(零崎人識)(いーちゃん)
「しかし妙なこともあったもんだな」
「実に奇妙だ」
「奇妙と妙ってどう違うんだ?」
「知らないのか?字数が違う」
暑くも寒くも無い、この過ごしやすい気候の中、ぼくはなんとなく遠出をしていた。
普段行かない場所なものだから動き回るのはどうかと思ったが、足が勝手に進むのでまあいいかとそのまま自分の足が行きたいところへ運ぶ。
そこで見つけた小さな喫茶店。
喉も乾いたことだし、と中に入ったところ、見覚えの顔がそこにあった。
「こんなところで何してるんだよ。零崎人識」
「見てわかんねーのか?ジュース飲んでるんだよ」
「お茶してるって言うんだぜ、こういうのは」
年齢はぼくと同じくらいだろうが、こう見えてこいつは殺人鬼だ。
哀川さん曰く、『この世で最も敵に回すのを忌避される醜悪な軍隊にして、この世で最も味方に回すのを忌避される最悪な群体』とのこと。
そんな殺人鬼―――≪零崎≫である奴の銀髪や大量のピアスというのもかなり目立つが、やはりなによりそいつの顔にある大きな刺青が目を引く。
しかし、ぼくはそれよりもそんな殺人鬼の隣に平然と座っている人物が気になった。
「あ?なんだよ」
「いや、そっちの人、知り合いか?」
人識とは違い、黒く長い髪。背は人識より少し大きいくらいだろうか。
女性―――と表現するには少し幼いように見える。
この喫茶店は二人しか客がいないようで、しかも店員も奥にいるのか人気が驚くほど無かった。
そんななか自分の顔よりも大きなパフェを食べているのだから、"普通の人間"ではないのだろう。
「知り合いっていうか、妹だけど」
「え?」
と、疑問を漏らしたのはぼくではない。
「姉だよ人識」
「は?妹だよ妹」
少し高めの、それでいて幼さの残る声音が店内に落ちる。
口に運ぼうとしていたフォークは空中で止まっており、その上にはバランスよく一口サイズのアイスが乗っていた。
どうやら少女は人識の言葉に不満があるようで、少し眉間に皺を寄せている。
「人識、おまえ姉…妹?血縁者がいたのか?」
「繋がってねえよ」
「え、じゃあそういうプレイ…?」
「アホか!ただの家賊だ!!」
どうやらこの手の冗談はまだ人識には早かったようで、店内の静かな雰囲気をぶち壊すのもお構いなしに人識が否定の言葉を口にした。
しかし―――簡単に訂正するが、その言葉が意味するものは容易な存在ではない。
「≪零崎一賊≫…おまえ以外は見るのも聞くのも初めてだな」
「そりゃそうだろ。ふつう、≪零崎≫と縁を持ちたい奴なんていねえしな」
人識の言葉を受けて、自然と目が隣の少女を追ってしまう。
観察するような視線を送っていることにハッとなり慌てて目を逸らすが、少女は気付いているのかいないのか、気分を害した様子も無く目の前のパフェを食べていた。
「……………………」
ぼくは少しだけ考えると、足音を気にせずスタスタと歩く。
突然動いたぼくが気になったのか、人識と少女はじっとぼくを見た。
そして、ぼくはカウンターの椅子に腰を下ろす。
「店員さーん?」
「おい…おいおいおい」
店の奥をのぞきながら注文のために従業員を呼ぶが、返事も気配も無い。
ぼくの後頭部から声がかかったので、一体なんだという表情をわざとらしく浮かべて振り返った。
「なんでそこに座るんだよ。席なら他にもたくさんあるだろ」
「寂しいこと言うなよ。それに、どちらかって言われたらやっぱり女の子の隣に座りたいじゃないか」
「あのなあ……」
その呆れは"女の子の隣"という方に向いているのか、それとも"殺人鬼の隣"という方に向いているのかはわからなかったが、恐らく両方だろう。
確かに、零崎人識とは違い、この少女はぼくのことを何も知らない。
今にだってぼくの喉を(別に喉じゃなくとも良いのだが)その手にしているフォークで串刺しにすることなど容易だろう。
「人識の友達?」
「なわけねーだろ」
「無関係だよ。ぼくとこいつは」
ふぅん、と軽く頷いただけの少女の前に置かれたパフェは、既に半分ほど減っていた。
その小さな身体のどこにこれだけの量が入るのだろうかと考えたが、女の子のことなどぼくはちっともわからないので不毛な問いはやめることにする。
「えっと…名前を訊いてもいいかな」
「それは、どっちの?」
少女の大きな黒い目が、じろりとこちらの目を覗く。
その目はどこまでこちらを見透かしているのかなどわからなかったが、ぼくはとりあえず言葉を選んだ。
「≪零崎≫じゃないほう」
他の誰でもなく、あの哀川さんが言っていたのだ。その警告ともとれる感想に、今回ばかりは従うべきだろう。
≪零崎≫という名前を"口にする"という形でも、関わりたくないというあの言葉。
「…なまえだよ」
「そう。ぼくのことはいっくんでもいーちゃんでも好きに呼んでくれて構わない」
「人識(仮)」
「「やめろ」」
左右から同時に制止の声がしたというのに、少女は構うことなくパフェをもう一口、口に運ぶ。
「私が空気読んで、違う席に移動するけど?」
「いいや。こいつが空気を読んで帰るべきだ」
「お前こそ空気を読んで店員さんを呼んでくるとかしてくれないか」
そんな冗談を言っていると、ふと、ぼくの前に置かれている水が視界に入った。
慌てて店の奥を振り返るが、やはり誰もいない。
しかしこのカウンターに、ぼくが座るまで水は無かったはずだ。
