「はああああああ…………」
暗く、電気のついていない剣道場に、1人の青年の溜息が木霊する。
「はあああああああああ…………」
「うっせえな宇佐!しゃきっとしやがれ!!つーか何度目だこのやり取り!!」
いじっていた携帯を床に叩きつける勢いで立ち上がり、門司は苛立つとでもいうように頭をかきむしっていた。
しかしやはり宇佐は怒鳴られたにも関わらず未だ暗い顔でしゃがんだまま門司を見上げる。
「俺今日名字のこと見かけたのに、なんか咄嗟に隠れちゃってさー…」
「あー俺も俺も。なんか、隠れてから何してんだろう俺…って頭抱えたよ」
「つーかお前の頭ってどっからどこまでだよ伊万里」
「またその話かお前らは……」
呆れたように溜息をつく門司は、怒鳴る気力もないとでもいうように首を軽く横に振った。
宇佐の言葉に続いた伊万里同様、その場にいる全員がどこか落ち込んでいる様子である。
唯一そんな彼らと違った雰囲気で壁に寄りかかる青年に、門司は視線を移動させた。
「悪いな阿久根。こんなんで退屈だろ」
「……いえ」
「………?どうした、元気ないな」
「少し、考え事を」
そう笑みを浮かべる阿久根だったが、それはいつも通りの余裕ある笑みではない。
それに気付いた門司ではあったが、少し怪訝な表情を浮かべるだけですぐに意識は落ち込む彼らへと戻った。
何か言おうと口を開きかけるが、何を言っても無駄だろうと溜息をつきながら彼らに背を向ける。
「あれ?何処行くんだよ門司」
「気分転換に自販でも行ってくる」
「あ、俺イチゴオレ飲みたい!」
「自分で買いに―――」
行け、と扉を開けながら怒鳴ろうとして。
「うっ、」わ!?
「っ!?」
丁度扉を開けようとしていた、という勢いではなかった。
扉を体当たりで破ろうとしているのではないかという勢いに、門司は咄嗟に何かを受け止める。
その勢いにたいして思っていたよりも衝撃は軽かったので、門司は後ろに倒れることなく足を止めた。
ふわりと顔を撫でる風と、男のものではないいい匂い。腕に収まる感触は柔らかく、すぐにそれが女だということを理解する。
「あ、ごめんなさい」
「え…………?」
耳に入ってきた謝罪の言葉に、耳を疑った。
言葉の意味だとか言い方だとかではない。
聞き覚えのある、その声は確か。
「名字……?」
「え?」
今度は、名を呼ばれた少女が首を傾げる番だった。
自分の足で立とうとする少女を門司の腕が抱えているので、少し門司に身体を預ける形になりながらも少女は顔をあげる。
黒く長い髪が揺れ、髪と同じくらい黒い瞳が門司を映し出した。
言葉を失ったのは、門司真罅。
「ありがとう、門司」
いつも通り―――去年と同じように、なまえは笑った。
何事もなかったかのように、未だ"続いている"とでもいうように、なまえは自分を支えてくれている門司へ笑みを向けた。
それを見て、門司はあのときと同じような、それでいてどこか吹っ切れたような、拒絶ではない笑みを浮かべる。
「何してんだよ…こんなところで。道場破りでもしにきたのか?」
「まあ、ある意味門は破りそうになったけどね……」
そうじゃないんだ、となまえは首を横に振った。
「えーっと、その…仲直りを……」
「…………は?」
「仲直りしろって言われて、でも仲直りなんてしたことないからやり方がわからなくて…どうすればいいのかわかる?」
先ほど鍋島に言われた言葉を思い出しながら、なまえは門司へと疑問を投げかける。
仲直りという言葉の意味自体は知っていた。
しかし今まで中学のことは抜きとして喧嘩をする相手がいなかったなまえは、仲直りをする機会がなかったのである。
やれと言われて、はいやりますとすぐに出来るわけもなかった。
「お前、それを本人に訊くか?普通……」
そこまで言って、門司は思い出す。
十三組の圧倒的な異常性を叩きつけられ、恐れた一年前。
あまりにも変わらない。あまりにも普通でない少女。
しかしこうして見てみれば、なんと普通な少女なのだろう。
「君はなまえちゃんを受け止めなかった」
随分と近くに立つ、なまえを静かに見下ろす。
「あと何回同じ事をしたって君は彼女を受け止めようとはしない」
なまえを支えている手に、自然と力が入った。
「―――俺は、お前を受け止めた」
「え?」
「仲直りだ名字。俺はもう、お前を受け止めることが出来るんだ」
あれだけ躊躇っていた言葉が、すんなりと自分の口から出る。
そのことに門司自身が驚いていたが、彼らが、その驚きを噛み締める時間を与えない。
「名字ー!!!」
「俺も!俺も!仲直りしたい!!」
「本当ごめんなあ…!」
「あ、えっと、その、」
「おいお前ら!!」
「門司だけ仲直りなんて許さねーからな!」
「そうだそうだ!俺たちだって仲直りしたいんだよ!!」
先ほどとは一転した彼らのテンションに、門司は呆れ半分安堵半分で溜息をついた。
なまえはいつの間にか門司から離れていて、駆け寄ってきた宇佐たちと握手やハイタッチをしている。
仲直りなんて簡単じゃないか、と門司は今まで躊躇っていた自分に舌打ちをしたくなった。
しかしこれでいいと、苛立ちを笑みへと変える。
「これで一件落着、やな」
「っ!!?」
その様子を1人、取り残されたように呆然と見ていた阿久根は、驚いたように振り返る。
いつの間に剣道場へ入っていたのか、そこにはいつもの笑みを浮かべる鍋島猫美が立っていた。
「……彼女が、あなたが言っていた"友達"ですか」
「まあな」
「まさか十三組の人だとは思いませんでしたよ」
「ん…?うち、阿久根クンになまえが十三組やなんて言うたか?」
「……………………」
阿久根は鍋島の質問に答えることなく、扉の方へと歩いていく。
そんな阿久根に彼らが気付かないのはそちらに集中しているからか、彼が"特例組"だからこそからか。
「阿久根クン、何処行くんや?」
「何処……って。俺は柔道部の部員ですからね。剣道部に用はありませんよ」
「……………………」
そう言って綺麗に笑った阿久根の後を、鍋島も楽しそうな笑みを浮かべながら歩いて行く。
今度も門司達は鍋島に気付くことはなかったが―――なまえはふと、阿久根が出て行こうとしている扉を振り返った。
「…………………?」
「名字」
しかしすぐに名前を呼ばれ、なまえは再び視線を顔ごと前へ戻す。
そこには呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべている門司が立っていて。
「飲み物買ってくるけど、何がいい?」
「……!お茶がいいな!」
「…ああ。わかった」
その後、俺も俺もと手を上げる宇佐たちに、再び門司の怒声が飛んだのは言うまでもない。