「霊幻さんって、怖くないんですか?」
「怖いって……何が?」
芹沢のおかげなのか嵐の前の静けさなのか、島崎が依頼人の前に姿を現す回数は随分減ったらしい(依頼人いわく、だが)。
しかしこれがいつまで続くのだろうという疑問はある。
例えこの事務所が暇だとして(あくまでも例え話だ)も、芹沢がいつも一緒にいられるわけではない。
今だってそうだ。それに依頼人もずっと一緒にいてくれという我侭を言うほど追い詰められている様子はなかった。
むしろこんなに一緒にいてもらっていいのか、と不安そうにこちらを尋ねてきたので今は自分が彼女の話し相手になっている。
エクボもいない昼間の事務所に2人。正直、今島崎に出てこられたら手のうちようがなかった。
「霊とか怪人とか…」
「……前から気になってたんですが、その"怪人"ってのはなんです?」
その単語は、この街では聞きなれないものである。
最初は"能力者"のことを彼女が独自にそう呼んでいるのかと思ったが、おそらくそうではないのだろう。
依頼人は少し躊躇った様子を見せた後、持っていた湯呑みを机の上に置くと口を開いた。
「私、昔から襲われやすい体質で。でも、誰にでもってわけじゃないんです」
「あー。その、襲ってくるのを"怪人"と?」
「うーん。まあ、そんな感じです」
恐らく自分の推理は違ったのだろう。しかし彼女自身も上手く説明ができないのか、それでいいかと妥協で首を縦に振る。
自分もそれ以上深く関わるつもりはない、というかそいういう"特殊体質"があるならば彼女は"一般人"とは少し違うのかもな、と今度はこちらが湯呑みの中のお茶を口に含んだ。
「さっきの質問の答えですが」
湯呑みを机の上に置く際、思ったよりも勢いがついてしまいカタンと音が鳴る。
「この仕事について長いのでもう慣れましたよ。特に怖いとかはありませんね」
「なるほど」
「………あ〜、"参考程度"に訊きますが、なまえさんはそういったものは」
「得意、ではないです」
「そうですか」
その苦笑いは『得意ではない』というより『苦手』という分類だろう、といった推理を悟られないよう笑みを浮かべた。
なんとなくエクボの言っていたことを思い出し訊いてはみたが、やはり彼女にエクボや最上のことは言わないで正解のようである。
見えるならまだしも、見えないのなら今度はその恐怖に苛まれてしまうだろう。
あるいは、島崎あたりがどうにかしてくれるのだろうか。
「(いやいや……)」
その"島崎"を"どうにかしないといけない"のが今回の依頼だ。
「というか、名前……」
「ん!?あ、いや、これは失礼しました」
依頼人に指摘されるまで、彼女を自然と下の名で呼んでいたことに気が付かなかった。
やってしまったと慌てて取り繕うが、口からでた言葉は戻ってこない。
気を悪くしただろうかと依頼人の顔色を伺いながら彼女の名字を呼ぼうと記憶を掘り起こす。
ここにきたとき、彼女は自分に何と名乗ったか―――
「いえ、いいですよ。そのほうが呼びやすいなら」
彼女はそう言いながらニコリと微笑む。
芹沢がいたら顔を真っ赤にしていただろう、と笑いをこらえようと右手を口元に持っていこうとしたが、既に自分の右手は自身の口元に置いてあった。
「(え?)」
その右手は緩む口元を抑えるためだということにすぐ気付いた。
しかし、何故。自分の口元が緩む必要があるのか。
それに、気のせいか右手に顔の熱が伝わる。
部屋が熱いからか、と机の端に置いてあった空調のリモコンへ、空いているほうの手を伸ばそうとして。
「なまえさんの身体が冷えますので」
「ぎゃあ!」
「うわあっ!」
2人の情けない悲鳴が事務所に響く。
ぎゅっ、と右腕が引っぱられる感覚。何事かとそちらへ首ごと振り返れば、今までソファの向かい側に座っていたはずの彼女が自分の隣に座っていた。
今は自分しかいないからだ、と何故か瞬時に頭の中で理由を探している。
届かなかったリモコンは島崎によって更に遠くへ置かれ、自分は再び前を向いた。
「一度ならず二度までも…少し妬けますね」
「どうしてそれほどまで彼女にこだわる?能力者でもなんでもないのに」
「人を好きになるのに理由がありますか?」
平然と言ってのけた島崎に、彼が本気なことを悟る。
だとしても依頼人が迷惑だと思っていることは事実だ。
伝え方さえ間違えなければこうはならないというのに、と考え、目の前の能力者が"まとも"でないことを思い出す。
「私は引く気もなければ譲る気もありません。それを言いに来たのです。生憎と彼はいないようですが」
彼、というのは芹沢のことだろう。
確かに芹沢へこの仕事をふっかけたのは自分だったが、まさかあそこまで上手くいくことになるとはいかなかったので、いい感じじゃないかと第三者目線でいたというのにこれだ。
近くにある使える道具といえば、先ほど口をつけた湯呑みくらいだろうか。だとしても、島崎ならこれを避けることは容易だろう。
ポケットの携帯…を取り出す暇を与えてくれるとは思えない。
かといって、自分の右手をしっかり掴み、こちらを頼りにしてくる彼女に格好悪いところを見せるつもりもなかった。
「そんなに警戒しないでください。なまえさんが悲しむようなことはしませんよ」
「え?いやあ…」
それは依頼人に向けられたというよりは自分に向けられた言葉だった。
まるでなまえさんが悲しまなかったら自分の命はなくなるような発言に、冷や汗が背中を伝う。
「そ、そうだ!私、朝ゴミ捨てるの忘れて出てきちゃったから、誰か捨ててきてくれないかな…」
「任せて下さい。なまえさん。頼るのは私にだけでいいですよ」
そう甘い囁きを残し、島崎の姿は一瞬で消えた。
「……良かったんですか?」
「はい。最近じゃ家事全般やってて…」
「いや、なんか溶け込んでません?」
それじゃ意味がないだろう、と彼女に向き直ろうとして右腕が何かに引っかかった。
そこで、未だ彼女が自身の右腕を掴んでいることを思い出す。
彼女も気付いたのだろう。慌てたようにその手を離した。
「すいません!つい…」
「い、いや」
なんだろう、と居心地の悪い気まずさにもう中身の少ないお茶を飲み干す。
子供じゃあるまいし、と再び口元を手で覆った。