そういえば店内に入ったときと今ではなまえと名乗った少女が食べているパフェの種類が違うような気がしたし(ぼくはこういうものには疎いので気のせいかもしれないが)、一体なんなのだ、と店内を見回す。
「……なまえちゃんたちはどうしてここに?」
「いきなりちゃん付けかよ」
「仕方ないだろ。他に呼び方もないし」
名前しか名乗ってもらえなかったんだ、と肩を竦めるが、人識は拗ねたようにストローを口にくわえジュースを一気に飲み干す。
人識のほうが圧倒的に彼女のことを知っているのだからぼくに嫉妬するのはおかしいだろうとため息を吐きそうになったが流石にやめた。
それに、ぼくに名乗ったこの名が、本名であるとは言いきれないのだ。
「…人を探してるの」
「人?どんな」
「あーそんな話部外者にすんなよ。ほら、水でも飲んでな」
そう、人識が自分の横に置かれていた水が入ったコップを彼女に差し出した。
彼女は持っていたフォークを紙ナプキンの上に置くと、ゆっくりそのコップを握る。
「………………………」
その瞳の奥で、何かを考えているのだろうか。
なにやら彼女の雰囲気が少し変わったような気がしたが、どこがどう変わったのかうまく言葉に出来ないのでぼくは目の前のメニューを見るふりをした。
「オススメは?」
「コーヒーでも飲んでろ」
「なまえちゃんに訊いてるんだけどな」
「だから気安く呼ぶなって」
ぼくが声をかけると、彼女は水を飲むでもなく再びフォークを手にしてパフェを食べ始める。
しかし質問の答えを少し考えているようで、その目は宙をぼんやりと見ていた。
「カレーとか」
「え?」
「シチューもあるよ」
あまりにも店の雰囲気に合わないメニューに、思考が一瞬停止する。
しかし、まあ、そういう"普通じゃない"ことをしたことによる宣伝効果でも狙っているのかもしれないとぼくはとくに何を言うでもなく手元のメニューに視線を落とした。
「……………………」
確かに、『カレー』と『シチュー』の文字が書いてある。
値段もそれほど高くは無い。
どうしたものかと自分の腹と財布に相談するが、特に問題は無いようだった。
「じゃあ、カレーにしようかな」
そう言ってみたものの、店員がこちらへ来る気配は無い。
どこかに彼らを呼ぶボタンでもあるのかと辺りをそっと見回したが、それに近いものは見当たらなかった。
「……そのパフェ、美味しい?」
先程声を出して店員を呼んだのもあって、二度目に声を張り上げる勇気が萎む。
少し彼女と話でもするか、と世間話を振ってみた。
無視されるかと思ったが、彼女は口の中にある食材を飲み込むとゆっくり口を開く。
その奥で人識が退屈そうにこちらを睨みつけてきたが、気付いていないフリをした。
「美味しいよ」
「そうなんだ。なまえちゃんは甘いものが好きなの?」
「甘いものというか、食べ物全般」
食べることが好きという意味だろうか、と彼女の言葉を頭の中で反復する。
「じゃあ今度、京都の美味しい店に連れてってあげようか」
「はあ!?」
声を張り上げたのは、今までぼんやりとぼくたちの会話を聞いていた人識。
まあ想定内だったので、ぼくは静かに言葉の続きを口にした。
「まあ流石に人が多いところには連れて行けないけど」
「なんでおまえがそんなことするんだよ」
「知らないのか人識。これはナンパっていうんだよ」
「殺人鬼をナンパしてんじゃねーよ」
つうか行かねぇからな、と何故か人識が断りを入れてくる。
「人識も行く?」
「行かねえよ。ていうかなんでお前は行く気になってるんだよ」
彼女が人識の方へ顔ごと向き、首を傾げる。
人識は相変わらず呆れたように彼女を見ていたが、やはり心配なのだろう。
殺人鬼とはいえこういう感情はあるのか、とぼくは無意識のうちに彼女たちを観察していた。
「…………………?」
彼女が持っていた水に何やら不純物のようなものがあった気がして、視線がふと下を向く。
「あのな、やめとけよ。今は食事中だから大人しいけど、こいつ、おまえのことなら殺すぜ?」
「…?ぼくのことなら?」
人識の言い方が引っかかり、視線をコップから人識へ移す。
相変わらずの呆れた表情だったが、それ以上何かを言うつもりはないらしい。
「………まあ、冗談だよ。ぼくだって死にたくないわけじゃないけど≪零崎≫に殺されるのはまっぴらだ」
「よく言うぜ」
それは何に対してのため息だったのかはわからなかったが、間にいた彼女が立ちあがったのでぼくたちは会話をやめる。
どうやらパフェを食べ終わったようだ。
「カレー、きたよ」
「え?」
そう言われて不意に視線を自分の前に戻すと、そこにはいつの間にか美味しそうなカレーが置かれていた。
勿論、美味しそうなカレー独特のにおいも鼻をくすぐる。
それなのに、彼女に言われるまで全く気付かなかった。
「そんじゃな、≪欠陥製品≫」
「ああ。またな、≪人間失格≫」
「なにそれ」
「別に」
ぼくたちの挨拶に彼女は首を傾げていたが、人識は特に説明もせずカウンターに金を置いて店を出て行く。
ぼくも特に言うことはなかったので、カレーを食べ始めようとスプーンを手にした。
「さっきの話だけど」
「うん?」
「八ツ橋とか、そういうのがいいな」
「……………機会があれば」
「うん」
本気なのか冗談なのか、彼女はこちらに背を向けていたため表情で判断することは出来なかった。
その際ぼくは殺される覚悟で案内しないといけないな、と彼女が触っていた何故か中の水が濁っているコップを見つめながら他人事のように考えた。
他人共有空間
(このカレー、結構おいしいな)