(獅子王)

「主ー、主ー」

声が良く通るように右手を口の横に添え、目的の人物を探す。
この姿になってからというものの人間の色々な仕草は大抵真似してみたが、こうすることによって目的の人物が必ず見つかるわけでもないらしい。
人気のない縁側を歩いたところで、この広い屋敷では下手すると誰にも会わないことがある。
まあ一部を除いてそれほどはしゃぎ回ったりはしないので、どの辺りにいるかなどは予想が付くのだが。

「どうかしましたか?」

凛とした声。
いつの間に、と思ったが、彼女はいつもそうだと思い出し、ゆっくりと後ろを振り返る。

「あー、主を探してるんだけど、どこにいるか知らないか?」

「主でしたら長谷部さんたちと馬小屋の修理をなさっています」

「そうか…」

どこか壊れていた箇所があっただろうかと記憶を探ると、そういえばまた岩融が何かを壊したと先日騒いでいたな、ともしかしてという苦笑いが零れた。

「急ぎの用ですか?」

「え?いや、そういうわけじゃないんだ。別に戻って来てからでも大丈夫だしな」

「でしたら獅子王さんが探していらしたとお伝えしておきます」

「あー」あー、あー

先程口の横に置いていた右手を、今度は後頭部へ持っていく。
人間は何か困ったときにこのような格好をしていたが、今ならその気持ちがわかるような気がする。

「その獅子王さんっての、いいよ。呼び捨てで」

「しかし私はあなたの主ではありません」

「そう、だけど」

そこまでバッサリ言われてしまうと言葉に詰まるな、と後頭部に持って行っていた右手を静かに下ろした。
確かに彼女は俺の今の主ではない。
彼女自身、自分のことは気にするなと言っていたが、一時期主の近侍をやっていた自分は彼女の事情を知っている。


「もし私に何か危険が差し迫ったとき、彼女は私の身代わりになる。そういう役割なのだ。彼女は」



そう、主は言っていた。
主は彼女ほどではないが心の内を表に出さない。
しかしそれでも何か―――何か言いたげだったその表情は、彼女のことを想ってか。否か。

「だったら尚更、仲良くしようぜ」

「………………?」

「俺は刀で、あんたは俺の主じゃない。だったら何も遠慮することなんてねえだろ?」

腰に携えた刀に軽く触れる。
刀である俺自身が刀を振るうというのは少し可笑しな話だったが、今となってはもう慣れたことだ。
倒すために、守るために、何かの為に刀を振るえる。俺は、きっと力になれてる。

「……獅子王」

「!」

彼女の綺麗な唇からその音が紡がれた瞬間、俺は何故か息が苦しくなった。
何故だろうと首に触れるが、呼吸はきちんと出来ている。
しかし、どうしてか。彼女を見ていると、なんだか。

「では、獅子王。私の名も」

いつの間にかいつもの距離を置くような喋り方は取り払われていた。
どこか嬉しそうに見える彼女の表情を見て、俺の右手は彼女へ伸びる。
ぼんやりとした頭はその行動を認識していたが制御しようとはしない。
彼女はそんな俺の右手を不思議そうに目で追っていたが、その右手が彼女の頬に触れた瞬間、驚きの色へ変わった。

「…………なまえ」

口の中で転がしていたその名を紡ぐ。
彼女は自分で言ったにも関わらず心の準備が出来ていなかったのか、いつもの無表情が少し崩れる。
そんな表情を少しでも長く見ていたくて、俺は何回も彼女の名を呼んだ。

「し、獅子王」

彼女の手が、彼女へ伸ばした俺の手に触れる。

「呼びすぎです。その、少しは控えて」

「え?でも……」

「……普通、人間はそのように何度も名を呼びません。そうでしょう?」

俺の記憶でも覗いているのか、その綺麗な瞳は真っすぐこちらを見上げていた。
確かにそうだったな、とゆっくり右手を彼女の頬から離す。

「そろそろ主が戻ってこられます。用があるのでしょう?」

「ああ…そういえば」

そうだったな、と主への用を思い出すが、どうにも頭がぼんやりする。
彼女と二人でいるこの空間から、どこにも行きたくない。
それは叶わぬことだと知っているが―――それなのにどうしてこんな。

「一緒に行きますか?獅子王」

彼女は俺の名を紡ぐ。
俺は彼女の名を呼ぼうとして、再び口の中で転がした。


泡沫の金


(大切な名だ。とても大切な)



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