廊下を歩いていると、不機嫌そうな顔で廊下を歩くキッドを見かけた。
ナマエは小走りで彼に近寄り、「おはよう」と声をかける。
「もう昼だぞ」
「あ、じゃあこんにちわ」
「ああこんにちわ」
「……?リズ達は?」
「検査中だ」
そうぶっきらぼうに言い放つキッドの左頬が少し赤く腫れているのに気付き、触れようとそっと手を伸ばした。
ナマエの方を見ないようにしていたキッドはそれに気付かず、その指先が頬に軽く触れた瞬間驚いたように勢いよくナマエから距離をとる。
その見開かれた目に、ナマエはどうしたのだろうと首を傾げた。
「そこ、腫れてるけどどうかしたの?」
「…別に。お前には関係の無いことだ」
「わかった。女の子を振ったんでしょ」
「どうしてそうなる!?」
「この前リズに借りた漫画がそんな展開だったから」
「まったくあいつはコイツに何を教えてるんだ……」
溜息をつきながら、キッドは先ほどのブラック☆スターとの決闘を思い出す。
友人だと思っていた彼に「殺してくれ」だなんて言われて、どうしてしまったのだと嘆く暇もなく彼を力で捻じ伏せて。
オレ
神を超えると言った彼はどうしてしまったのか。
「眉間」
「は?」
「シワ寄ってるよ」
「…元々だ」
こんな奴に構っている暇なんて無いと、キッドはナマエを見ずに歩き出す。
ナマエも慌てたように歩き出し、キッドの隣を歩いていく。
「ついてくるな」
「そんなに警戒しなくても何もしないよ」
「そうだとしても、味方とは言えない貴様に気を許すわけにはいかない」
「全く、死神って言うのは怖いなあ」
あはは、と乾いた笑いを零したナマエに、キッドは「あのなあ」と振り返って。
少しだけ首を傾げるナマエへと疑問の色を浮べた。
「『怖い』、だと……?」
「ん?そんなこと言ったっけ?」
「ああ。言った。確かに聞いた」
喋りすぎたか、とナマエは笑顔の裏で冷や汗をかく。
キッドのその鋭い視線に、ナマエは無意識のうちに一歩後退した。
そして職人として―――死神として鍛えているキッドがその隙につけ入らないわけがなく、大きく一歩前へと出る。
「今の父上を見て『怖い』だなどと言う者がいるはずない……貴様、どこまで父上を知っている」
「え?いやあ、あの人の死神チョップって滅茶苦茶痛いんだよ?知らないの?」
「そういうことを言っているわけでは」
「キッド君!」
ふと声がして、ナマエとキッドはそちらを向く。
ナマエにしては救世主であったそのタイミングだが、キッドは邪魔者が入ったと声の方を睨み付けるように見た。
「喧嘩はいけませんよ喧嘩は!それに相手はこんないたいけな女の子ではありませんか」
「……オックス、何か用か?」
「すまない。もしかして邪魔をしたか?」
「そんなことないよ。ありがとう」
キッドとオックス、ナマエとハーバーがそんな会話をする中、キッドは盛大に溜息をはいて足を進める。
それをキッドの名前を呼んで止めるオックスであったが、キッドは「リズ達の検査が終わる時間だ」と言って足を止めることはなかった。
「ナマエさん、彼と何かあったんですか?」
「え?ううん。それに喧嘩してたんじゃなくてただ会話してただけだから」
「そうなんですか?それにしては彼の雰囲気が異様なくらい怖かった気がしますが……」
「まあさっきのことがあって多少ピリピリしているんだろう。仕方ないことだ」
「さっきのこと?」
さっきのこと、というのはブラック☆スターとの決闘のことであるが、ナマエはそのことを知らない。
それを悟った二人は顔を見合わせたあとでナマエにその決闘の行方を説明する。
ナマエの表情は全くといっていい程変わらなかったのでその心境を知りえる術は無かった。
「キムもまだ帰ってこないし…ああ愛しのキム……!僕はあなたの帰りを待っていますよ…!」
「帰ってこないってさっき見送ったばかりじゃないか」
「ああ神はこれを試練として僕に与えているのか……」
「えーっと…ハーバーくん、これって……?」
「もう口癖みたいなものだから気にしないでくれ」
