忘れることはない。去年の、今よりももっと後の時期。
阿久根高貴はただなんとなく、"剣道部が何かされる"と思っただけで、あのときに特別根拠があったわけではない。
ただ、あのタイミングで"何か"が起こるなら剣道部以外は有り得なかったのだ。
そういう考えの下、阿久根高貴は行動した。
先輩である鍋島猫美へ忠告し、二年十三組の教室へ共に行き、風紀委員である呼子笛との戦いを見守った。
先ほどまでの警戒もそうだ。不安を持ったのも、ただの"勘"に近い。今回こそは杞憂に終われば良いのだが―――と考えていた。

しかしそれらは全て、過去のものである。

洗脳された生徒会長が、自身の後輩によって元に戻った感動的な場面で、阿久根高貴は油断した。
これで―――"これでこの物語はハッピーエンドで終われる"と、生徒会長への絶対的な信頼から、阿久根高貴は"彼女"の存在を、その一瞬だけ忘れたのである。

「あれ?真黒くん、久しぶりだね」

そんな―――"そんなこと"を平然と言ってのけた少女に、その場にいたほぼ全員が戦慄する。
既にラスボスを倒せる条件は揃っている。あとはラスボスである都城王土との決着をつけるだけだった。
なのに―――誰がこんなタイミングで新たな人物が登場すると予想しただろう。誰がこんなにも間の悪い、話の腰を根元から折るような登場シーンを想像しただろう。
それでも、彼女は――――三年十三組である名字なまえは、誰の許可もなくそこへ登場する。

「なまえ、ちゃん……」

そう、彼女の名を零したのは―――否、"零せた"のは名を呼ばれた黒神真黒だった。
およそ二年前、物語を退場したはずの彼は、他の誰でも無いなまえに自身の名を呼ばれ、再びその存在を物語へと登場させられる。
何しに来た―――という質問を、真黒は自身の言葉として続けなかった。
返ってくるものが聞くに値する回答ではないことを、彼は知っていたからである。
誰も、何も言わなかった。
どうかこの突然現れた十三組が状況に気付き空気を読み、何事もなかったかのようにここから立ち去ることを誰もが願っていた。
しかし、そんな願いが叶うはずがないことも、もうわかっている。

「めだかちゃん、」

そう、別の少女の名を呼んだのは一年生である人吉善吉だった。
彼はただ少女の名を呼んだのではない。
"助けを求めた"のだ。得体の知れない、自分ではどうにもできない気味の悪さに、善吉は反射的に救いを求めた。
だけれども、そんな善吉を誰も責めることはできない。誰もがそうだった。"自分ではどうにもできない"と、"どうにかできそうな"少女に助けを求める選択肢を、誰もが頭の中で思い浮かべた。
―――少女なら。たった今"ラスボス"の洗脳から解放され、"ラスボス"を倒そうと意気込んでいた"生徒会長"なら"なんとかしてくれる"。
だがそう言って善吉が動かした視線の先では、その少女は未だ"ラスボス"と見合っていた。

「え?」

誰かが言葉をこぼす。
その手は勝利を握りしめるはずで、その目は十三組をとらえているはずだというのに。
少女は―――生徒会長であり黒神真黒の妹である黒神めだかは、"こちら"に背を向けていた。

「な、なん―――、」

何をしている、という言葉を、善吉は紡げなかった。
そんなはずはない。自分が知っている黒神めだかはこんな人間ではないと、人吉善吉は目の前の光景が信じられないとでもいうように動揺していた。
そしてそれに追い打ちをかけるように、黒神めだかは口を開く。

「どうした?善吉。そんなことよりも早くフラスコ計画を廃止にさせに行くぞ」

生徒会委員である彼らは戦慄した。そんな"どうでもいい"と風な言葉を、まさか黒神めだかの口から聞くことになるとは思っていなかったのだろう。
当たり前だ。それが少女だ。そういうことを言うはずがないから、黒神めだかは今ここに存在している。
それは全否定だ。少女としての生き様の、黒神めだかという存在の。
洗脳は解けたはずだ。目の前の少女は誰だ?自分たちが知る"黒神めだか"と呼ぶにはあまりにも。

「都城くんと砂遊びをしに来たんだけど、もしかしてお邪魔だったかな?」

彼女が口を開く。三年十三組であり、この混乱をもたらした張本人。
そう誰に言っているのかわからない問いかけを、誰も答えようとはしなかった。
名を呼ばれたはずの都城王土でさえ、その異常に口を開こうとはしていない。
違う。聞きたいのはそんなものではない。
人吉善吉は息を吸った。先ほどまで息のやり方を忘れていたとでもいうように、必要の無い深呼吸をしそうになりながら。
口を開いて、精一杯の勇気を抱いて。上擦る声で、必死に言葉を紡いだ。

「お前は、一体何なんだ!」

「『なんだよ最近の高校生はそれくらいのことも知らないのか』」

その声に、人吉善吉は戦慄した。必死に搾り出した勇気など、その一瞬で砕け散る。
不気味なほど冷たく、残酷なほどに楽しそうな声音に、ゆっくりと目線を動かすだけで精一杯だった。
しかし、"今度こそ"黒神めだかは勢いよく振り返った―――ような気がしたが、善吉には最早周りのことを気にしている余裕がなかった。
その声は、そんな善吉に追い討ちをかけるかのように喋ることをやめない。

「『彼女の異常アブノーマル は【全削除スキルキャンセル 】。全ての特例スペシャル異常アブノーマル、そして過負荷マイナスまでをも無効化する』」

「っく、…………」

青年を視界に入れた誰かが、その声の主を見ている誰かが、驚きを必死で堪えて"彼"の名前を呼ぼうとする。

「『なーんて。今の嘘信じた馬鹿、どれくらいいる?』」

息を吐くようにこちらを煽ってくる青年。
"彼"はただそこに、無意味に無関係に無価値に―――そして無責任に存在するだけである。

「『やあなまえちゃん、久しぶり。勿論僕のことなんか覚えてないよね?』」

「うん、全然知らないよ初めまして。名字なまえですよろしくね」


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