日之影空洞は歩いていた。
ただただ、箱庭学園の敷地内を歩いていた。それだけである。
しかし、それだけだというのに、辺りの人間は、そして動物ですら、彼の存在を認識出来ない。
気配を消しているわけでもない。存在感が無いわけでもない。
二年十三組日之影空洞。
彼はただ一人、いつも通り、誰にも覚えられない生徒会長としてそこを歩いていた。

「………………………」

誰か一人が気付けば、周りの人間も自分の存在に気付く。
しかし日之影が本気を出せば、周りの人間の記憶からいなくなることは容易であった。
きっと昔からそうだった。だからそれが当たり前だと思っていた。
それでいいし、そうでなくてはいけない。自分はそういう存在なのだと認識していた。

「(なのに―――何故だ)」

足を止める。
普通に歩いているとはいえこの巨体だ。足の長さのリーチもあって、足は相当早い。
だからきっと自分がこのまま歩いていれば誰も追いつけない。

「………………………」

追いつけない、という単語を使ったのはこれが初めてかもしれない、と日之影は思う。
誰も追いかけてくることなど無いはずなのだ。誰の記憶にも残ることが出来ない自分は。
それなのにどうしてその言葉が出てくるのか。

「……ハァ、ハァ…ひの、か…くん」

「……………………」

振り返る。
クラスメイトであるなまえの姿がそこにあった。
日之影が立ち止まったことを確認したのか、肩で息をしながら近くの木へともたれかかる。
日之影は黙ってなまえを見下ろしていた。

「…………あっちに水道があるから、水でも飲むか?」

「へ、いき…」

全力疾走でもしてきたのか、なまえの息が整う気配は無い。
日之影は息をゆっくりと整えようとしているなまえに近付こうともせず、ただぼんやりとクラスメイトを眺めていた。

「どうしてあのとき、糸島を助けようとした?」

「え?」

最初の頃よりはマシになったものの、未だ苦しそうにしながらなまえは顔をあげる。

「"計画"について知っていたからか?俺があそこで糸島に手を出していたら、都城に何かされると思ったからか?」

「いや…その。日之影くんに殴られたら、痛そうだったから」

ただそれだけの理由だと、なまえは木にもたれかかるのをやめた。

「………じゃあどうして俺を追いかけてきた」

「どうして…って」

「証拠も無いのにお前の友人である糸島を追い出そうとした俺を、どうして追いかけてきた」

もっと言えば、自分を殴ろうとしたクラスメイトを。
日之影はなまえに方法ではなく、理由を訊いた。
こちらの質問を選択したということは、本当はわかっているのだろう。目の前の少女に対する考えが、きっと正解だということを。

「『気にするな』と言ったはずだ」

2年生になったばかりの頃。確かに日之影はなまえへそう言った。
首を突っ込むなと。足を踏み入れるなと。手を出すなと――――そういう意味を含めて言ったはずなのに。
伝わらなかったとでもいうのか。去年、彼の忠告はきちんと受け入れていたというのに。

「本当は、爆発が起きた後、帰ろうと思ったんだよ」

息を整え終わったのか、なまえは静かに言葉を続ける。

「でも、知らない子に言われたんだよね。真黒くんがいなくなったのは、私が言われた通りにしか動かなかったからだって」

「―――――!」

「多分、また言われた通りにしたら、今度は日之影くんがいなくなる。だから私は『気にする』ことにした」

日之影の忠告は、確かになまえに届いていた。
なまえは何の疑問も躊躇いもなく、日之影の忠告に従おうとしていた。
しかしそこで、別の道を提示する人物が現れたのだ。あの少年もやはりまた、十三組アブノーマル。なまえは知らないが、同じクラスメイトである。
その結果、時計塔での生徒会は執行されなかった。しかしなまえを殴ろうとした右手を見下ろして、これが正解だったのかなど日之影にはわからなかった。

「黒神………」

黒神真黒。
既に物語を退場した彼の名を、なまえは平然と口にした。
日之影は何よりもそのことに驚いていた。彼の名などもう二度と、彼女の口から発せられることは無いと思っていたから。

「名字。お前の――――」

せいじゃない、と続けようとして、日之影は目を瞑る。
完全にそうとは言い切れない。彼は自分に何も言わなかったが、薄々わかってはいた。
日之影は目を開け、喋り途中だった口を閉じる。
そうして冷静に見たところで、なまえの異常性は変わりはしない。

「……名字。お前はきっと、その異常アブノーマルのせいでこれから先も辛いことがたくさんある」

生徒会長としてではない。なまえのクラスメイトとして。なまえの異常アブノーマルに触れた結果として。日之影は、善意だけでなまえへ語りかける。

「俺だって本当は、お前と友達になりたいんだ」

一緒にご飯を食べ、勉強をし、話し、笑い合い、助け合う。そんな友達に。
しかしそれは叶わない。
誰のせいでもない。異常アブノーマルが結果としてそれを導くだけで、何を責めることもできない。

「でも俺は、その感情に気付いたらダメなんだ。もし気付いたら、俺はここから動けなくなる。自分の異常に苦しめられる。だから名字」

日之影は、躊躇った。
その一言を言うかどうか。躊躇い、戸惑い、考えて。
そして日之影は決断する。

「俺のことは忘れてくれ」

日之影空洞の最後の忠告。
否、忠告というよりは切実な願いだった。
少し前までのなまえなら、何を思うでもなくその願いを受け入れただろう。
しかしなまえは既に、自分で選ぶという考えを持っていた。つい先程手に入れたばかりの、"責任"を担う自由を。

「私は日之影くんを忘れないよ。だから今までみたく、同じ教室で話をしよう」

笑う。なまえは、いつも通りの笑みを浮かべていた。
日之影は困惑した。彼女は事の重大さを理解していないのだろうか。
その選択をする意味と結末を、受け入れることが出来るとでも言うのだろうか。

「どうしてお前は」

「だって私は××だから」

日之影の息が詰まる。音が、止んだ。
なまえの口から、なまえ自身の異常アブノーマルについて聞くのはこれが初めてだった。
と言うよりも、なまえが自分の異常アブノーマルについて誰かに言うのはこれが初めてだった。
日之影は目を見開く。そして、そういうことかと納得する。
そうか―――だから。目の前の彼女がそういう存在だから、自分達はこんな感情を持ってしまうのか。

「名字…お前は」

嬉しそうな笑みを浮かべるなまえを見ながら、日之影はどうしようもなく悲しい気持ちになった。
いずれ周りの者を失ってしまうその異常は、彼女を一生幸せにはしない。
一人を望まない彼女にとって、それはあまりにも残酷な異常性アブノーマル

「これからもよろしくね、日之影くん」

「………ああ。よろしくな…名字」

なまえを名前で呼ぶかどうか一瞬悩んだ日之影だったが、自分達はこのままでいいと静かに笑みを浮かべた。

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