「……えらい目にあった」
なまえは、先ほどの長者原たちのことを思い出しながら階段を降りていた。
あのあと嫌々ながらも雲仙は長者原のことを連れ、なまえに別れの挨拶もせずに去っていったのである。
勿論礼儀正しい長者原は深々とお辞儀をしてから去ったのだが、スカートの件もあって複雑な表情を浮かべたままなまえは軽く手を振るだけだった。
雲仙はなんだかんだ風紀委員長として職務を全うしているようで、日之影から話を聞いていたなまえはなんだか意外そうに雲仙を見送ったわけだが、彼がその視線に気付くはずも無く(もしくは気付いていたが無視していたか)そのまま廊下を曲がってしまった。
しかし振り返られても特に何も用が無かったので、二人の姿が見えなくなってからなまえも自分のとりあえずの目的地としての玄関へ向かっている。
「…………………」
部活動で賑わう生徒達の声が聞こえてくれば、もうすぐ校庭へと繋がる玄関。
廊下や教室に生徒の姿は無く、ほとんどの生徒が部活動に行くか帰宅していることがわかる。
日差しが思ったよりも傾いているようで、登校してくるときに日が当たる此処は既に影に隠れていた。
「(そういえば―――)」
ゆらり、となまえが顔を横へ向けた。
「あ」
「……あれ?」
なまえがそちらを向いた際に丁度校舎の影から出てきたのか、未だ学生服の鍋島猫美と目が合う。
この時間に鍋島が学校にいるのは勿論知っていたので、なまえが疑問符を口にしたのはそれが理由ではない。
部活動が始まっている時間だというのに、未だに鍋島が学生服であるということに首を傾げたのだ。
しかし鍋島はなまえにその疑問を解決させる時間を与えず、嬉しそうに笑みを浮かべるとなまえに駆け寄りその腕を自分の方に思いっきり引っ張る。
「えっ、」
「ええとこにおったな!ほな、行くで」
「行くってどこに…」
「着いてからのお楽しみやって。ほら、歩いた歩いた」
最初に引っ張る力は流石運動部というように力強くなまえは驚いたように声を出したが、そのあとはなまえに遠慮するように普通の力で腕を引っ張りながら歩き出す。
なまえは崩れたバランスを整えながら、戸惑った表情のまま鍋島に続いて足を動かす。
特にこのあと用事があるわけでもないのでまあいいだろうと時計台で時間を確認しようと振り返るが、日の光のせいでなまえが時間を確認することは出来なかった。
「猫美ちゃん、こっちは柔道場じゃないよね?」
「ええんやって。今日、休むっちゅうことはちゃんと部長に伝えたしな」
「え、休んだの?」
「せやで。可愛い友達のためならそれくらいするやろ?普通」
「?」
話が見えてこないなまえは鍋島の言葉に首を傾げるものの、鍋島に説明する気はないらしい。
すぐに前を向き、未だ離そうとしないなまえの腕をぐいぐいと引っ張って急がせていた。
「ま、今回は勧誘っちゅー名目があったわけなんやけど」
「勧誘?」
「聞いて驚くんやないで。なんと……柔道部に特例組が入部したんや!」
「……………へえ」
「そこはもっと驚けや!!」
「えええ。それは理不尽だよ猫美ちゃん」
「聞いて驚くなと言うたらそら『驚け』言う振りやで…」
相変わらずだな、という意味で猫美は溜息がまじった笑みを零し、何の前触れもなく足を止める。
しかしそこには花壇があるだけで、鍋島が見せたいものがあるようには思えず、なまえはキョロキョロと辺りを見渡した。
そういえばここで刀を拾ったことがあったな、と思い出して。
連鎖的に、鍋島が自分をどこに連れて行きたいのかを理解した。
「もしかして、その特例組の人って剣道部の人…?」
鍋島は、そんななまえの問いにただ首を縦に振るだけ。
「でも、剣道部に特例組っていないんじゃなかったっけ?」
「……おるで。しかも、かなりの天才やろな」
恐らく、と鍋島は口の中で言葉を転がした。
なまえの反応を伺うような、それでいてその行動を迷っているような。
「猫美ちゃんが言うなら、相当なんだろうね」
「で?なまえはどうなん?」
「え?」
なまえの反応を見て、遠まわしにいく作戦を鍋島は速攻で捨てたらしい。
普段閉じられている目を開き、真剣な表情でなまえと向かい合った。
しかし目はすぐ閉じられ、再びなまえの腕を掴んで歩き出す。
先程よりも強くなった手の力は、まるでなまえを逃がさないようにしているようでなまえはじっと鍋島の手を見下ろした。
何も言わないなまえは、鍋島の質問の意味を理解していないのか、それとも。
「……今回は相手が特例組やったから良かったものの、これが異常組だとしたら―――」
「猫美ちゃん、」
「なまえと剣道部に何があったのかは知らんし訊くつもりも無いで。せやけど、学生なら学生らしく仲直りの1つでもしとき」
花壇から剣道場までそう距離は無い。
加えて鍋島の足の速さだ、こうして少し話しているだけですぐに剣道場の前へと着いてしまった。
鍋島は扉の前に立つとなまえを振り返り、ようやく掴んでいた手を離す。
なまえは解放された腕を一瞬見下ろし、いつも通りの笑みを浮かべている鍋島へ視線を上げた。
「えーっと……?」
「さっさと中入り。部活動らしい活動はしてへんのやしな。入っても大丈夫やろ」
なまえに扉を譲るとでもいうように、鍋島はなまえの横を通り、剣道場の入り口へ続く数段の階段を降りてなまえを振り返る。
そんな鍋島をなまえも振り返っていたものの、相変わらず笑みを浮かべている鍋島から視線を逸らし、自分の目の前にある剣道場への扉を見つめた。
両開きの、木製の扉。
去年は放課後毎日のように開けていたこの扉。
あのときから、しばらくこれに触れていない。
「……………………」
耳を澄ましてみれば、中で喋っている誰かの声が聞こえてきた。
特に大声で喋る内容でもないのだろう。扉の前に立つなまえには、その内容を聞き取ることは出来ない。
ぼんやりと、なまえはしばらくそこに立って居た。
すると、後ろでそれを見ていた鍋島が痺れを切らしたように笑みを消し、階段を一段飛ばしで駆け上がり、なまえの背中を思いっきり押した。
「ええい!面倒なやっちゃな!さっさと行きいや!飛び出せ青春!!」
「顔面強打っ!!」
その勢いのまま、なまえは剣道場の扉へと飛び込むように前のめりに倒れる形になる。
下手すれば再び病院送りになるであろうその勢いのまま、なまえの顔が扉にぶつかりそうになった瞬間。
「うっ、」わ!?
「っ!?」
剣道場の扉が開き、聞き覚えのある驚き声が耳に入る。
勢いが止まらないなまえは扉を開けた人物の腕の中へと、台本でも用意されていたかのように自然と収まった。