(白澤)

流石閻魔殿というだけあって、広い。でかい。
まだ数回しか足を踏み入れたことのないここの地理を、私はまだ覚えていなかった。
EU地獄のように部屋を借りてしまえば自由に動き回れるので地理を覚えるのは容易である。
しかし、この閻魔殿には"あの男"がいる。
私を脱走癖のある亡者と勘違いしている、あの鬼が。

「あれ。こんなところに。珍しいね」

噂をすればなんとやら。
振り返ったそこに、知った顔の鬼が立ってい…

「……………?」

「ん?どうかした?僕の顔に何かついてる?」

「あー…いや、」

なんだかいつもより雰囲気が柔らかいような気がした。
というかいつも口より先に手が出ているというのにどうしたのだろうと額に目をやって。

「げ」

それが人違い(という言葉を使うのかはわからないが)ということに気付いた。

「人の顔をじろじろ見るなり失礼だなあ。そんなんだから罰せられちゃうんだよ」

「…余計なお世話ですよ」

自然と敬語になる。
目の前の男は、私が会うのを避けていたあの鬼ではなかった。
かといって、彼はどちらかというと鬼よりも会いたくない存在である。
にしても顔が似すぎじゃないか、とその細められた目に視線を戻した。

「あなたこそ、神獣だというのに地獄にも顔を出すんですね」

「女の子がいるところなら僕はどこにだって現れるよ」

「…………………」

なんだこいつは、と初対面にも関わらず私は怪訝な表情を隠さなかった。
しかし目の前の男はそんなことは気にしていないとでもいうようにニコニコと笑っている。

「でも、そっかあ。噂には聞いてたけど、君がねえ…」

「………………………」

観察するような視線が居心地が悪く、目を逸らした。
彼が人の姿をしているからといって人ではないことは、すぐにではないがわかった。
彼があの鬼と似たような顔をしていなければすぐに理解しこの場から逃げていたというのに、と八つ当たりのようにあの鬼へ怒りを募らせる。

「!」

瞬間、突然の暖かさにゾワッと鳥肌が立った。
意識を目の前の彼に戻してみれば、何をそんなに驚いているのか、といった風に首を傾げて笑みを浮かべている。
―――私の右手を両手で包みながら。

「あの、なにして……」

「うん。いいね。君、名前は?僕は白澤…って、まあ言わなくてもわかるだろうけど」

男―――白澤は全てを見透かした上でニッコリと笑顔を浮かべた。
白澤。神獣。聖獣。人間を災いから守る、病魔や災い除けの象徴である彼。
私は彼に限らず、"神"に近いモノはトラウマのようなものになっていて、あまり近付きたくないのだ。
それに、罰のせいかトラウマのせいか、こうした神に近しい存在というものに私は本能的に怯んでしまって、今だって逃げたい気持ちで一杯にもかかわらず足は一歩も動かない。

「なまえ…です」

「なまえちゃんか!素敵な名前だね。どうかな、これから僕とお茶でも。ああもちろん桃源郷じゃなくて地獄にあるお店で構わないから」

グイグイとこちらに迫ってくる彼は、恐らく女遊びというものの常連なのだろう。随分と手馴れているそれに、私は彼が神獣でなくとも戸惑っていたと思う。
ていうか女遊びに手馴れている神獣ってなんだ。ありなのかそれは。神的に。

「どう?」

「いやです」

「うーん。そういうと思った」

残念だなあ、と言う男の眉は確かに八の字に傾き残念そうな表情になっているものの、口元の笑みは消えていない。
何か嫌な予感がする、とその場から離れようとして、私の手を包むその両手に力が入った。

「女の子に無理強いとかしないし基本的に嫌がることはしたくないんだけど、なんていうか、君が"そういう存在"だから仕方ないのかな」

「え?」

「ほら、行くよなまえちゃん」

「ちょ、ちょっと!」

包んでいた私の手をそのまま握り、スタスタと歩き出してしまう彼。
勿論"彼という存在"に怯んでしまっている私が彼のその手を振り払えるはずもなく、されるがままに歩いて行く。
どうしてこういうときに限ってあの鬼は出てこないんだ、と優しく握られている手を見下ろした。

「神獣ともあろう方が、普段からこんなことを?」

「さっきも言ったでしょ。僕は女の子に無理強いとか嫌がることはしないって。同意をもらわなきゃ僕は何にもしない」

「じゃあこれは」

「君が"罰を受けてる存在"だからかな。なんだかイジワルしたくなっちゃうんだと思うよ」

そう子供じみた、しかしどこか大人の余裕を醸し出している笑みを浮かべ、彼はこちらを振り返る。

「あと僕のことは白澤でいいから」

「はくたく……さん」

「うん。まあ、今はまだいっか」

私の呼び方が彼の想像しているものとは違ったのか、少し首を傾げたあと、こちらを安心させるような柔らかな笑みを浮かべた。
こうして見てみるとあの鬼とはまるで違うな、と横に並ぶ彼の歩幅が私の歩幅と同じになっていることに気付く。
繋がれた手は離されないままだが、それが遠い昔からの罰のせいで痛みを感じないわけではないことも理解していた。

「これから行くお店、甘味が凄く美味しいから。それで機嫌直してよなまえちゃん」

「………………………」

別に機嫌が悪いわけではないが、彼とお茶をすることは既に決定事項なのか、と仕方なく首を縦に振った。


紳士的和解


(ふふ、そのあとはどこへ行こうか)
(え、別行動がいいです)



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