(須木奈佐木咲)(球磨川禊)
須木奈佐木咲は未だ学生である。
将来、そうでなくなる未来があるかもしれないとはいえ、今はまだ、水槽学園の3年4組に所属していた。
今日も何の気なしに、いつも通りに、放課後、生徒会室へやってきただけである。
あの『混沌より這い寄るマイナス』に会いに行くというわけでもないが、といつものようにその手を扉へかけた。
「………………………」
須木奈佐木が想定していた人物はそこにはいなかった。
しかし、その代わりとでもいうように、見知らぬ人物がそこにいた。
「あ、やっときた」
そう声を発した少女は、この学園の制服を着ていない。
どこの制服だろう、と須木奈佐木は目を細める。
見覚えが無いわけでもないが―――思い出せない。
「いや、というかあなた誰?」
「え?名字なまえだよ」
少女―――名字なまえは何の抵抗も無く名を名乗る。
須木奈佐木もそれに釣られて自己紹介しそうになったが、待てよ、と常識を思い出し思いとどまった。
「いやいやなんでそんな私がさも当然のようにあなたを知って……いやいやいや、待って、あなた今、名字なまえって言った?」
「うん」
「あー……本当に?あなたが、あの?」
「?」
どうやら困惑していた須木奈佐木に心当たりがあったようで、今度は別の意味でなまえを観察し始める。
ふぅん、などと意味ありげな言葉を零しながら、須木奈佐木は数歩だけなまえに近付いた。
「私は須木奈佐木咲。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ聞いたことがあるんだけど、なんか、予想してたのと違うかも」
須木奈佐木は自身の名を伝える。
しかし、なまえが首を傾げている理由については答えるつもりはないようだった。
「でよ、あんたに訊きたいことがあんだけど」
須木奈佐木の可愛らしい顔を覆い隠すマスクに、彼女は手をかけていた。
そのままマスクを外した須木奈佐木は、そのギザギザの歯を光らせて笑う。
「普通、特例、異常、えっとあとあれだ、過負荷に悪平等。まだまだ色々いるのかもしれねぇが俺が知ってるのはこれくらい。で、ここからが本題。あんたはそれらの違いがわかるか?」
酷く高圧的な態度。初対面にも関わらず、彼女は##name_##に対して上から目線である。
「ちなみに俺は過負荷に分類されるんだろうよ」
須木奈佐木の手には、いつの間にか1枚のカードが握られていた。
一体なんだろうか、となまえはトランプでもなさそうなそのカードをじっと見つめる。
「あんたはな…よくわかんねーな。異常とか聞いたけど、本当にそうか?」
「あの、須木奈佐木さん。私は」
「俺のスキルが通用するのかもわかんねえし。試してみるか?」
言うが早いか、須木奈佐木は既にそのカードをなまえへ対して投げつけていた。
勿論、運動神経や反射神経が人並み以下であるなまえにそれを避けるどころか認識することすら出来ない。
故に、須木奈佐木のスキル―――操作令状はなまえへ当然のように突き刺さる。
『そんなわけないだろ』
偶然か当然か。
そのカードは、彼の螺子によって砕かれた。
『咲ちゃん、女の子に乱暴はだめだぜ』
「…よく言うよ」
須木奈佐木は、慣れた手付きではずしたばかりのマスクを装着する。
するとどうだろう。先程までの雰囲気とは打って変わり、おどおどとした控えめな女子高校生へと様変わりした。
なまえはそんな須木奈佐木を物珍しそうに眺めていたが、その視線を遮るように間に彼が割って入る。
「『ようこそ水槽学園へなまえちゃん』」
そう言って差し出された手を、なまえはじっと見下ろした。
「球磨川くん、もしかして知り合い?」
「『ん?まあ知り合いじゃないって言ったら嘘になるけど、そういう咲ちゃんは#なまえちゃんとどういう関係なのかな』」
