「……ジャスティン。あなた、一体何を知って…」
そこでようやく、ナマエは会話を再開することができた。
未だに不機嫌そうなギリコを視界の端に入れたまま、こちらを見下ろしながら不気味に微笑むジャスティンと視線を合わせる。
ジャスティンはその質問を待っていたとでもいうように、うっとりと微笑んだ。
「ナマエさんのことなら何でも知ってますよ」
ゾクッ、と背筋が凍る。
不気味だとか気味が悪いだとか、そういう類ではない。
胸の辺りが、魂の周りがざわざわと、危険信号を鳴らした。
「あの男を殺したことも、死神に負けたことも、魂を狩られたことも、それ以外のことも全部」
「俺が言えたことじゃねぇかもしれないがジャスティン、テメーも相当イカれてんな」
「イカれてる?そんな言葉は相応しくないですよ。私の愛が誰にも負けていないというだけのことです」
「………きもちわりー奴…」
ギリコはそう呟くと、ジャスティン本人に聞こえることもお構いなく盛大に溜息をつく。
というよりもあえて聞こえるように言っているそれに、再び目の前で火花が散られてはかなわないとナマエも溜息をつきたい気分だった。
「とにかく、そいつ逃がすなよ。せっかくノアが手に入れたっつってんだから……」
「どこへ?」
どこでも良いだろう、という言葉をギリコは口に出来なかった。
既にジャスティンとナマエには背を向けており、無残にも破壊された扉に躊躇いも無く足を乗せて歩き出そうとしていたギリコだったが、その足を無意識のうちに止めていて。
「…………………」
・・・・・・・・・・・・・・・
いつかどこかで聞いたことのある単語を、誰が言ったわけでもないのに思い出す。
ノアが手に入れた、食事の好みがわからない、何の話をしていたのかが皆目検討つかなかった人物。
――――神狩り。
「思い出した」
そう、軽い声が部屋に落ちた。
しかしそれもすぐに、ギリコの爆音に遮られて。
「お前、あれか。アラクネが言ってた、あれだろ。関わらない方がいいとか、知らないほうがいいとか言われてた。あれ。くそっ、ふざけんなっ、ふざけんなよ…テメェ……」
「アラクネ…」
「知っちまったじゃねぇか関わっちまったじゃねぇか殺すぞ!!!!!!!!!」
突然怒りの矛先を向けられたナマエは何事かとギリコの攻撃を避けようとしたが、シーツと鎖が虚しく音を鳴らすだけ。
先ほどのような軽い攻撃ではない。
真剣に、本気で、殺そうとするその蹴りは、今までより何倍も早く―――
「ナマエさんに手は出させませんよ」
「ジャスティン……」
余計な真似を、とナマエは自分を庇うようにしてギリコの攻撃を受け止めているジャスティンを見上げた。
それはギリコの攻撃で自分の腕を拘束している魔道具を破壊しようとしていたナマエの本心であったが、ジャスティンには届かなかったよう。
いつも通りのそれにナマエはもはや何を言うでもない。
ただ、ギリコの怒りは収まるどころか更に高まり、その騒音も今までにないくらい大きなものへと変わっていく。
「アラクネがああ言ってくれたのによ!警告してくれたってのによ!!簡単に俺に関わってんじゃねぇええええええ!!!!」
「仕方の無い人だ」
銀の流星が走り、火花が散り、その攻撃が決まればただでは済まないという音が響き渡った。
この少しの戦闘でも、デスサイズであるジャスティンは勿論、ギリコの強さをナマエは理解する。
怒りに任せて吼えてはいるが、その強さは勢いに任せたものではない。
しかしそれでも、今回はジャスティンが優勢であった。
ジャスティンの絶妙な位置取りに、ギリコは思うように刃を振るえないでいるのだ。
そしてギリコは足を思いっきり上へあげると、何もかもを断ち切るように振り下ろす。
