「雲仙くんが入院?」
「いえ。普通の人間ならば入院してもおかしくない程度の怪我です」
「それは入院しないといけないんじゃないの…?」
場所は二年十三組の教室。
授業が終わり、いつものように学校を去ろうと廊下を歩いていたところ、なまえは二年十三組の長者原とばったり出くわした。
彼のことだから本当に"出くわした"のか疑問だったが、彼がなまえを見つけたときに小さく「あ」と声を零していたので、本当に偶然だったのかもしれない。
その後「こんなところではなんですから」と二年十三組に招かれ、誰もいない教室で誰のともわからな席になまえは座っていた。
「もしかしてそれってこの前校舎が崩壊してたのと関係があるの?」
「………ええ」
「なにか間が」
「いえ。名字様のことなので校舎が一部崩壊したことなど気付いていないかと」
「長者原くんってちょっとそういうところあるよね」
まあいいけど、となまえは背筋良く椅子に座っている長者原を見上げる。
「でも、なんでその話を私に?」
なまえは首を傾げた。
雲仙とは確かに何度か会話をしたりしたことがあるが、お見舞いにいくほどの関係ではないはずだ。というより、雲仙は怪我の具合はどうあれ入院をしていない。
なまえの疑問は最もだったが、先ほどから色々と訊きすぎだろうかとなまえは長者原の様子をこっそりと伺った。
しかし、やはり目だけとはいえ顔の一部が隠れているのと長者原の元からの喋り方や振舞い方により、何を考えているのかがわからない。
「そういうところはわからないのですか…」
そう呟いた長者原が溜息をつくのかとなまえは思ったが、長者原はそんな素振りを見せなかった。
「あの雲仙様がそれほどの怪我を負われたのです。名字様にも関係が無いとは言い切れません」
「………あー、」
えーっと、となまえは長者原から視線をゆっくりと逸らし、新品同様の机を眺めた。
雲仙冥利は風紀委員長だ。日之影空洞という"元"生徒会会長と同じく、"毎日学校へ登校している"。
それは、ただの十三組であるなまえも―――同じ。
学校内でのなんらかの"立場"があるわけではない。だとしても登校しているだけの十三組が何の異常もなく普通の学園生活を送れるはずがない、と長者原は考えているのだろう。
そこまでを理解したというのに、なまえは少し首を傾げながら長者原へ視線を戻した。
「長者原くんにしては珍しいね」
「私は名字様の異常性を理解しているつもりですよ」
長者原は何の躊躇いも無く言葉を静かな教室へ零す。
「ですからこの忠告が"意味のないこと"だというのもわかっています」
彼は目隠しをしているというのに、なまえは彼がこちらをじっと見ているというのが何故かわかった。
その視線になんだか居心地が悪くなり、なまえは静かに立ち上がる。
「……じゃあ、私は帰るから」
「そうですか。"お気を付けて"」
別れの挨拶をしたなまえを引き止めることも見送ることもせず、長者原はただそれだけを口にした。
なまえもそんな長者原を振り返ることなく二年十三組の教室を出る。
「え」
と、声。
長者原は扉から出てないとはいえもう教室にいないだろうと考えていたなまえは、一体誰の声だろうとそちらを向いた。
「あ」
ぱちり、と目が合う。
「え、あれ?え?」
「…教室間違えちゃった」
「もう放課後ですよ」
じゃなくて。
「名字なまえさん……ですよね」
なまえに的確な反応を返した青年は、躊躇うことなくなまえの名を口にする。
名を呼ばれたなまえもまた、彼の名を知っていた。だが、その名を口にしようとはしなかった。
「阿久根高貴です。俺………、あなたは覚えてないかもしれませんが、実は昔会っていて、」
「…覚えてるよ。本屋の前で、だよね」
彼の名を"見た"のもそのときだ、となまえは少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
阿久根高貴と名乗った青年はというと、先ほどまで丸くしていた目を見開いて、何をそんなに驚いているのか、口をぱくぱくと動かしていた。
「その…中学生の頃は私もちょっとやんちゃだったというか荒れてたっていうか……」
対し、なまえはごにょごにょと"思い出すのが恥ずかしい"とでもいうように言葉を濁す。
まさか高校生になってまで、中学時代クラスメイトだった"彼"以外に中学の頃に出会った人物と会うとは思っていなかったのだろう。そしてそれは、阿久根高貴自身も同じである。
「お、覚えていたんですか…。いや、あの、俺もあのときは随分と荒れていて……いや、去年もそんなに変わってなかったんですけど、」
なまえのペースに巻き込まれた阿久根も、何故か同じように照れ始めた。
だがなまえは知らないが、阿久根はこの学園の特例組に属している。
そんな阿久根高貴がまさかこのままなまえのペースでいるはずもない。
「ではなくて!その、俺……」
阿久根は声を上げてから、ハッ、と現実を認識する。
阿久根高貴は、中学の"あの頃"に出会ったなまえという存在にもう1度会いたいと、ぼんやりと思っていただけなのだ。
あの頃の自分に"あんなこと"を言ってくれたなまえに礼を言いたいわけでも、今の自分を見せたいわけでもない。
それでも何故か、『もう1度会いたい』と思っていたのだ。それを―――どう目の前の彼女に伝える?
自分にとって彼女が"そういう存在"だとしても、彼女にとってはどうだろうか。今の想いをそのまま言えば、彼女に気味悪がられないだろうか。
『らしくない』と、思う。かつて自分を導いてくれた異常にはあれほどストレートに好意を向けられるというのに、目の前のたった1人の十三組には何も伝えられないのか。
こんな、"廊下で偶然出会う"奇跡など、もう二度とないかもしれないというのに。
「…阿久根くん、変わったね」
「え?」
「猫美ちゃんのおかげかな」
なまえは小さく笑った。自身の友が、彼と共に十三組の教室に乗り込んできた過去のことでも思い出したのだろう。
「私は今日はもう帰るけど、阿久根くんは部活?猫美ちゃんに、よろしくね」
笑顔で手を振り、阿久根の横を通り過ぎて、なまえはそのまま学園の玄関へと向かう。
阿久根は少し遅れて、そんななまえを慌てたように振り返った。
『こんな奇跡などもう二度とないかもしれない』?そんなことはない。こうして今、この学園で再会できたという奇跡が起きた今―――それ以上の奇跡などあるものか。
「あの!」
阿久根が、なまえの背中に声をかける。
なまえは立ち止まり、不思議そうに阿久根を振り返った。
「俺、柔道部辞めて今は生徒会をやっているんです」
「………そうなんだ」
なまえは阿久根の言葉に、驚いたように目を丸くする。
阿久根はそれだけを言うと、「自分もこれで」と軽くなまえへ頭を下げて、なまえとは反対方向に走って行ってしまった。
「………………………」
なまえはそんな阿久根の背中を見つめながら、『生徒会』という単語を舌の上で転がした。