「はああああああ…………」
暗く、電気のついていない剣道場に、1人の青年の溜息が木霊する。
「はあああああああああ…………」
「うっせえな宇佐!しゃきっとしやがれ!!」
そんな青年を、壁に背を預けていた青年が怒鳴りつけた。
宇佐と呼ばれた青年は怒鳴られたにも関わらず、未だ暗い顔でしゃがんだまま自分を怒鳴った青年を見上げる。
「そうは言ってもよ…門司……俺達、いつになったら名字に会えるんだ…?」
「うっ……そ、それは…ま、まだタイミングというものがだな………」
「そう言って何ヶ月経ってると思ってるんだよ」
「うっせえぞ伊万里!んだよ揃いも揃って名字名字って!!」
「そんなこと言って、門司が一番名字に会いたがってるだろ…」
「なんか言ったか中津…テメェのその眼帯にメンソ塗りたくってやろうか」
「し、しみる……!」
どうやらこの暗い空間に8人ほどの人間がいるようで、彼らは電気も点けず部活動もせず剣道場でだらけているらしかった。
それは彼らにとってはいつも通りのことなのだが、その見た目に似合わず彼らは悩みに悩んでいるようである。
そんな悩みを吹き飛ばそうとでもいうように、門司と呼ばれた青年はそう声を荒げて後ろの壁を殴った。
「名字……?その人が、どうかしたんですか?」
「うお!びっくりした」
「い、いたのか………」
そこに、第三者の声。
彼らのようなドスのきいた声ではなく、どちらかといえば爽やかなその声は、この雰囲気には少し浮いているよう。
しかし彼らはそんな彼を受け入れているようで、多少驚きつつも不思議そうに名字の名を口にする青年を見た。
「あー…まあなんていうか、門司や俺らは名字と仲直りがしたいんだ」
「違うぞ宇佐。門司は名字が好きなんだって」
「おい中津…テメェ眼帯にワサビ塗られてぇみたいだなぁ…?」
「勘弁!」
中津は門司の言葉に慌てたように眼帯を押さえるが、門司の怒りは収まらないらしい。
しかしそんな彼らのことを見ながらも、青年は何か考えているようだった。
「でも、門司の浮いた話ってきかないよな」
「はぁ…?テメェらもそんなのねーだろうが」
「宇佐は入学してから3人くらい彼女出来てるぜ」
「…………………」
「門司!顔!顔怖いから!!」
「でも、こんな悠長にやってたら名字、誰かに取られちゃうかもしれないよ門司」
「だからそんなんじゃねぇっつってんだろ!」
あいつは、という言葉を門司は口の中で転がす。
最後に見たのは場の雰囲気に似合わないとびきりいい笑顔だった。
なまえが入院したときも、門司たちはお見舞いにいっていない。
あのとき教室で何があったのかも、門司たちは理解していないのだ。
「でも、取られるっつったって名字って友達いるのか?」
「さあ……?」
「どうする?部員がとっちゃったら、戦争が起こるよ」
「誰がとるんだよ」
「そりゃあ、この中で一番可能性があるのは阿久根じゃね?」
「え、俺ですか?」
今まで彼らの会話を聞いていた青年が、自分の名前を呼ばれ、驚いたようにその長い金髪を揺らす。
剣道部だというのに部活動をしていないのは、部員の1人である阿久根高貴も同じらしかった。
――――阿久根高貴。
箱庭学園一年十一組所属の、特例組である。
そんな彼がここにいるということは阿久根がこの前見学者が来ないと嘆いていた宇佐たちに差し出した入部届けを、部長である門司が受け取り、それを受理したということを示していた。
勿論阿久根が着ているのは箱庭学園の制服であり、壁にも寄りかからず姿勢良く立っている。
「お前知らねーの?学園で、もうお前のファンクラブまであるんだぜ」
「まあ特別体育科はファンクラブ多いよな。ちなみに俺は柔道部の鍋島さんのファンクラブに入ってるぜ」
「俺は漆ちゃんのファンクラブに入ってる」
「え、秋月にファンクラブなんてあんの?」
「当たり前だろ。あんなザ・お嬢様って人、この学園じゃそうそういないから普通科でも珍しくファンクラブができてるんだよ。つうか宇佐、テメェ漆ちゃんを呼び捨てとはいい度胸じゃねえか……」
「にしても阿久根のファンクラブねえ…」
ファンクラブの話で盛り上がる宇佐たちの話に耳を傾けようともせず、門司はファンクラブがあるということを聞いて動揺してるらしい阿久根を観察した。
阿久根にガンをとばすようなその眼光に、阿久根は少したじろいだが動くなと言われているようで目線を逸らすことしか出来ない。
比較的高い身長、綺麗な金髪、甘いマスクに抜群の運動神経。
「阿久根」
「な、なんですか…?」
「一回殴ってもいいか?」
「良くないです!」
勿論、特別体育科である阿久根に暴力で勝とうとは思っていないが、なんだか怒りを覚えた門司は先ほどよりも更に不機嫌になる。
そんな様子を見てどうしようかと互いに顔を見合わせる伊万里たちに、彼らは門司を励ましたいのか落ち込ませたいのかどっちなのだろう、と阿久根は考えるのを再開した。
「"名字"、ね……」
阿久根はその名前を舌先で転がす。
そして彼らに気付かれないよう笑ったそれには、一体どのような人物なのだろうという興味以外にも、何かが含まれているようだった。