「う、そだろ――――!!!」

叫ぶのと身体が動くのは同時だった。
水泳のコースが邪魔だと深く潜り、足を慌ててバタつかせる。
さっきまでのスピードが嘘のように鈍く感じ、ソレに触れたのは何秒後だったか。

「おい、起きろ!おい……おい!!」

仰向けにしてみれば、少女―――名字なまえはぐったりとその身体を種子島に預ける。
種子島は、一瞬で自分の血の気が引くのがわかった。

「(いつからだ)」

チラリと横を見てみれば、10メートル地点を示す数字。
種子島の身長ならば下に足がつくが、なまえの身長では無理だろう。
溺れたのだ。彼女は。
もしかして――――コイツは。

「ゲホッ、ゲホッ……」

「!!」

プールサイドへと上げたときに背中を打ったのか、その衝撃でなまえが咳き込む。
それに驚き、青年は慌ててなまえの顔を覗き込んだ。

「種子島、くん…だっけ…?早すぎるよ……」

「あ、あんた………」

「ビート板使っていいかどうか、訊くの忘れてて…」

「お、泳げないのか……!!?」

なまえの言葉が予想外だったのか、種子島は驚いたように目を見開く。
しかし、なまえは相変わらず楽しそうな笑みを浮かべているままだ。

「う、嘘だろ?だってあんた、二年十一組じゃ……」

「…?私は、二年十三組だよ?」

「っ―――――!!!」

種子島は、驚いてなまえから一歩、無意識のうちに引いてしまう。
そして引いたあとで、その行為に気付き、不味いことをした、となまえへ視線を戻した。
しかし、なまえはそんな種子島の行為をなんとも思っていないのか、髪から垂れてくる水を手で払いのけている。

「ジュウ、サン……」

「ビート板があれば、まだ浮かんでいられるし、なんとかなるかなって」

「なんで…だって、あのとき居たもう1人は、十一組で……」

なまえの言葉は、混乱する種子島の耳には入らない。
なまえが。目の前の少女が、十三組という事実。
それだけで、種子島を萎縮させるのは十分だった。
実際に十三組に会ったのは初めてだった。しかも、そんな人物に自分の都合を無理矢理押し付けた。それも、勘違いで。

「(俺は―――――)」

一体、十三組アブノーマルに何をされる?

「お、俺は屋久島さんが競泳部だけに集中出来るようにって…!女でダメになる奴なんていくらでもいるから、あの人に相応しいのか見極めようとして、そのために二年十一組に屋久島さんを訪ねるって名目で行ったけどあんたを見つけることが出来なくて、」

そのときに気付くべきだった。
十組から十二組の推薦組が、学校に来ていないわけがない。
だからこそ、あの授業が終わった瞬間の教室で、彼女を見つけられなかったことが、自分への最後の警告だったのだろう。

「ああ…だから、屋久島くんの名前が出たのか」

「!そ、そうだ。屋久島さんは凄い人だ。あんたのような十三組が関わって、何を考えて……」

「そうだね。屋久島くんに泳ぎを教えてもらおうって考えてるよ」

「泳ぎ、を……?」

「まあ、といっても体育の授業のときだけだから今は全く習ってないんだけどね」

そう、何事も無かったかのように振舞うなまえに、種子島は自分の記憶を疑った。
つい先ほどまで、自分は彼女と勝負をしていたはずで。
そのせいで彼女は死にかけたというのに、なんでこんなにも"普通"に話しているのだと、濡れた髪をなんとも思わないなまえに鳥肌が立った。

「で?どうだった?」

そう訊くなまえに、種子島は近付けない。
相手は力なくペタリとプールサイドに座っていて、自分は腰が引けたように立っているだけだというのに。
何故だか、向かうことも逃げることも出来なかった。

「……どう、って」

種子島はなまえを睨みつける。

「相応しいわけが無いじゃないですか」

その否定は、種子島自身が驚くほど小さい声で。
しかし目の前にいるなまえにはしっかり届いたらしく、「そっか」とだけ呟いた。
特に残念がるでもなく。逆に喜ぶわけもなく。
ただ、その現実を受け入れるだけ。

「でも、もう約束しちゃったんだよね」

「―――約束?」

「うん。卒業するまでに、屋久島くんが私を泳げるようにしてくれるっていう約束」

それは、沈んだなまえを屋久島が助けた日の保健室。
「やるならとことんだ」と言った鍋島の言葉通り、屋久島はなまえを「泳げるようにしてやる」と言った。
しかし自分の命よりも金に天秤を置いている屋久島だ。
自分と言う人間がどんな奴かを教えてやる―――その決意通り、屋久島はなまえに交換条件を突きつけたのである。

「まあ、泳げるようになったら札束プールを手伝う約束もしたんだけどね」

「札束プール……?」

「札束でプールを一杯にするんだって。それなら私も溺れなくて済むし」

「いや、泳げるようになるんじゃないんすかあんた……」

なまえの言葉に首を傾げた種子島だったが、その言葉の説明を聞いてなまえに呆れながらも納得した。
屋久島を種子島がここまで慕う理由は、特に彼が競泳部として素晴らしい成績を残しているからというものだけではない。
自分と、"金"に関する執着が一緒だと、仲間意識からきているものでもあった。
だからこそ札束のプールについては引っかからなかったし、その交換条件には納得がいった。
ただ、種子島は1つ気になったことがあり、その眉間に皺を寄せる。

「でも、先輩が泳げるようになるとは思えないんですけど……」

「そうかな?でも私、別に能力者じゃないからいけると思うんだけど」

「まだ実を食べた方が諦めがつくんじゃないですかね」

種子島は、キラキラと光を反射するプールを見下ろした。
速さだけでいえば、自分はあの屋久島先輩をも凌駕出来る自信がある。
しかし去年の大会で彼が出したタイムは、本来ならもっと速いものが出たはずだ。
だからこそ、あの場にいた二人の少女が原因では無いかと考えたのである。
1人はすぐに誰だかわかった。柔道部副部長の鍋島猫美。しかし部活動の方で忙しいのか全然会える機会が無かったので今日偶然出会った彼女に勝負を挑んだというのに。

「(無意味だった……ってわけか)」

全てを理解する。
その三文字で十分だった。
あんな約束をするくらいだ。屋久島の競泳と金に対する意識は、これっぽっちもダメになってなんかいなかった。

「……………………」

「種子島くん?」

「今日の勝負は、無しです」

種子島はそれだけを言うと、なまえに背を向けて更衣室へと歩き出す。
その背中に、なまえは声をかけようとはしなかった。
ただ、なまえもゆっくり立ち上がると、女子更衣室へと歩き出す。
そのまま二人は会話を交わすことなく、それぞれ元の制服へと着替えた。

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