なまえはその日もいつも通り授業を受けた。
勿論、日之影空洞もである。
彼は既に箱庭学園の"生徒会長"ではなかったが、"生徒会長"だからという理由で今まで出席していたわけではないらしい。
なまえも日之影も、いつも通りだった。
いつものように朝の挨拶をし、お昼ご飯を一緒に食べ、別れの挨拶をして。

「……?あの、剣道部に何か用ですか?」

気が付いたら、なまえは少し離れたところから剣道場の入り口を眺めていた。
ふと声をかけられて、目線だけをそちらへ動かす。
メガネをかけた、糸目の青年。なまえは彼に見覚えは無かった。そして彼もまた、なまえのことを初めて見たようで、その声音は少しだけ警戒が含まれている。

「………ううん。ちょっと通りがかっただけ」

「はあ。そうですか」

青年は首を横に振るなまえを不思議そうに眺めていたが、なまえは青年を再び見ることはなく、剣道場の前から姿を消した。

「日向、そんな所で何してんだ?」

「いえ……なんでもありません。それじゃあ先輩、今日も剣道部の活動を始めましょうか」

そんな彼らの会話を耳に入れることはなく、なまえは目的も無しに学園内にある花壇の横を歩いて行く。
綺麗に元気良く育っているそれらは、きっと誰かが丁寧に世話を焼いているのだろう。
植物の世話をしたことなどないなまえは、立ち止まりはしたが花達よりも地面を見つめ、何も言わずに再び歩き出す。

「……………………」

朝、学園に登校するのと同じように玄関から校舎内へ入った。
外から聞こえてくる運動部の声は、朝練をしているときの声と同じで、まるで自分が登校しているのかと錯覚する。
ぼんやりと階段を上っていると、なまえの目の前には屋上へ繋がる扉が突如現れた。
否。勿論突如そのような扉が現れたわけではない。行ったこともない屋上へ繋がる扉を前にするまで、なまえは何も考えずに階段を上っていたのだ。
なまえは目の前のドアノブへ手を伸ばすこともせずくるりと踵を返すと足を一歩踏み出す。
階段を下り、一年生の教室がある廊下を歩く。
一年十三組の教室の扉を開けてみた。誰も居ない。
教室の中へ一歩踏み入れようとして、やめる。扉を閉め、階段を下る。
そのまま二年生の教室がある階を通り過ぎ、
気が付いたら、なまえは三年十三組の教室の前に戻ってきていた。
扉を開けることもせず、ただそこに存在しているだけ。
なまえはゆっくりとその口を開く。

「ねえ日之影くん」

なまえは唐突に、日之影の名を呼んだ。
するとどうだろう。今まで"誰もいなかった"はずの廊下に、巨大な影が落ちた。
なまえはそちらを見向きもせず口を開く。

「日之影くんは、もう生徒会長じゃないの?」

その大きく丸い瞳は、くっきりと窓の外の風景を映していた。

「………ああ。そうだ」

"日之影"と呼ばれた影は、なまえの疑問に小さく答える。
いつからだろう。お互いに、その疑問は口にしなかった。

「どうして?」

単純な疑問。素直にそう思った、ただそれだけ。
それだけだというのに―――日之影は、何故かなまえを酷く遠くに感じる。
それ故、日之影は口を開くのを躊躇うかと思われたが、彼はもう『躊躇わない』と決めていた。

「名字。俺はお前の前で、一度だけ"生徒会"を執行したことがあったよな」

覚えているかとでも言うような口調に、忘れるはずも無いとでも答えるようになまえは日之影の方を身体ごと向く。
なまえも日之影も、お互いを真っ直ぐに見つめていた。

「あのとき、お前は俺をどう思った?『怖い』って思ったんじゃないか?」

ふっ、と日之影が表情を崩す。
なまえはどうして日之影がそんな表情を浮かべるのかがわからず、日之影の問いに答えを返す前に目を丸くした。

「そりゃあ『はいどうぞ』と素直に譲ったわけじゃない。何度もぶつかり合ったさ。"文字通り"な。それでようやっと俺はあいつを認めて、あいつは俺の言葉を受け取った。だから俺はもう"生徒会長"じゃないし、今はあいつが"生徒会長"だ」

なまえは日之影が言う"あいつ"のことを知らないでいた。
それでも、彼の言いたいことは伝わっただろう。
口を開きかけ、一度閉じる。

「そっか」

再び開かれたなまえの口が零した言葉は、それだけだった。
ちょうどなまえの足元までが校舎の影で暗く覆われており、夕方の温かい光が日之影の影を長く伸ばしている。
夕暮れと夜との境界線。
とても近くにいるのに、決して交わらない何かを示すような印象だった。

「……帰るのか?」

「ううん」

日之影の問いに、なまえは首を横に振る。
なまえの行き先に心当たりが無かったのか、日之影はその返答に少し驚いたような表情を浮かべていた。
その表情に答えるようになまえは言葉を続ける。

「砂遊びをしようって約束してて」

「砂遊び?」

「小さいときに1度だけしたんだけどね。楽しかったよ」

「そうか。1人で行けるか?」

「うん」

その返答後、少し間を置いてからなまえは口を閉ざした。
なんと言葉を続けたかったのだろうと、既になまえが去った廊下を日之影は1人で見つめている。

「『大丈夫』、か……」

恐らく彼女ならそう続けたはずだ、と日之影は自身の膝下まで侵食した影を見下ろした。
その言葉を言わなかった理由と原因に心当たりは無い。それに、なまえがあそこで首を横に振ったとして、自分がついて行ったかどうかはわからない。

「…変わってないな」

1年の頃から。そして、"彼女"は変わった。
それがどのような結果をもたらすのかは―――誰にもわからない。

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