いつものように教室から出て、廊下を歩き、階段を降りようとして。
「……………………」
見覚えのあるコック帽が視界に入ったので、慌てて何事もなかったかのように来た道を足早に戻った。
少し遠回りになるが、他にも玄関に行く道はあると廊下を歩く。
生徒たちはほとんど皆部活動などをしている時間なので、廊下は相変わらず静かであった。
この廊下を曲がって少し行けば、下に繋がる階段がある―――と廊下を曲がろうとした瞬間。
「あっ」
「おっと…」
視界が何かでふさがれたと思えば、驚いたような声と共になまえの肩に手が置かれる。
なまえの鼻先を布がかすめ、誰かとぶつかりそうになったのだと理解した。
相手がなまえを受け止め、瞬時に一歩下がったおかげでなまえが衝撃を受けることはなかった。
「おや……あなたは」
「あ。長者原くん」
何歩か後ろに下がり、なまえはようやく今自分がぶつかりかけた人物が誰なのかを理解する。
長者原融通。
一年十三組の彼とは一回会ったことがあるだけなのだが、そのときのインパクトが強すぎたため、なまえは彼のことをしっかりと覚えていた。
そして彼もなまえのことを覚えていたらしく、「名字さまでしたか」と丁寧な口調で名前を呼ぶ。
「お怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫。長者原くんは?」
「ええ。大丈夫です」
そう口元に優しく笑みを浮かべる長者原の口調は、上級生への対応というよりもその喋り方が癖のようなそれであった。
上品と言う言葉がピッタリではあるが、彼はどうも表舞台に出るような人間ではないように思える。
しかしそういえば彼は自分と同じ十三組だったな、と浮かんだ疑問を口にした。
「長者原くんも授業に出てるの?」
「いえ。私は授業には出ていませんよ。一年生で授業に出てるのは雲仙様だけでしょうね」
「え!授業出てるんだ…」
「ええ。一応風紀委員長だから、ということらしいです」
なまえは長者原が授業に出ていると思っていたため、出ていないと首を横に振った長者原に少し驚いていた。
が、その後に続いた真実に驚いたように声をあげてしまう。そんななまえの声に驚くこともなく、長者原はいつも通りの冷静さのまま雲仙が授業に出ている理由を説明した。
なまえは慌てて周りに人がいないかをキョロキョロと確認したが、今この廊下にはなまえと長者原の二人しかいないようで、少しホッとしたように息を吐く。
「ああ…そうそう。名字様。雲仙様を見ませんでしたか?」
「え?うーん…見てないよ。風紀委員の部屋とかにはいなかったの?」
「ええ。誰もおらず…少し用があったのですが……」
困りました、と続くかのように長者原の声音が弱弱しいものへ変わっていく。
ふぅ、と静かに息を吐くと、長者原は何かに気付いたようになまえを見下ろした。
なまえは突然何事かと、首を傾げるように頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「名字さま。少し失礼します」
「え?」
バサッ、という音と、なまえの足を風が撫でるのは同時だった。
足の隙間を通る風と、その感覚になまえは理解する。
今時の小学生でも滅多にやることはないであろう、イタズラの中でもかなりレベルの低い―――スカートめくりを。
今、目の前の彼が、自分にしたのだ。
「な…あ………」
しかも真顔で。
「ちょっ、長者ば「おっと」
なまえが長者原の名を呼ぼうとした瞬間、それを遮るように長者原がその場にしゃがむ。
突然自分と同じくらいの目線の高さになった長者原に、なまえは驚いて声が出なかった。
しかし、後ろから、そんななまえの代わりとでもいうように第三者の声。
「テメェ……前に俺が言ったこともう忘れたのか!?」
「いえ。雲仙様が仰ったのは『スカートの中に入るな』ということでしたので。その忠告はしっかりと受け止めております」
スッ、と長者原は目線を元の高さに戻す。
まるでなまえのスカートをめくっていないかのような態度で、なまえのスカートをめくったことを堂々と認めていた。
「しかもさりげなく俺の攻撃を避けやがってよ…ああ?なんのつもりだ?」
「申し訳ありません。しかし、雲仙様を探しても見当たらなかったものでして」
「え、長者原くんそれだけのためにスカートめくったの?」
「……?ええ。そうすれば風紀が乱れたと言って雲仙様が来るかもしれない、と考えたので」
「俺はセンサーか何かか」
なまえの疑問に、なんでそんなことを訊くんだ、と言った風に長者原は答える。
まるで悪びれていないそれに、彼が本当にそれだけのためにスカートをめくったということをなまえは理解した。
スカートをめくるという行為と結果に彼の興味はなく、ただ雲仙を呼び付けるためのものだったのだろう。
雲仙はそれがわかったからか、それとも意味のわからない現場を見たからか、先ほどよりも余計に不機嫌になっていた。
「いいか!俺に用があるときは風紀委員室で待ってろ!5時には一旦戻るんだよ!!」
「かしこまりました。では、次回からそうさせて頂きます」
「お前、"反省"の二文字知ってるか…?」
「ええ。存じておりますが、言葉の意味などを知りたいのでしたら十組の十二町様を訊ねてみるとよろしいかと」
「十三組ってこんな奴ばっかりなのか?ったく、もーボク嫌になってきちゃーう」
相変わらずの長者原に、雲仙は本気でダルそうに両手を広げる。
その体勢のまま、ギロリとなまえに視線を動かした。
「お前、面倒だからもう長者原と関わるな」
「それより、長者原くんのスカートへの執着をどうにかしてよ。風紀委員長でしょ」
「名字様。その言い方には語弊があると思うのですが」
「色んな意味で合ってるよ」
長者原の訂正に、はあ、と大きな溜息をつきながら雲仙は突っ込みを入れる。
雲仙の言葉に長者原はよくわからないといったように首をかしげていたが、それを説明することすらも面倒だとでもいうように雲仙は広げていた両手をだらしなく下げた。