(阿修羅)
最後に残ったのは小柄な人間だった。
苦戦した覚えも傷を負った記憶もないのに、何故か自分がひどく荒い息をついていることに気付く。
こちらを見開いた目で見つめるその顔はとても幼い。
「あ、んたも魔女の仲間なの…!鬼神を復活させ、ようと……!」
その声音に聞き覚えはない。
恐怖と狂気に歯をがちがちと鳴らしながら、少女はこちらを睨みつけてきた。
「…っ、」
めちゃくちゃに襲ってきた鎌を避けながら、こちらは少女の間合いに入り短剣を突き刺そうとする。
だが、その刃が少女の身体へ食い込むことはなかった。
「――なまえ」
今日まで何度もこの場で聞いてきた声が、初めて自分の名を呼んだのである。
弾かれたように振り返れば、そこには見覚えのある姿。
目の前にいた少女も、目の前の光景に圧倒され動くことができないらしい。
力の入らなくなってしまった両足から地面へ崩れ落ちる音が背後でしたくらいだ。
「……なまえ、だったか?」
確かめるように名を呼び、"それ"はこちらへ顔を上げる。
「ああ…怪我を、しているじゃないか…」
こちらが名を呼ぼうと口を開いた瞬間、"それ"はニタリと笑った。
先ほどまでの戦闘で確かに怪我は負っていた。
だとしても、今はそんなことどうでも良かった。
地面に倒れた職人、武器、魔女、そして不死身の男のことなど気にする必要はない。
「き、しん……」
それを背後で口にした少女に、もう戦意があるとは思えなかった。
鬼神。
自分達の目の前にいるのは、魔女たちが必死に復活させようとした、"鬼神"阿修羅。
その復活を阻止しようと少女たちは動いていたのだから―――目の前の"鬼神"が復活した光景を見て、"そう"なってしまうのは仕方のないことだろう。
対して、自分は。
この空間を守るために動いていた自分は、今、一体何を思っている?
「阿修羅、」
口から自然と鬼神の名が零れ落ちた。
一歩、また一歩と彼に近付いていく。
「復活、したの…?」
「見てわからないか?」
まるで狂気そのもの。
ゾクリ、と背筋が凍るのがわかった。
こんな―――"こんなもの"を死神は封印していたというのか。
復活させてはいけなかった。外へ出してはいけなかった。
"こんなもの"が狂気をバラまけば、世界は簡単にオカシくなる。
そんなことはわかっているのに、そうならないように自分はこの部屋にいたはずなのに、どうして手に武器を持っていないのだろう。
手放した短剣は地面にぶつかることなく見覚えのある白猫へ姿を戻し、小さくにゃあと鳴いた。
「…来るのか?俺と」
気付けば、手を伸ばさなくとも触れられる距離に阿修羅がいた。
来る?つまり、阿修羅と一緒に私が行くということか?
そんなこと考えたことがなかった。"誰かと共に"なんて選択肢は最初から存在していない。
それに、人嫌いの阿修羅が誰かを誘うなどというのもなんだか可笑しい。
ここがこんな空間でなければ、今にも笑い出しているところだ。
しかし、私は笑えなかった。
「なんだ。どうしたい」
気付いたら手が震えていた。
何故だろう。恐怖のせい?それとも狂気のせい?
阿修羅へ手を伸ばす。
不思議と、それは拒絶されなかった。
「そうか。なら…行くか」
狂気に揺れる
(飛び出した先の空は何色に見えるのだろう)