この事象に対して、「あの時こうしておけば良かった」「あの時どうしてこうしなかったんだ」などという後悔は意味を成さない。
何故なら彼らが思うそれらの"あの時"というのはつい数分前のことを指しているからだ。
後悔するのならば、もし時間を戻せるというのならば、そんな少し前のことではない。
もっとずっと前から、この事象は起こり得る可能性が存在していた。

「なんだ!?」

声を出したのは、剣道部員の誰か。
凄まじい爆音と地響きに、その声の主を特定している時間は無い。
その場にいた全員が状況を理解しようと辺りを見渡し、この中で一番背の高い日之影が、何かに気付いたように動かしていた視線を止めた。

「時計塔が……!」

行動は迅速だった。
誰が原因だとか、何が要因だとか、そんなことは後回しに、日之影は真っ先に自身が口にした場所へと走り去った。
あまりの速さに、誰も彼を目視出来ない。
それどころか日之影が去ったことで、彼のことを"覚えていられなく"なっている。
しかし、日之影が場所を口にしたことで、軍規以外の全員がそちらを見上げていた。
学園の中で時を告げる、その大きくそびえたつ塔。
その最上階から、これでもかというほどに、黒煙が噴き出していた。

「一体何が……!」

「け、警察とか呼んだ方が良くないか!?」

「消防車と救急車も!」

「携帯どこやったっけ!?」

「かばんの中だ!」

その鞄は剣道場にあると、先ほどまで雲仙を脅威として近づこうとしなかった宇佐たちが、雲仙の横を平然と通り過ぎて剣道場へ入っていく。
伊万里や中津は「先生を呼んでくる」と、反対側にある校舎へと走って行った。
残されたのはなまえと雲仙と軍規のみ。
なまえは未だに時計塔を見上げていた。雲仙は既に時計塔は見ていなかった。そして軍規はなまえに声をかけようと一歩踏み出そうとしていた。

「おい」

そこに声がかからないはずもなく、雲仙の低い声が地面に落ちる。

「テメェ…一体何をした」

「ん?いや…私は別に何も」

「しらばっくれてんじゃねえ。あの時計塔、テメェがやったんだろ」

「さあ…どうだろう。ああいや、しらばっくれているわけではなく、大して…そうだな。何と言うべきか」

とても"興味が無さそう"だった。
今の糸島軍規にはこの言葉がピッタリだと、雲仙は唖然としていた。

「何をどうやったら…そこまで無関心になれんだ。テメェは……」

「無関心とは失礼だな。私は雲仙のことを仲間だと思っているし、なまえのことは大切な友人だと思っているぞ」

その言葉もだ、と雲仙は吐き気がするとばかりに短く舌打ちをする。
あまりに中身が無い。あまりに薄っぺらい。
十三組アブノーマルとして片付けるにはあまりにも。

「まあ、そうだな。私は雲仙の仕事について口出しをする気は無いが、時計塔に行った方が良いんじゃないか?生徒会長がああして行ってしまったが、風紀委員も行かなくてはまずいだろ?」

「それが目的か?」

「目的?そういうのは何かをやり遂げるときに掲げるものだろう?」

良いことを言った、と自分の言葉に少しだけ嬉しそうに軍規が笑うが、雲仙にはそれすらも建前のように聞こえて仕方が無かった。
既に雲仙に興味は無いようで、軍規は彼の横を通り過ぎるとなまえの前で止まる。

「なまえ。久しぶりに会いはしたがもう下校時刻だ。また明日、学校で会おう」

軍規の言葉に、いくらなまえであれ、クラスメイトの日之影が向かった先の時計塔に興味を示さないはずがない。
興味を示すどころか時計塔に行こうとするはずだ、と雲仙は考えていた。
しかし、十三組が雲仙の考え通りに動いたことが何度あっただろう。
日之影のことを忘れ、長者原が突拍子もない行動に出て、なまえの発言の意図を掴めず、軍規に邪魔されて。
なまえが雲仙の考え通り、「時計塔に行く」などと言うはずもない。

「そうだね。帰ろうか」

「っ、」

雲仙はそんななまえの反応に戸惑った。
しかし、日之影が去ったことで、なまえが時計塔に行く"理由"を、雲仙は忘れかけている。
だからこそ自分が今なまえに対して抱いている怒りのような苛立ちが何なのかが、わからなくなっていた。

