(鬼灯)

柱にくくりつけられた彼らを見る。
伊邪那美の御殿。その玄関にある何本もの柱。
低く苦しそうな呻き声だけを出すようになった彼らも、最初の頃は抵抗したり懇願したり何らかの言葉を発していた。
しかしもうそれもしていない。

「………………………」

この御殿の主である彼女に用があるわけではなかった。
かといって、柱にくくりつけた彼らに用があるわけでもない。
ただ1つ、誰もくくりつけられていない柱の前で立ち止まる。

「よお、丁」

からかうような声音。
振り返らなくともそれが誰かなんてすぐにわかった。

「…いい加減、大人しく柱にくくりつけられてくれませんか」

「嫌だよ。苦しそうだし」

実際苦しいのだからこうして彼らをくくりつけているんだ、と言っても彼はケラケラと笑うだけだろう。
ななしという名を持つ男は、今の私と同じくらいの年齢に見える容姿になってここにきた。
とはいっても彼が死んだのはこの地獄ができる前のことで、本来ならここで柱にくくりつけられている村人同様私の個人的な恨みで苦しんでいるはずなのである。

「この前唐瓜って小鬼に聞いたぜ。お前、閻魔大王にも容赦ないんだって?一緒にいた茄子って小鬼も言ってたから相当なんだな」

「……………………」

「なあ今度紹介してくれよ、その閻魔大おっ」

音も無く振り返り、容赦なく左手を伸ばして彼の首を掴み、その勢いのまま地面に叩き付けた。
力の加減などしない。
右手で持った金棒を振り上げたところで、いつものような笑みを浮かべる彼と目があって、無意識のうちに右手が停止する。
彼の視線に―――怯んだ?この私が。まさか。

「なんだ、怒ったのか?丁」

「今更ですね。私はあなた達を恨んでいると言いませんでしたか?」

「その不愉快そうな顔。昔から変わんないな」

地面に叩きつけられて負った傷も、死者である彼はすぐに元通りになる。
しかしまだ私の左手は彼の首にかけられており、右手には金棒。
再び再生するとはいえ、苦しまないわけではない。

「なあ丁」

ガッ、と油断していた私の喉元に彼の右手が伸びた。
十分な力の無い亡者のはずなのに、どうにも彼の手は私の首に絡み付いて離れない。
彼と私がまだ生きていた頃。年の近かった私達は毎日のように顔を合わせていた。
小さい村だ。顔を合わせないようにするほうが難しいというもの。
彼は人を怒らせるのが得意だった。しかし、逆上して子供や大人が掴みかかったところで、子供なら彼の力の強さには敵わなかったし、大人が相手なら彼は大人の手に掴まらないよう逃げるのも得意だった。
そうやって他人をからかっては、彼は毎日を退屈そうに生きていた。
そして私がその対象にならないわけがない。

「気付いてるか?」

「………………?」

私の首に絡み付いている彼の手に力が込められた。
しかし所詮は亡者。
鬼である今の私にそんな力が通用するわけもなく、微塵も痛くない。
それなのに、何故か息苦しい。
彼の、ななしのその笑みが、私は大嫌いだった。

