一体いつまで、この日の光の当たらない廊下を歩けばいいのだろうとオックスは多少の疲労を感じていた。
しかしこの先にキムがいると、歩くたびにその魂を感じる。
友人であるキリクは迷う自分を後押ししてくれ、パートナーであるハーバーも自分の決断に同意してくれた。
「…………………」
自分は、この想いをぶつけるばかりで想い人のキムをわかってあげようとしていたのか。
彼女の魂を感知しながら、死武専での彼女との思い出を振り返る。
魔女だと聞いたときは正直驚いたが、それでも自分の気持ちは揺らがなかった。
彼女のことをわかってあげようと―――魔女だということを知っていてあげれば、少しでもわかってあげていれば。
彼女は死武専を出て行かなくてもよかったかもしれない。
「(感じろ………)」
キムに。彼女に、会わないと。
「こっちか…」
魂は感知出来るものの、視界は先ほどの廊下とは違い物凄く悪い。
よくわからない煙が部屋中に充満しており、あまり吸っていて良いものではないらしかった。
ハーバーがついてくる気配がしなかったので、振り返って彼を呼ぼうとした瞬間。
聞き覚えのある声が、オックスの耳へと入った。
「ジャッキー、早く早く」
死武専の制服を身に纏った金髪の少女。
見慣れた顔立ちは、何度見ても美しい。
そんな心の声が聞こえたのか、探していた人物がこちらを見る。
「オックス…」
ジャクリーンへ向けていた笑顔をしまい、キムはオックスを真っ直ぐ見つめた。
驚く様子も、警戒する様子もない。
「何でここに?」
「よかった!会えた!」
キムの質問にも答えず、オックスは自分の気持ちを口にした。
そのまま警戒もなくキムたちへ近付き、オックスは「一緒に死武専へ帰りましょう」と優しく笑みを浮かべる。
オックスの言葉に「ふ〜ん」とだけ呟き、キムは口端を上げた。
「わざわざ助けに来てくれたんだ?」
「ちょっと…キム…?」
状況がイマイチ飲み込めていないオックスをキムは優しく壁へ押し付け、そのまま顔を近づける。
好意を寄せているキムが突然近距離に来たオックスは、動揺してされるがままになっていた。
ジャクリーンはその様子を含みのある笑みを浮かべながらじっと見つめている。
「きてくれたお礼…しなきゃね」
「やめてください!!」
しばらく唖然としていたオックスは、状況を把握したらしく、勢いよくキムの肩を押した。
キムはそのまま尻餅をつき、そんなキムをオックスは真っ直ぐ見下ろす。
「どうしたんですか!?あなたはもっと気高い女性でしょ。こんな安っぽいことやめてください」
そんな風に怒るオックスを、キムはぼんやりと見上げた。
しかしすぐに打った箇所の痛みに顔を歪め、「イタタ」と小さく声を零す。
そんなキムにオックスは「すいません」と謝りながら手を差し伸べた。
キムはその手を取り、オックスに優しく立ち上がらせてもらう。
「ううん。ごめんね、すごく嬉しかったから」
そう感謝の言葉を述べるキムの後ろで、ジャクリーンの笑顔が歪んだものになったのを、オックスは知らない。
「おケガはありませんか?」
そう、オックスがキムを気遣った瞬間だった。
ズシャアッ、という何かが斬られる音と共に、オックスの頬に生暖かい何かが飛躍する。
ビチャ、と顔についたそれと「……え?」真っ赤に染まる視界「あ………」自分の手を握る彼女の手がするりと抜け「なっ―――!?」
彼女の身体が、力なく自分の方へ倒れこんできて。
「間一髪ってところかな。大丈夫だった?えーっと…オックスくん。パートナーのハーバー君も無事みたいだし……」
「な…何を……」
綺麗な長い黒い髪が、オックスの前で揺れる。
ジャクリーンではない。
彼女は確か、ナマエという名の、自分と同じ―――そして自分の腕の中で倒れている彼女と同じ、EATの生徒。
