壁にかかっている時計を見る。
時計の針は夜の7時を告げていた。
「………ナマエさん、この前のことなんですが」
棚の薬品を漁りながら、ジャスティンは静かに口を開く。
自身の名前を呼ばれたナマエはベットに腰掛けたまま首を傾げた。
「あ、もしかして気になりました?」
何のことか全く見当がつかないナマエであったが、そう適当に会話を繋げてみる。
ジャスティンと二人きりのこの空間で、無言になるのは避けたかったのだろう。
「ソウルくんと喋っていたのは、何故です?」
「え…?いや、そのままの流れで」
「意味がわかりません」
「はあ?」
意味がわからないのはこちらだと言いたかった。
彼が何を言っているのかもわからなかったが、恐らくこの間ロスト島に行ったときのことを言っているのだろうとナマエは足をぷらぷらと揺らしながら推測する。
ジャスティンは相変わらず薬品が入ったビンのラベルを見比べたりしてナマエに背中を向けたままであった。
「あー、えっと、人付き合いは大事にしようかと思って」
「ナマエさんがそんなことをする方だとは思いませんけど」
「……えーっと」
彼がどんな言葉を求めているのかがわからない。
自分に何を言って欲しいのか、彼が何を考えているのか。
何もわからなかった。
「私、帰っていいですか?」
「何故です?」
「あなたと同じ空間にいるのは耐えられないので」
正直に本音を言ってみた。
というより、昔から彼に対しては本音しか言っていない。
しかしいつも彼は笑顔でこう答えるのだ。
「またまた。相変わらずナマエさんは照れ屋さんですね」
「……………………」
彼にはそれ以上、何一つ語る意味がないので再びしばしの沈黙。
相変わらず保健室は静かだった。
「どうしました?珍しく悩んでいるような表情になってますけど」
「保健室は静かだなあって思ってるだけですのでお構いなく」
「まあ、保健室ですからね」
静かなのは当たり前だろうといつの間にかこちらを向いていたジャスティンが頷く。
普段うるさい音楽は、そのイヤホンから漏れていない。
だからこちらの口元を見ずに会話が成立していたのだろうと今更になって思い返してみる。
そして電気の点いていない保健室は酷く暗く、月明かりが微かにナマエを照らすだけで。
狂気に溺れそうなシュタインは居らず、確かにナマエとジャスティンの二人きりであった。
「では、服を脱いでください」
「はあ?」
いきなり何を言い出すのかと、本日二度目の疑問符を浮かべる。
しかしジャスティンはニコニコとした笑顔を浮べたまま、ナマエの向かい側にあるベットへと静かに腰掛けた。
「とても寒かったのでしょう?どこか凍傷になっているかもしれません。ほら、塗り薬を見つけました」
「……………………」
それを探していたのか、と中がぐちゃぐちゃになっている棚を見つめる。
そんなものは不要だとでもいうように、ナマエは静かに立ち上がった。
否、立ち上がろうとした。
「ダメですよ」
「っ!!!」
そのまま、座っていたベットへと押し倒される。
ナマエを押し倒した人物は勿論目の前に座っていたはずのジャスティン=ロウ。
その綺麗な笑みは消えることなく、熱を帯びた瞳はじっとこちらを見下ろしていた。
「それに、まだ疑問はあります」
「どいて」
「何故あなたは保健室に?」
「ジャスティン、どいて」
「あなたなら怪我なんかしていないでしょう。この塗り薬なんか、必要無いくらいに」
チラリと視界に入った塗り薬をジャスティンが先ほどまで座っていたベットの上へと放り投げる。
そんなことがわかっていたなら、どうしてわざわざ探したりしたのか。
意味がわからないとでもいうように、ナマエはジャスティンを睨み上げた。
「シュタインさんだなんていうただの職人を気にかける必要はありませんよ―――それが死神様のお心であれ」