先程の光景を見て出た疑問なのか、それとも須木奈佐木がなまえを知っていたような口をきいたところから話を聞いていたのかは知らないが、球磨川はくるりと須木奈佐木へ向き直る。
「別に。今知り合ったばっかりだよ」
「『へえ。それにしては随分仲良さそうだったけど』」
「あは。もしかして球磨川くん嫉妬してるの?」
「『当たり前だろ』」
「……………………」
冗談に即答した球磨川に、須木奈佐木の顔が引きつった。
勿論マスクをしているとはいえ、その表情の変化は球磨川には手に取るようにわかるだろう。
しかし慣れているのか気にしてないのか、球磨川はそんな須木奈佐木の反応に対して特に何も言わなかった。
「『なまえちゃんはちゃんと異常だぜ、咲ちゃん』」
「いやだな、聞いてたの?」
「『なまえちゃんがここにくる前から僕はこの部屋にいたんだよ』」
「さっさと出てきなよ……」
はあ、とため息をつきたくなった須木奈佐木であったが、球磨川の言葉を聞いて先ほどよりも慎重になまえを観察しだす。
なまえはそんな視線に気付いているのかいないのか、須木奈佐木の方は見ていなかった。
「『で、なまえちゃん。さっきの咲ちゃんの質問の答えは?』」
それを訊くのか、と須木奈佐木はチラリとなまえを見る。
「違いは…まあ、わかるけど」
なまえは困惑気味に頷いた。
「『じゃあ僕から質問だ。特例だとか異常だとか、とりあえずそういうエリートは死んだ方がいいと思わない?』」
「!?」
球磨川の質問に驚きの表情を見せたのはなまえではなく、球磨川の隣にいた須木奈佐木である。
なまえは表情は変えなかったものの、すぐに答えを出そうとはしなかった。
「『だってあいつら、気持ち悪いでしょ?』」
気持ち悪いと言いきった球磨川が、須木奈佐木の目には酷く滑稽に映った。
そんな言葉が、どの口から出てくるのだと。
「『エリートを皆殺しにすればいい。そうすれば世界は平等で平和でしょ』」
そのあとにできる馬鹿ばっかりの世界ってきっと最高だと思うんだ
そう球磨川は格好付けて口にする。
なまえの反応を窺うように。
恐怖するだろうか。嫌悪するだろうか。気味悪がるだろうか。それとも、まさか。怒るだろうか。
しかし―――なまえは。
異常であると断言された名字なまえは、この場に相応しくない惚けたような表情を浮かべ、首を傾げて
「球磨川くんってばかなの?」
そう過負荷へ問うた。
「『………………え?』」
対し、球磨川は想定していなかったとでもいうように、短く声を零す。
「エリートは皆殺しにされないからエリートなんだよ」
「『ん?……んんん?ちょ、ちょっと待ってなまえちゃん。つまり、どういう意味なのかな?』」
なまえの思考回路に追いつけないでいる球磨川は、混乱していることを隠そうともせず素直に疑問を口にした。
先程から静かに会話を聞いていた須木奈佐木も、どうやらなまえの言っている意味が理解出来ていないようだった。
「だってそんな、球磨川くんとかに簡単にやられちゃう人なんて、エリートになれないでしょ?」
「『………………………』」
球磨川は何か言いたげに口を開いたが、静かに閉じる。
そして自分の気持ちを落ち着かせたのか、再び口を開いた。
いつもの虚勢の笑みを貼り付けて。
「『馬鹿なのはそっちだぜなまえちゃん。僕が言いたいのはそういうことじゃないし、というかまず僕に失礼だし、馬鹿だって馬鹿なりに頑張れるんだぜ』」
そこで一呼吸置いて、球磨川は言葉を探す。
えっと確か、この間の授業で教師が言っていたはずだ。
「『何とかと何とかは使いようって言うだろ?』」
「それじゃあ何が何だかわかんないよ」
馬鹿と鋏は使いよう
(マイナスの考える明るい未来)