(ロブ・ルッチ)

黒い服に身を包んだ男は、ロブ・ルッチと名乗った。
なので私も下の名だけを名乗ったが、彼はどうやらその名を呼ぶ気は無いらしい。
しかし私は彼の別名を知らないので、ルッチと呼ぶ他なかった。

「ねえルッチ。この船はどこに向かってるの?」

「口を閉じろ」

寡黙な彼はそれだけを言うと再び人形のように動かなくなった。
私の手には海楼石で出来た手錠がはめられている。勿論、能力者でない私に海楼石など効果が無かったが、説明するのも面倒なので何も言わない。
刀は他の仲間がどこかへ持って行ってしまったのだろう。室内をぐるりと見渡したところで見つかることはなかった。

「世界政府と海軍ってどう違うの?私にはよくわからないな」

「…………海賊にとっちゃ、どちらも敵だからな」

まさか返事が返ってくるとは思わなかったので、ルッチの楽しそうな―――虎が獲物を見つけたような笑みをきちんと見ることが出来なかった。
何がそんなに楽しいのだろう、と考える。答えはそう難しくない。きっと彼は誰かを倒すのが好きなのだ。もっといえば、血を見るのが好きなのだろう。しかし、血に飢えた様子は見られない。飢えてはいないのか、隠し事が得意なのか。

「お前は白ひげの船で何をやってたんだ?」

「何も」

首を横に振る。
それは事実だった。戦いに赴くこともしなければサポートに回ることも無かった。
いずれそんな未来が合ったのかもしれないが、そうなる前にCP9という肩書を持ったルッチに捕えられてしまったのである。
しかしCP9は海軍に追われる身になったはずだ―――あれは単なる誤報だったのだろうか、とエニエス・ロビーの事件を思い出して首を傾げた。

「どうしてこうもあっさり捕まった?」

「あっさり…って」

これでもこちらは真剣に逃げていたつもりだったのだ。まさか瞬歩が苦手という欠点がここで足を引っ張ろうとは、と彼の素早かった足を見る。

「"死神"、か…」

カツ、という足音に顔を上げた。
こちらを見下ろすルッチと目が合い、その冷たい視線に背筋が凍る。
一歩また一歩とこちらへ近づいてくるルッチに、本能的に後ろへ下がろうとした。
しかし後ろは壁であり、足にも勿論枷ははめられている。
逃げることも出来ない。そしておそらく、彼らに私を逃がす気はない。
目の前までルッチの長い脚が近付いて、彼はゆっくりその場にしゃがんだ。

「白ひげの命でも狩ろうとしてたか?」

「そんなわけ……」

元々この世界と私の世界では"死神"の定義が違う。
私は"人ならざる者"をいるべき場所へ送るものであり、生者の魂を取ったりなどはしない。

「なら俺を殺しにきてくれたのか?」

「え?」

ルッチの低く静かな声が、地面を這って私の耳へ到達する。
彼は今――――何を言った?
他人を好んで殺し、血を求め、正義の名のもとに悪を裁く彼は。

「―――――死神、」

そう囁くルッチの顔がゆっくりと近付いてくることにハッとなり、咄嗟に拘束されている腕でルッチを押し返そうとする。
瞬間、視界を暗闇が覆った。

「!?」

「馬鹿かお前は…」

突然の重さに身体は後ろへ倒れそうになり、すぐ後ろにあった壁に全力でぶつかる。
その衝撃で軽く後頭部を壁にぶつけたが、距離はそんなに遠くなかったのでダメージは無いに等しい。
それよりも一体何が、と状況を理解しようとして、首筋にかかる生暖かい息に鳥肌が立った。

「え、な、なに、」

「……海楼石…手錠をどけろ…」

そう力無く言葉を喋るルッチの唇が微かに首筋をなぞる。
そして、理解した。
私が腕を伸ばした瞬間海楼石の手錠がルッチへ当たり、それがルッチの力を失わせ、私に覆いかぶさる形になっているのである。
まさか海楼石にここまでの効果があるのかと驚き、いやしかしそんな場合ではないと混乱する頭を落ち着かせようと、口を開いた。

「…能力者なの?」

今さらそんなことを聞いてどうする、とルッチが思っているのがその沈黙から伝わってくる。
しかしどうしようも出来ないのだ。
ルッチを押し返そうとした腕は私とルッチの間に挟まれ、僅かに動かすことも出来ない。
それに動かせたとして、私の腕力でルッチの筋肉質な身体を動かせるかどうか、と腕に力を入れるがびくともしない。

「いいから早く……」

「わああ喋んないで!」

唇が首筋をなぞるのと、ルッチの低い声が耳元で聞こえるのとで、こんな状況にも関わらず何故か恥ずかしくなってくる。
どうにかする案を考えるからとりあえず口を閉じていてくれ、と必死で頭をフル回転させようとした。

「…?……ああ…なるほどな」

「だから、」

「なまえ」

「!!」

何かを理解したようなルッチの言葉でさえ、私の顔に熱を集める。
だから喋るなと言おうとした矢先、ルッチの唇が私の名を紡いだ。
突然のことに肩が跳ね、言葉が出てこない。

「は、話なら後で聞くから今は、」

「なまえ…話相手になってやる」

「そんなに喋る元気あるなら早くどいて!」

「こうなった原因はお前だろ…嫌ならさっさとどうにかすることだ」

喉の奥で笑うルッチの声は、先ほどよりも元気になっている気がする。
これにも慣れがあるのだろうかなどとふと考えてしまったが、今はそんな場合ではないと必死に身体を動かそうとした。
しかしそれが仇となり、首筋すれすれのところにあったルッチの唇が、完全に私の首に触れてしまう。

「ひっ!」

「……色気の無い声だな…」

「な、なにして……」

首筋に生暖かい何かが滑り、小さく悲鳴をあげた。
何を思ったのか、ルッチが首筋を軽く舐めたらしい。
そして私の拒絶も空しくルッチが喋るものだから、先ほどから全身に鳥肌が立って仕方が無い。

「だ、誰か」

「口を閉じろと……最初に言ったはずだ」

本当は彼に海楼石が効いていないのでは、と疑うほどにその手は素早く私の口を塞いだ。
しかし確かに海楼石は効いているらしく、私が逃げようと腕を動かすとルッチに更に手錠が当たり、口を塞いでいる手の力が弱まることに気付く。
それは同時にルッチの身体全体から力が抜けることを示しているので、ルッチにどいてもらいたい私からしたら逆効果だった。
ならどうしろというんだ、と揺れる船の中、今までに無いくらい頭をフル回転させることになる。
その結果逃れられるかどうかは別としてだが。


運否天賦


(こうなったら嵐がきて船が大きく揺れるしか…)
(考え事とは随分余裕だな)



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