「お前が今していることは過去に俺がしていたことだ」

ななしの笑みを含んだ言葉が耳に入ってくる。

「気に入らない奴を痛めつけて、有り余る力を振りかざし、自分が敵わない者などいないと驕るそれは昔の俺だ」

「……今のあなたはそうではないと?」

「お前の目にはどう映る?丁」

ジロリ、と視線を彼の首へ動かした。
左手をどけてみれば、そこにはくっきりと私の手の跡がついている。
彼の右手も私の首から離れ、その手はゆっくりと私の頬へ触れた。

「"俺"になった気分はどうだ?」

そのうっとりとした視線にハッとなり、彼の上から勢い良く立ち退いた。
彼は上半身をゆっくりと起き上がらせ、痛むのか自分の首に軽く触れる。

「村の奴らはどいつもこいつも"自分止まり"だったからな。俺のようにはならなかった。その点、お前は俺に一番近かった」

「何の話を、」

「お前の話だよ丁。俺は人間が好きで、特にお前が大好きだ。だからお前を俺にしようと思った。そうすればお前が俺を嫌いでも、お前は俺を忘れないから」

立ち上がる彼は勿論丸腰。柱にくくりつけた縄や炎から逃げ出す術は持っているとしても、鬼である私に敵うはずもない。
それにここは伊邪那美の御殿であり、勝手をすれば彼女の怒りを買うのは一目瞭然。彼も下手なことはしないはずだ。
それなのに、蛇に睨まれた蛙になってしまったかのように、私の身体は動かない。

「死んでから、鬼になったお前に会ってびっくりしたよ。まるで俺がもう一人いるみたいだった」

そう言って、彼は、ななしは、至極嬉しそうに笑った。
大声で。ゲラゲラと。
何がそんなに嬉しいのか、私にはさっぱりわからなかった。
それなのに彼はその笑顔をこちらへ向ける。

「嬉しいよ丁。俺はお前が大好きだ」

「………私は、あなたのことも、彼らのことも、大嫌いですよ」

「知ってるよ。だからこその『復讐』だ!」

ななしの言葉と共に、復讐の対象である彼らを囲っていた炎が、勢い良く燃え上がった。
一体何事だとそちらを見れば、彼らがいつもより一層、苦しんでいるのが見える。
この炎は亡者如きが操れるものではない。
だから、彼が操っているのではないと即座に判断することができた。
私の恨みに呼応する炎―――その炎が、ななしに呼応した?
そんな、まさか。
・・・・   ・
私は私で―――彼ではない。

「地獄じゃ『自業自得』『自己責任』が基本理念。復讐するならそれも自己責任だ」

彼に視線を戻す。
先ほどとは違い、いつものように静かに笑みを浮かべていた。

「俺には心なんてものがない」

ケラケラと笑う彼の視線の先には、苦しむ村人と、燃え上がる炎が存在する。
それからゆっくりとこちらを見ると、一歩、また一歩と私へ近付いてきた。

「そして、お前は鬼になって人間の心を失った」

私の目の前に来た彼は、トン、と私の左胸へ手を当てる。
私は後ろにある彼がくくりつけられていたはずの柱に背を軽くつけたまま、自分よりも少しだけ背の低い彼を見下ろした。
金棒で殴ってしばらく喋れなくしてしまえばいいのに、どうして私は、彼の話なんかに耳を傾けてしまっているのか。
再び彼の手が私の顎へと伸びるのを払いのけることもしない。
丁、と優しく彼が呼ぶ。

「『復讐』をしたって何をしたって、お前の心が満たされることはもうないぜ。今だって、苦しむ奴らを見てなんとも思ってないんだろ?」

「それは私が彼らを恨んでいるから、」

「お前、『恨み』がどういう感情か、もう覚えてなんかないだろ?」

彼の手が私の顎から頬、額へとすべり、生前にはなかった角を優しくなぞる。
死んだ後で、何らかの制裁を下す。そう死の間際に私は言った。
強く恨み、彼らを憎み。そうして私は鬼となった。
覚えている。覚えているとも。
あの焼けるような苦しみ。あの燃えるような怒り。
全てをきちんと、覚えている。

「(覚えている――――はずだ)」

そのはずだ。

「お前の復讐が終わる日はこない」

再び頬へ戻ってきたその手は私の唇に触れる。
うっとりとした、それでいて満足気な表情を浮かべる彼の目に、私はどう映っているのか。
それを考えるだけで気分が悪くなった。
私は私だ。彼ではない。
彼の言う"俺"になど、"私"はならない。
丁、と再び彼が私を呼んだ。

「お前、『気が済むまで』俺達への復讐を続けるんだろ?」

昔言ったよな、とななしが笑う。

「俺は俺の『気が済むまで』お前の事をからかうって」

勝手に一人で死んだ馬鹿


(やっとまた会えたんだ。仲良くしようぜ)


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