球磨川は少女の質問にとぼけながらも、しっかりと少女を観察していた。
肩まで伸びた黒髪は手入れされているようで綺麗なストレートであるが、その前髪は伸びきっており、それに加えて野暮ったい眼鏡をしているものだから少女の顔は鼻から下しか見えない状態である。
そんなんでこちらがちゃんと見えているのだろうか、と球磨川は少女の顔を覗き込もうとしたが、その前に少女が再び口を開く。

「箱庭学園なんかに行くくらいなら、水槽学園にいてくれていいのに」

「『そう?でも僕、生徒会長やってはいるけどあんまり好かれてはないと思ってるんだ。これでも人の気持ちはわかるんだぜ』」

「私はこの学園で球磨川くんが平和にすごしてくれればそれでいいよ」

「『咲ちゃんみたいなことを言うね』」

そう返した球磨川だったが、須木奈佐木と目の前の少女の言っている意味が根本から違うことはきちんと理解していた。
須木奈佐木は"水槽学園"の平和を。そして目の前の少女は、"球磨川禊"が水槽学園にいることを願っている。

「『……どうして僕にそれほどまでに箱庭学園に行って欲しくないのかな』」

「そんなことは言ってないよ」

「『そうとしか聞こえないけど』」

目の前の少女は知らないかもしれないが、球磨川はこうして水槽学園の生徒会長になるために―――そしてなった後も、この学園にいる様々な"スキル持ち"と遭遇している。
戦いと呼ぶべきなのか球磨川は少し考えたが―――まあつまり、球磨川は目の前の少女に対して警戒をしていないわけではなかった。
それでも、ついて出た言葉はふざけたものである。

「『あ!わかった。君、もしかして僕のファンとか?』」

「……………………」

どうやら違ったらしい。その顔が見えなくとも、冷めた目をしていることはなんとなく球磨川へ伝わった。

「『……というのは冗談で、安心院さんからの伝言かな?』」

少し傷ついた風な球磨川は冗談だと笑い飛ばし、本題に入る。
少女の表情は伺えないが、"安心院"という単語に疑問を持たないところを見ると、球磨川の予想は正解だったようだ。

「……いいえ。これは"あたし"の言葉」

「『へえ……』」

「球磨川禊。あなたがどこへ転校しようが、ここに留まろうがそれは勝手にして。でも、箱庭学園にだけは行かせるわけにはいかないの」

「『ふぅん。誰か友達でもいるのかな』」

「友達なんてものじゃないわ。もう二度と顔も見たくない。でも、あなたには会わせたくないのよ」

「『う〜ん。言っている意味がよくわからないけど、安心してよ。僕は箱庭学園では大人しくしてるつもりだからさ』」

「嘘つき」

そう吐き捨て、少女はかけていた眼鏡を外す。
どうやら伊達眼鏡だったようで、耳にかけられた前髪の向こうから現れた目はしっかりと球磨川を捉えていた。

「『自由であること』『"悪平等"である前に"自分あたし "であること』。あの人は"悪平等あたし"にそう言った。だからこれは"悪平等あの人"の意思であり"悪平等あたし"の意思」

眼鏡を外し、前髪を耳にかけただけだ。
それだけで、確かに雰囲気は変わった。しかし、球磨川には目の前の少女が先ほどまで会話していた少女とは別人に思えて仕方が無かった。
知らない顔。見たことの無い姿。喋ったこともなければ見かけたこともない。
今まで存在を知らなかったし、勿論気にかけたこともなかった。
球磨川はそこで初めて、"そんなことが有り得るだろうか"と冷や汗をかいた。

「『えーっと…君、そういえばなんて名前だっけ』」

「ええ。知らないのも覚えてないのも無理はないわ。安心して。私は"傍観者"としてこの高校にいたのだもの。当然だわ。私の存在や名前を知らないとしても、あなたは悪くない・・・・・・・・

"誰か"のように、少女が武器を取り出すことはない。
しかし何故か球磨川は気圧されていた。
この感じ―――この雰囲気を、球磨川は過去に感じたことがある。
"勝てない"。"彼女なら負けない"。"この少女は最強だ"。

「設定変更」

そう、少女は呟いた。

「あたしのスキルは『夢見勝ちキャラエディット』。世界での自分の"有り方"を設定できる程度のものよ。そして、さっきまでのあたしは"傍観者"だったけれど―――今からあたしは"最強"。つまり、あなたじゃ勝てっこないわ。わかるでしょう?」

自身の手の内を明かしてたとしても問題ないという余裕。
しかしそれが虚構でないことを、球磨川は本能的に悟っていた。
自分はこの"少女"にはどうやったって"勝てない"―――まるで中学のときの"彼女"を前にしているようだと、球磨川の口から笑いが零れる。
それが面白くないのか、球磨川の存在自体が面白くないのか、少女は一度も笑わず球磨川禊に"勝ち"に行った。

「そして、質問の答えが遅れたわね。あたしの名前は奈布二音。覚えなくていいわ。だって忘れたいくらいに負かされる未来が待っているんだもの。"あなたは悪くない"」

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