気が付いたのは今朝のこと。
違和感があったのは月曜の朝から。
「なあ名字」
「なに?七島くん」
金曜日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り終わった頃合を見計らい、俺はクラスメイトである彼女に声をかけた。
後ろの席の友人は既に芹沼のところへ話しかけに行っていた。
いつもなら俺もそれに続くかそれよりも先に芹沼へ声をかけるのだが、今はそれよりも隣の席の彼女に用事があった。
名字なまえ。自分とは違う長い黒髪が、綺麗に揺れる。
「お前、五十嵐のこと平気になったのか?」
「…………え?」
なに、と聞き返してきたその表情が一瞬だけ強張ったのを俺は見逃さなかった。
それを彼女も気付いているはずだ。それでも、白を切れると思っているらしい。
そんなものは無駄である、と口端を上げた。
「最近、普通に挨拶返してるだろ。前はすげぇ素っ気無かったじゃん」
「そう?だとしたら悪いことしたかな。五十嵐くんは気にしてなさそうだけど」
「ぐ、」
まるで俺が細かいことを気にするタイプみたいじゃないか、と遠まわしに刺さった棘に顔をしかめる。
自身の攻撃が俺に効いたのがそれでわかったのか、名字は可笑しそうに笑みを零した。
「どこが苦手だったんだ?」
「まるで私が五十嵐くんを苦手みたいな言い方!」
「わざとらしい」
前まで(正確な日にちは思い出せないが)、確かに名字は五十嵐に対して距離を置いていた。
朝の挨拶も事務的なものであったし、席が近いというのに二人が世間話をしているところも見たことがない。
五十嵐は基本誰とでも仲良くできる人気者で、分け隔てなく誰とでも接している。
名字も明るい性格で女子にも男子にも人気がある、どちらかといえば五十嵐のようなタイプの人間だ。
五十嵐のことだ。あいつ自体は名字と話すことに抵抗などないだろう。しかし、名字は―――五十嵐が苦手なのか、それともわざと壁を作っているのか、必要以上に近付こうとしていなかったのである。
「心配しなくても、七島くんの親友である五十嵐くんと仲悪くなったりしないよ」
「いちいちそういう言い方をしなきゃ喋れないのかおめーは」
「あはは。七島くんこわーい」
こういう冗談を言い合える仲になったのがいつなのかはあまりちゃんと覚えていない。
だが名字はこういう性格だ。俺だけにではなく、他のクラスメイトにもそうだ。
表裏のないその性格は誰にでも好かれるし、彼女自身敵を作るような人物でもない。
「あのな、「ナナ!」
話を戻そうとして名字へ人差し指を向けたところで、聞き覚えの声が俺の名を呼ぶ。
自分をそう呼ぶのは彼くらいだ、と話の中心でもあった五十嵐がこちらに来るのを視線で追った。
名字がどんな表情をしていたのか忘れた、と彼女へ慌てて視線を戻したが、それは先ほどと変わっていない。
「名字さんと何話してたんだ?」
「え?ああ…」
どうしてそんなことを訊くのだと一瞬思ったが、話を遮ってしまったことに気付いた彼なりの気遣いなのだろうと、どう誤魔化そうか視線を横に流した。
「英語の宿題の範囲を聞いてたんだ。私、聞き逃しちゃって」
「そうだったのか。でもそれはナナじゃなくて俺に訊いたほうがいいぞ。間違ってるかもしれないから」
「五十嵐、どういう意味だよそれ」
そのまんま、と憎めない笑みを浮かべる五十嵐に溜息を吐き、鞄を持って席から立ち上がる。
よく上手く誤魔化したものだ、といった風に名字へ視線を流せばあちらもそれに気付いたようで、軽く微笑まれた。
「じゃあね、2人とも」
「じゃーな」
「また来週」
先ほど五十嵐へ誤魔化したときも、今の挨拶も、やはり前とは違う。
一体何があったのだろう、と俺は答えの出ない疑問を抱えたまま、五十嵐と共に芹沼の元へ行った。