(零崎双識)
「やあお帰りなまえちゃん!私にご飯を作る?一緒にお風呂に入る?それともやっぱり私と寝る?」
「うわ変態だ」
家に帰ってまさかの第一声がそれだった。
「変態とは心外だ。また光栄でもあるが、私は首を長くしてなまえちゃんが帰ってくるのを待っていたんだ」
「兄様。それは不法侵入というのでは」
「なまえちゃんどこでそんなものを学んだんだい?」
「常識ですが」
まあ殺人鬼を前に常識を出すのもおかしな話ではあるが、にしたって殺人鬼集団である零崎の一人、零崎双識がここにいるのは変である。
なぜなら、私は誰にも自分の自宅を教えてないからだ。
「お兄ちゃんをなめないでほしいな。妹のことならなんだって知ってるんだよ」
「私の個人情報手にしながら言わないでくれませんか」
靴を脱いで家にあがり、鞄をソファの上に軽く放り投げて座る。
人識も舞織もこうして被害にあったのか、と当たり前のように自分の隣に座ってくる双識を見上げた。
「で?双識兄さん。何か話があってきたんでしょう?」
「まあね。何も無かったら可愛い妹の家に勝手に上がりこむことなんてしないさ」
「お兄ちゃんなら突然お風呂場に現れてもおかしくないですけどね」
「おや。それは次の機会にやろうと思ってたんだけど先に言われてしまったね」
「(先に言っておいて良かった)」
というか冗談なのだけど、と未だに電気のついていない部屋の天井を見上げる。
どうやらこの家に住めるのも今日で終わりのようだった。
「誤解されやすくて困るんだが、私は極めて控えめで、相手を立て、目立つのを嫌う性格なんだ」
「まだ軋識が私のこと好きっていうほうが信用できますよそれ」
「なんだよ!私だってなまえちゃんのことは大好きだぞ!」
「はいはい」
自殺志願をその手に持ちながら腕ごとぶんぶんと縦に振るそれに少し体勢を後ろに崩しながら、そんな兄を適当になだめる。
自殺志願は零崎双識の愛用する武器であり、自身の名よりもそちらで呼ばれることもしばしば。
私は勿論、兄のことを武器の名で呼んだことはない。それは、他の家賊にもいえることである。
ただ、私が未だに会ったことのない家賊についてはわからないが。
「まあ、そういうことだからなまえちゃん。新しい家が見つかるまで私と一緒に過ごそうか」
「でも、兄貴は呪い名に狙われてたはずでは?」
「それがなんとも不思議なことに、今、私は誰にも狙われてないんだ」
「珍しいこともあるんですね。ならいいでしょう。双兄と一緒なら心強い」
「!」
兄が驚いたように目を見開き、その似合わない眼鏡の奥の瞳と視線が合わさった。
手にしていた自殺志願は床に落ちることはなかったが、危うく落ちるところだったのでは、と自然とそちらに視線が行く。
「私のほうこそ冗談だよなまえちゃん。一緒に過ごそうなんてね。でも、そうだな。とても嬉しかったよ。嬉しすぎて私はこれからコサックダンスしながら始められそうだ」
「………それは私がいないときにして下さい」
「いや、だって、私としてはなまえちゃんにきっと断られるんだろうと思ってたんだ。なのに二つ返事でOKしてくれるとは。いやはや、お兄ちゃん感激だよ!」
感激の気持ちをコサックダンスで表すというのは如何なものだろうか、という言葉を出しかけてやめる。
後ろを振り返ろうとして、兄が軽く微笑んだのでそちらへ意識を向けた。
「兄様ちゃん」
「とうとう呼び方が合わさってきたね。なんだいなまえちゃん」
「それを貸してほしいんです」
「自殺志願を?」
「うん。だって、双識兄はそれを持たない方が強いんですよね?」
「ふふふ。なまえちゃん。強いとか弱いとかそういうのはどうでもいいよ。なまえちゃんがそういうなら、是非とも貸してあげよう。ただ、貸すだけだからきちんと返して欲しいがね」
瞬間、二人が同時にソファの上から姿を消す。
右にナイフを三本投げ、床にしゃがんで息を潜めた。
既に先ほどまで座っていたソファはズタズタに引き裂かれていて、先ほど投げたナイフだってきちんと敵に当たったかはあまり自信がない。
敵といっても"零崎"を狙っているのか"私"を狙っているのかがわからなかったが、兄がここへこうして姿を現したのはこういうことだったのだろう。
息を潜め、敵の気配と殺意を探る。
しっかりと自殺志願を握る手に、じわりと汗がにじんだ瞬間。
「もう出て来ていいよーなまえちゃん!」
「え?」
兄の声が響き、無意識のうちに声が出てしまう。
ハッとして立ち上がりかけた腰を落とすが、既に敵に気付かれてしまっただろうと場所を移動しようとして。
「!」
部屋の電気がつけられ、眩しさで一瞬目が眩む。
「それで、さっきの話なんだけど、実は今日は私が料理を作ってあげようと思うんだ」
どれだけ前の話だ。
「―――じゃなくて、え?本当に終わっちゃったんですか?」
「そりゃあ、終わってもいないのになまえちゃんを呼ぶなんて危ない真似、なまえちゃんが本当にいるときには言わないよ」
ゴト、という音になんだろうとそちらを見てみれば、腕が机の上から転がり落ちたようで、新しくしたばかりのカーペットの上で静かに赤を広げている。
さきほどの『出て来て良い』という言葉が敵の罠かと思って身構えたというのに、と手にしていた自殺志願を兄に差し出した。
「ありがとうございました」
「うふふ。それに、なまえちゃんが私の武器を使って怪我でもしたら大変だからね」
強さのレベルが違う、と軽くなった手を見下ろす。
あれだけ一瞬で終わるとは思わなかったし、最悪腕の一本や二本と思っていたところだ。
流石だ。流石、私達の家賊。
「じゃあ行こうか」
ここにはもういられないしね、と兄は血に染まっていない両足で玄関への道を歩いて行く。
そういえば何で敵を殺したのだろうかと死体を見て、先ほど私が敵に投げたはずのナイフが近くに落ちているのを発見した。
私が投げたのが当たったとは思えない。
つまり、兄は私が投げたナイフをキャッチして、それを使ったことになる。
「(この人は、どこまで)」
「それで、結局私の呼び方は決まったのかい?」
もう二度と足を踏み入れないであろうマンションを背にして私達は暗闇を歩いていた。
スーツ姿が驚くほど似合わない兄と、外を歩くにはラフすぎる服装の私が歩いているのを他の人が見たらどう思うのだろうと考え、まあいいかと思考を放棄して、その回転を先ほどの質問へ向ける。
「うーん。何て呼んでほしいですか?」
「そりゃあもう、語尾にハートをつける勢いで『お兄ちゃん』と!」
「お兄ちゃん」
「………すまなかった」
なんでそこで謝られるんだ、となまえは眉間に皺を寄せた。
恋でも愛でもありません
(だけれど兄が大好きです)