「今から俺と勝負して下さい」

そんな青年の声と共に、なまえは独特な匂いに気が付く。

「………プール?」

何度か此処には来た事があった。
何度かと言っても自主的にではなく体育の授業の際に来ていただけだが、この独特な匂いを忘れるわけもない。
しかしどうしてここに、と名も知らぬ少年を見上げた。

「…俺は種子島率。競泳部一年生です。あんたが誰かなんて俺は知らないけど、それでもあんたは俺と勝負をするべきだ」

「種子島…って、」

その名を聞いたことは数回あった。
競泳部の屋久島に。あるいはその屋久島とクラスメイトの鍋島に。
競泳部に入部した、二人目の十一組スペシャル
しかし、だからといって突然初対面の後輩にプールへと連れてこられ、勝負を挑まれたことになまえが混乱していないわけではなかった。
するべきだ、と断言した彼。
勝負をしないという選択肢は無いとでもいうようなその雰囲気にのまれそうになる。
これが、特例スペシャル

「水着なら貸し出し用があることは知っているでしょう?さっさと着替えて、プールサイドに来て下さい」

「そんなこと言われても…」

「先に行ってますから」

そう言って、なまえの疑問に答えようともせず青年は男子更衣室へ入って行ってしまう。
なまえはしばらくどうしたものかと女子更衣室の扉を見つめていた。

「…………………」

プールサイドへ行ってみれば、まだ春だというのに室内プールは綺麗に整備されていた。
競泳部が一年中使っているのだからそれもそうか、となまえは髪を後ろで1つに結ぶ。
種子島と名乗った青年は、既にプールサイドに立っていた。
彼はこちらを見ることなく、困惑した表情を浮かべるなまえへ声をかける。

「……あんた、屋久島先輩の彼女かなんかですか?」

「え?なんでそこで屋久島くんの名前が」

「俺たちは遊びで泳いでるわけじゃないんですよ」

言うが早いが、青年は苛立ったようにプールへと飛び込んだ。
その苛立ちが水しぶきとなってなまえへかかる。

「ハンデをあげますよ先輩」

そう、種子島はなまえを呼んだ。

「あんたが泳ぐのは25メートルでいいです。俺はその間に75メートル泳ぐんで」

「25………」

「あんたは女子ですから。それに急に勝負を仕掛けたのは俺ですしね。これくらいのハンデがあれば少しは良い勝負になると思うんすけど」

完全になまえをなめきった態度をとっている青年だが、なまえはそんな態度を気にせず何か考え込むように水面を見つめる。
そして種子島とは違い、ゆっくりとプールの中へ身体を沈めていった。

「自由形で25メートル。スタートはあんたのタイミングでどうぞ」

「よしっ」

意を決したのか、なまえは背中をプールの壁に軽くつけた。
隣で青年がコチラを見てくるのも気にせず、一度深呼吸し、壁を蹴る。
それを見て、青年も静かに、そしていつも通りプールの壁を蹴った。

「(負けるわけが無い)」

この俺が。十一組スペシャルが。
負けるわけが無い。負けるはずが無い。相手に勝ち目は1ミリだって無い。
壁を蹴る。息は大丈夫。75メートルくらいなら1度か2度息を吸えばいい。吸わなくたっていい。勝てるならなんだっていい。
壁に触る。疲れも無い。このくらいならペースが崩れることもない。もう少しスピードが出せるくらいだ。相手が誰であろうと水泳に関して手を抜いたりなんかするものか。
壁に触り、水面に顔を出す。息を吸って、生きているのだと実感して。
隣を見た。

「!」

いない。見えない。勝った。
勝負に勝った。
これだけのハンデがありながら、自分は勝った。
流石自分だ。流石特例組スペシャルだ。

「――――――え、」?

今どこの地点を泳いでいるのだろう、と肩で息をしながら振り返って。
思考が止まった。
なんだ―――アレは。
・・・・・・・・・・・
水面に浮いているアレは。

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