色気を帯びた声音が、耳元でさわさわと揺れ動く。
くすぐったくはあったが、下手に抵抗しても面倒なだけである。
時計の針が7時半を示す前に、ジャスティンはその優しくも冷たくもある瞳をゆっくりと細めた。
「私と一つになりましょう、ナマエさん」
そのままジャスティンの左手がナマエの腰に伸び、もう片方の手はナマエの空いている左手を捉える。
指と指を絡ませ、握り、腰に当てた手はゆっくりと服の下へと。
「何をしてるんですか」
「!!」
突然明るくなった保健室内と第三者の声に驚き、ジャスティンは勢いよくナマエから離れる。
何も掴んでいないナマエの右手にバチバチと魂威が込められていたことも知らずにそのまま冷静を装って振り返れば、眼鏡を光らせたシュタインが保健室の扉に寄りかかっていた。
「あれ。シュタインさん。自宅謹慎中では?」
「忘れ物に気付いてね。許可は貰ってるからご心配なく」
「そうですか」
ジャスティンは微笑み、ベットに投げた塗り薬を拾う。
いつの間にかジャスティンのヘッドホンからはうるさいくらいの音楽が流れており、そのままジャスティンは塗り薬を棚へと戻す。
勿論中はぐちゃぐちゃなので元の場所などわからず、しかし整頓をしようかと悩む仕草も見せずジャスティンは棚の扉をゆっくりと閉めた。
「まあ別にどうこう言うつもりはありませんけど、場所くらいは考えましょうよ」
「何の話ですか?」
「いえ。別に」
「それでは私はこの辺で」
「ええ。お気をつけて」
ジャスティンは不貞腐れたような顔でベットに腰掛けているナマエのことをチラリとも見ずにシュタインの横を通って保健室から出て行く。
それを見送ることもせず、シュタインは静かに自身の机を漁り始めた。
「お前がジャスティンと話してるだなんて珍しいこともあるんだな」
こちらに背中を向けたまま喋るシュタインに、ナマエは「成り行きでね」とだけ答えて小さく欠伸をする。
シュタインは目当てのものが机の引き出しに無かったようで今度は隣の棚を漁り始めた。
「俺のときはあれだけ嫌がってたのにな」
「……?何が?」
「わからないなら別にいい」
目的の物が見つからず、苛立ったようにシュタインは棚の扉を閉める。
そしてぐちゃぐちゃになった薬品棚を通り過ぎ、今度は資料が入った引き出しを次々と開け始めた。
「帰らないのか?」
「別にジャスティンに用があったから保健室に来たわけじゃないんだけど」
「へえ。じゃあ俺に用があったとか?」
「まあそんなところ」
「………………………」
冗談っぽく笑いながら言った言葉への返答に、シュタインは驚いたようにナマエを振り返る。
しかしナマエはベットに座ったまま足をぷらぷらと揺らしていて、こちらを見ようともしていなかった。
「狂気に溺れそうな俺の監視でもしに来たのか」
「そんな面倒なことしないよ。でもほら、その、マリーさんに謝っといて」
「は?」
ジャスティンにナマエが言ったように、今度はシュタインが驚いたように声を出す。
相変わらずナマエは後ろを向いているのでどんな表情を浮べているのかはわからない。
「まあちょっと色々あって、スピリットに怒られて、だから」
「そういうのは自分で謝るものだ」
「マリーさん、私の顔とか見たくないだろうから」
「俺も見たくないんだが」
「それは嫌がらせ」
「殺すぞ」
「やってみろ」
そんな会話をするが、シュタインが探し物をする手をやめることはない。
ナマエも足を揺らしているだけで、動こうとはしなかった。
「何を探してるの?」
「タバコだ」
「禁煙中って聞いたけど」
「捨てるために探してる」
「あっそ。じゃあ私は帰るから」
「ああ」
そして一度も視線を合わさず、ナマエはシュタインを見ることもなく、保健室の扉を開けて暗い廊下を歩いて行く。
静かに背後で閉まった扉を振り返ることもなく、シュタインは探し物を続行した。