「そうじゃねえだろ…」

「え?」

「名字なまえ。テメェは、時計塔に行くはずだろ」

こうしている間にも煙はどんどんと時計塔から溢れ出ている。
時計塔は表向きには一般生徒の立ち入りが禁止されているが―――あそこに生徒がいるということを、生徒会長である日之影は知っていた。
勿論、時計塔の地下にエリアを持つ軍規も知っている。
風紀委員長である雲仙が知っているのかはわからないが、少なくとも今、あの時計塔にはなまえのクラスメイトである日之影がいるのだ。
その存在を忘れかけているとはいえ、雲仙は普通組である門司たちとは違い、まだかろうじて覚えてはいる。

「さっきテメェを助けたのは誰だ?テメェの知り合いだっつう剣道部の部員たちを助けたのは誰だ?そこの無関心野郎でもましてや俺でもねぇ。あの"時計塔に行った奴"だろうが」

くそっ、と頼りにならない自分の記憶に雲仙は舌打ちをする。

「私は行かないよ」

なまえは静かに首を横に振った。

「『気にするな』って言われたから」

「言われた…?誰に」

「日之影くんに」

「!」

なまえの言葉に、雲仙は忘れかけていた日之影の存在を思い出す。
目の前の彼女は日之影の存在を忘れていたのではない。"覚えていた"にも関わらず、平然と、帰宅しようとしているのだ。
日之影に言われたとおりに。風紀委員と生徒会が関係する事柄に、なまえは首を突っ込まない気でいた。

「僕は行った方が良いと思うな」

「!」

突然の第三者。生徒会役員でも、風紀委員でも、剣道部員でもない。
声が聞こえた箇所へ顔ごと視線を動かしてみれば、そこには仮面をつけた一人の子供がいた。
否。箱庭学園の制服を着ているということは雲仙と同じ学年かそれ以上なのだろう。
しかし、両の手で数えられる歳である雲仙よりも、仮面の少年は小さかった。

「またジュウサンか…次から次へと豪勢なこって」

「あはは。僕は他のジュウサンと違って大した異常アブノーマルじゃないから気にしないでよ。ただちょっとここを通りがかっただけさ」

軽く高い声で笑うが、少年の表情は仮面に隠れていて一切伺うことが出来ない。
軍規は相変わらず笑みを浮かべていて、なまえは驚いた様子はあれどもそれ以外の表情は無い。雲仙は二人を観察し、ここにいる誰の知り合いでもないことを確認した。

「さっきの話に戻るけど、なまえ。君はどうやら人に言われたことを鵜呑みにするみたいだね」

「鵜呑み……」

「魚を丸のみすることだ」

「この場合は他人の考えや案を十分理解、批判せずに受け入れることだけどね」

なまえはどうやら"鵜呑み"という言葉がわからなかったようで、初対面にも関わらず名前を呼び捨てにしてきたところよりもそちらに引っかかったらしい。
手助けだとでもいうように軍規が説明を口にしたが、文面からしてその説明では不十分であることは誰にも明らかである。
奴はまた話しに関心が無かったのだろう、と適当に言葉を零す軍規を雲仙は睨みつけるように観察していた。

「でもさ、一年前に君がそうしたことで、クラスメイトがいなくなったこと覚えてる?」

「………………?」

少年の言葉に、軍規と雲仙は首を傾げた。
一体何の話だと説明を求めようか考えたが、ここはなまえの出方を伺うことにする。

「まあ僕は彼と知り合い程度の仲だったし僕は彼にあまり好かれていなかったけど、いなくなったらいなくなったで悲しいものがあったからね。ああ、でも別に君を責めてるわけじゃないんだ。彼の行動は仕方ないと思うし、遅かれ早かれ抜けることは考えていたみたいだからさ」

「ええと……昔、会ったことあるっけ?」

「さあどうだろうね。今日が初対面かもしれないし、もしかしたら昔ゲームセンターで対戦したことがあるかもしれない」

剣道場から門司たちが自分たちの鞄や携帯を持って外へ出てくる。
恐らく日之影がいなくなった今、剣道場の外で何があったのかはもう覚えていないのだろう。

「…………………………」

なまえは、ゆっくりと時計塔を振り返った。


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