(スピリット=アルバーン)

「あー…なんだこれ。だる」

朝起きて、身体が鉛のように重いことに悪態をつく。
その口も既に動かすのが面倒なくらい重くて、一体何事だろうかと辺りを見渡した。

「………………………」

相変わらずそこに阿修羅はいない。

「怪我はしてないし…血も流してない……頭が痛い……」

箇条書きにノートにまとめるかのように呟き、ベットから立ち上がった。
その際に足がフラつき、近くにあった柱に手をつく形になる。

「具合が悪くなったら、保健室」

それは学生の常識だ、とフラつく足で地下を出た。
口うるさい嫌な奴がいるが仕方がない。こんな状態では授業もまともに受けられない。
解決策もなく、ノイズを探すよりは保健室に直接行くほうが早いだろうと足を進めるが、どうにも景色が変わらない。
保健室ってこんなに遠かったっけか、と遠くで聞こえるチャイムの音が頭に響いた。

「………………………」

こういうときに限って誰にも会わない、と死武専の建物の構造を何故か恨む。
さっきよりも頭がボウっとしてきた気がするし、身体もだるければ足も重い。
しかしもう少しだあとちょっと、と自分に嘘をついてようやく保健室の前までたどり着いて扉を開ける。

「え」

扉を開ける。
扉を開ける。
扉をあけ

「嘘………」

一気に身体の力が抜け、その場に立っていられず地面に座り込んだ。
一度そうなってしまえばもう立ち上がれず、途方にくれるしかなかった。

「……あのクソ博士」

保健室の扉は閉まっていた。
中に人の気配もなく、完全に休業中である。
保健室としてあるまじき姿だと怒りを露にしたかったが、そんな体力もない。
風邪を引いたときに限って唯一役に立つであろう部屋の主は一体今どこにいるんだ。眼鏡割るぞ。

「何してんだお前…」

聞き覚えのある声が、頭上から降ってくる。
顔を少しだけ横にずらし、声の主を見上げた。
心配しているような、それでいてどこか引き気味の表情が伺える。

「冷たくて気持ちいい」

「汚いだろ、そこ」

「……………………」

「なまえ?」

座り込んだ廊下は、誰もいないからかとても冷たかった。
なんだか身体全体が熱を持っていたので、私の身体は自然とその廊下に横になっていて。
こちらの名を呼ぶスピリットの声が遠くなる。
なんだかすごく、からだがだるい。

「……………あれ?」

気が付いたらそこは廊下ではなかった。
身体もいつも通りとはいかないものの、だるさは随分となくなっている。
起き上がりつつ辺りを見渡してみればそこはどうやら保健室の中のようだった。

「ようやく起きたか」

「…?なんでスピリットが」

「覚えてないのか」

聞き覚えのある声とともに視界に入ってきた人物は予想していた白衣の男ではなく、エプロン姿のスピリットだった。
というかなんでエプロン姿。

「食えるか?」

「いや……なんで?」

「なんでって…薬飲むんだから、何か口に入れないと」

「薬…?」

「?」

お互い頭の上に疑問符を浮かべ、話が根本からかみ合っていないことを認識しあう。
私は目の前に置かれたスープへ視線を落とし、これは一体どういうことだろうかと眉を顰めた。

「体調悪いんだろ?」

「うん」

「で、熱もある」

「うん」

「身体がだるくて食欲がない」

「うん」

「風邪だろ」

「風邪?」

なんだそれは、と添えられていたスプーンで目の前のスープをつついてみる。

「もしかして、風邪引いたことないのか?」

「言ってる意味が…あー、頭痛い」

ぐるぐると半透明のスープに浮かぶにんじんをスプーンで追い掛け回していたからか、ガンガンと頭の中で傷みが暴れだした。
スプーンをスープの横に置き、横になろうとする。

「おい。だからいいから食え」

「いい。ノイズつれてくれば治る」

「んなこと言ったっていつ連れてこれるかわかんねえだろ」

「あー…」

寝たら回復したというのは気のせいだったのかもしれない。
ぼんやりとする視界で、背後にある枕と目の前のスープを比較した。
どう見たって今の私に魅力的なのは背後にある枕で、スピリットには悪いがこんな体調で目の前のスープに惹かれない。
しかし、恐らく私が食べない限りスピリットは口うるさく言ってくるだろう。
まるで保護者だと言おうとして、そういえばスピリットには娘がいたんだったと思い出した。

「離婚の、反動で…」

「ん?」

「料理が出来るようになった」

「俺の話か?」

「うん」

「余計なお世話だ」

一度置いたスプーンを再度手に取り、再びスープをかき回す。
保健室に当然調理道具などないわけで(この部屋の主は実験器具などを使用していたが)、恐らく近くにある食堂でも借りたのだろうとスプーンですくってスープを口に運んだ。

「…………わからない」

「何が」

「味が」

ひとくち口に運んでしまえばあとはすんなり飲めたものの、何度スープを口に入れてもその味を確かめることが出来ない。
もしかして味がないんじゃないかと未だ漂うにんじんを見下ろしながらスプーンを動かした。

「相当重傷だな。ま、それ食ったらこれ飲んで寝てろ」

こちらの食欲がないことを見越していたのか、スープの量は比較的に少なかった。
それでも全部を飲みきるのは辛かったが、残すとまた何か言われそうだったので勢いに任せてスープを飲み干す。
味がわかるときにもう1度飲んでみたいものだけど、そんなことを言うとスピリットが調子に乗りそうなので忘れることにした。

「地下に戻って寝る」

スプーンを置いてベットから降りようと足をおろし、立ち上がろうとする。

「おい、いきなり立ち上がると危ないぞ」

そんな声が聞こえたが、一刻も早く横になりたかったのでふらつく足に力をいれて動かそうとした。
それがいけなかったのか、スピリットの言葉がフラグとなって私の身体がぐらりと倒れる。
いつもなら体勢を立て直すなど造作も無いが、今に限ってはそれも無理な話で。
傾く景色に、私はどうすることも出来ずに床に倒れた。
はずだった。

「ったく、危ないって言っただろ」

「う………」

エプロンの生地が顔にあたる。
どうやら倒れる前にスピリットが支えてくれたようで、すぐ近くからスピリットの声が降ってきた。

「一人で歩けるか?」

「歩ける歩ける」

「嘘つけ」

コクコクとスピリットの質問に首を縦に振れば、スピリットの呆れたような声。
保健室まで自力で歩いてこれたのだ。地下に戻ることだって出来るはずだろう。
なにより、ここで寝ていてはいつあの男が現れるかがわからない。
こんな状態では絶対に会いたくない、とそう思ったのがいけなかったのか、ガラリ、となんの前触れもなく保健室の扉が勢い良く開いた。

「あ」

「あ」

スピリットと、今一番聞きたくなかった声が、スピリットに支えられたままの私の耳に入ってくる。

「……………先輩、何してるんですか」

「いや、これはその、誤解だシュタイン」


青ざめた午後


(しかもエプロン姿…すみません、俺にはちょっと理解が……)
(だから違うって言ってるだろ!)
(面倒なことになった)



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