それはジャスティンに当たることはなかったが―――床を割り、壁にヒビを入れ、その衝撃は鎖に繋がれるナマエのところまで届きそうになり。
「ナマエさん!」
ジャスティンが振り返るが、もう遅い。
冷たい金属音が響き、鎖が弾ける。
「…………………」
ナマエは、静かに亀裂の横へと立っていた。
その腕を拘束していた魔道具は既に粉々になっており、役目を果たすことは出来無そうである。
ジャスティンは肩を落とし、ナマエを見つめた。
それはギリコの攻撃をナマエが受けなかったという安堵であるかと思われたが―――違う。
「ナマエさんに頼まれたのは私だというのに…」
『この手錠を外してくれ』というナマエの言葉を頭の中で再生しながら、ジャスティンは砕け散った鎖を見下ろした。
しかしそんなことはギリコにとっては関係が無い。
言葉にならない怒りを叫びながら、ナマエへ殺意と共に地面を蹴った。
ジャスティンの横を一瞬で通り過ぎるギリコを止める者はいない。
武器も持たないナマエが今のギリコに敵うようには思えなかったが、ジャスティンは先ほどとは打って変わってそこから一歩も動こうとしなかった。
そして刃は、ナマエの目の前へと。
「魂の―――」
「くたばれ!!!!!!」
ごっ、と地面が揺れた。
地震に似たそれは、ギリコの渾身の蹴り。
そして、ジャスティンの刃もその役目を果たそうと冷たい音を鳴らしていた。
それはギリコに対してではない。
ナマエの首を断ち切ろうと、ジャスティンはその刃を躊躇いもなく降ろしたのである。
「何っ……!?」
しかし、そこにナマエの姿は無い。
辺りを見渡してみても、気配すら感じ取れなかった。
「全く、あなたたちには困ったものです」
「ノア…!!」
「…ナマエさんを一体どうしたんですか」
いつからそこにいたのか、部屋の壁に寄りかかりながら二人へノアが声をかける。
ボロボロになった部屋について言及することもなく、ノアは手にした本を大事そうに見下ろすと、二人へ笑みを送った。
「その本の中、ってことですか」
「ええ。あなたたちに殺されてしまっては困りますからね」
「殺さねーよ。ブッ殺すだけだ!」
「あなたは品性も無ければ知性もないんですね」
「んのやろっ…!」
「今はやめてください二人とも。屋敷を壊されるのも困りものです」
ノアはギリコの怒りよりも、ジャスティンの視線に警戒していた。
ギリコが苛立っているのも怒りを隠そうとしないのもいつものことだ―――それこそが彼の力の源でもあるので、流石だというべきだろう。
しかしジャスティンは違う。
他人に干渉せず、干渉されず、世界とも交わろうとしないデスサイズと呼ばれるこの男は。
「("怒っている"――――まさかとは思いますが)」
何も映さないはずのその瞳に、チラチラと怒りのような色が伺える。
ノアはどうしたものかと目線を逸らしたが、答えは既に用意していたのかすぐにその口を開いた。
「この中に"武器"はいないので彼女は誰とも共鳴できませんよ」
「……………別に。誰と共鳴しようがナマエさんの勝手ですよ」
「てめぇ!さっきと言ってることが違うじゃねぇか!!」
ぎゃあぎゃあとギリコが怒鳴るが、ジャスティンはナマエがいなくなったこの部屋にすら興味が無いのか、壁に叩きつけられて中の料理が全て出てしまった棺桶のそばに近寄り棺桶を元に戻すと、瓦礫も気にせず引きずっていく。
いつもの大音量の音楽が流れ始め、ギリコは盛大に舌打ちをするとノアへ視線を動かした。
その本ごとナマエを破壊してしまおうかと考えて、やめる。
「………次会ったら殺す」
静かな声音とは裏腹に、その脚はナマエが拘束されていたベッドを粉々に破壊した。