「う、うん。わかった」
苦笑いを浮かべるナマエと涙を流すオックスを見て、ハーバーは困ったように笑みを零す。
不思議な人がいるものだなあと感心すべきなのか引くべきなのか困惑しながら、ナマエとハーバー達はそこでわかれた。
「………………………」
ナマエとわかれたあとのオックス達とすれ違ったB.Jは、生徒に挨拶することも忘れて考えに没頭していた。
マリーを攻撃したナマエ。
そしてその理由。
あの後保健室でマリーを手当てしていたときに戻ってきたスピリットに聞いた理由に納得はしたものの、腑に落ちていないのは明白である。
魂感知能力に長けた自分でさえあのときマリーに触れなければ気付けなかった違和感に、彼女は普通に気付いたとでもいうのか。
しかしスピリットが言う限り、後付けの理由でも無いだろう。
だとしたら、彼女は一体。
「っ――――!!」
またか、と立ち止まる。
デス・シティーに入ってから周期的に続くこのイヤな感覚。
魂感知能力が上がっているのか、他人の魂にとてつもなく敏感になっているのだ。
あまり良い感覚では無いため、それが来る度に身体に走る緊張感に普段よりも疲れが溜まってしまう。
しかし休んでもいられないとB.Jは首を横に振って資料室へと足を運んだ。
途中マリーからコーヒーの差し入れがあったりしながら、時計の針はマリーとの約束の時間を示す。
「しまった……マリーはもう店で待っているだろうな…」
そう後悔の言葉を口にしながら、B.Jは暗闇に包まれているデス・シティーを足早に歩き始めた。
月は静かに頭上から街を見下ろしている。
死神様に頼まれて、内部調査をしたが―――まぁ、あらかた見当はついた。
しかし、一つひっかかる。
ナマエとかいうあの少女のことだ。
彼女も鬼神復活やこの前のBREW争奪戦に深く関わっているというのに、彼女を調べる許可は死神様から降りなかった。
というより、彼女の話題を出すと上手い具合に話を逸らされてしまうのだ。
「ナマエちゃん?まあ確かに不思議な子ではあるよねえ。ミニスカートも妙に似合っちゃってるし」
「どこ見てるんですか……」
しかし彼女のことを酷く嫌っているシュタインは今そう言ったことを訊けるような状態ではないし、死神様のパートナーである先輩に訊いても何も無いの一点張り。
生徒たちにもそれとなく彼女のことを訊いてはみたものの、授業に参加し始めたのはつい最近で詳しくは知らないと言われる。
「……………………」
彼女は確実に、何かを知っている。
俺や死武専の人達、そして死神様でも知り得ないことを、彼女は知っている。
明日にでも本人に直接訊いてみるか―――と、そこまで考えた瞬間。
「――――!?」
何かドロッとしたものが、自分の中に入り込んできたのがわかった。
それは、魔女の魂を感知したときと同じ―――いや、それ以上の感覚だった。
「何だ……ウソだろ…何でデス・シティーに………」
魂に直接うちこまれるかのような狂気。
少しでも油断すれば、頭がやられそうなほどにそれは酷く気持ちが悪い。
「魔女反応が一つ…二つ……三つ――どうしてこんなに!どうなってる!?何でだ!何で誰も気付かない!」
狂気が、頭に入ってくる。
この世界の狂気。
知るにはあまりにも―――黒すぎる。
闇とも違う。夜とも違う。ただの狂気。狂ったように、それは笑う。
自分の叫びも存在すらも、全て飲み込み無にしてしまう。
「!!」
ふと、近くの路地から狂気の波長を感じてB.Jはそちらへ警戒心を膨らませる。
誘われるように、拳銃を構えたままその路地へと足を踏み入れた。
一歩、また一歩。
隅で狂気が笑うのも知らず、B.Jは広がる暗闇へと足を進める。
狂気を恐れ、狂気に脅え、狂気へ溺れ、狂気と沈み。
ソイツ
そして―――狂気と、目が合った。
「――――お前ッ!?」
静かな夜を迎えていたデス・シティーに、場にそぐわない銃声が鳴り響く。
屋根からその様子を見ていた影は、至極嬉しそうに口端をあげ、ただ暗闇を見下ろしていた。