恐る恐る腕の中のキムヘ視線を落としてみれば、その背中は血だらけだった。
動揺と混乱で、彼女を抱えている両腕が震える。
視界の端に入ったナマエの持つ白い槍の先から、赤い液体がポタポタと垂れ。
オックスが何かを言う前に、オックスの顔を熱が撫でた。
「ああああああああああああっ!!!」
声にならない叫び声を出し、キムのパートナーであるジャクリーンは自分の腕を炎へと変え、その炎はナマエへと襲い掛かり。
しかしその膨大な熱量を前にして、ナマエは静かに槍を振り上げた。
その間、槍の先についた血が地面を撫でたが、ナマエはそんなことは気にしていないようだった。
「――――魂の共鳴!」
至近距離での大量の炎を目の前にして、ナマエが振り下ろす槍は半ばで怒濤の水の流れと化し、その水の龍は大口を開けた。
「っ、きゃあああ!!」
そしてその龍はそのままジャクリーンを飲み込まんと、ジャクリーンへ降りかかる。
それはジャクリーンの炎までをも包み込み、ジャクリーンは息が出来ない苦しさに、その意識を手放した。
ドサッ、と床に倒れるジャクリーンを見つめるでもなく、ナマエは再びオックスへ振り返る。
「……あ、あなたと言う人は…!じ、自分が何をしたのかわかってるんですか!?」
「何って……私は、あなたたちの作戦とは関係なく死武専の生徒を守るためにここに来ただけだよ」
「ふざけないで下さい!キムが…ジャクリーンも……は、早く治療を……!!」
そうは言うが、オックスの腕の中でぐったりとしたキムが動く様子は無い。
震える手で傷口を抑えようとしても、どんどん赤い液体は床へと広がっていって。
オックスの頬を透明な液体が撫でたが、オックスはそれを拭うでもなくキムの名前を呼んでいた。
「ダメだよ。起きたら、またあなたを襲うかもしれない」
「―――本気で、言ってるんですか?」
「?」
オックスの声音に表れた微かな怒りに、ナマエは首を傾げる。
その流す涙も、ナマエの心には響かない。
「キムも、そしてジャクリーンだって、立派な僕達の仲間―――死武専生」
だ、と言おうとしたオックスの腹部に、鈍い痛みが走る。
キムの肩を掴んでいた手に反射的に力が入り、オックスは何が起きたかわからず目線を下へと下げた。
「キ…キム?」
ビチャビチャ、と床に新しい赤が落ちる。
ブシッ、という音とともに、オックスの腹部から何かが抜かれ、キムが何事も無かったかのように立ち上がった。
「あービックリした。まさか邪魔が入るなんてね」
「……………………」
そうして立ち上がったキムは、顔だけでナマエを振り返る。
ナマエの顔にはすでに笑顔は浮かんでいなかったが、キムは気にせずオックスを見下ろした。
向けられている背中にはナマエが攻撃した形跡があったし、先ほど血を流し倒れていたのだからこんなにすんなりと立ち直れないはずだ、とナマエは怪訝な表情でその少女の背中を見つめる。
「ありがとうオックス。あなたがバカなおかげで助かったわ。紳士な男なんて退屈なだけで格好良くなんてないけどね。本当、バカ」
「あ…あ……」
チラリとナマエは背後で倒れているジャクリーンへ意識を向けたが、ジャクリーンが起き上がる気配は無い。
完全に気を失っているらしいな、と再びキムへと視線を戻した。
「道徳なんてただの重荷。持ち歩くだけ無駄よ」
オックスの傷を踏もうとしていたキムの足を、いつの間にかオックスの横にいたナマエが剣でそれを防ぐ。
少し驚いてキムは一歩下がったが、道徳操作のせいか、危機管理能力までも低くなってしまったらしい。
無表情のままナマエをじっと見つめていたが、瞬間、キムの顔が歪んだ。
「今時死武専なんてはやらないのよ。これからはアラクノフォビア」
気味悪いキムの笑い声が、煙に包まれ遠くまで響く。
ナマエはそんな笑みを、無表情のまま静かに見つめていた。