(球磨川禊)


バタバタと廊下を走る音がうるさい。バタバタと。人の気配があちらこちらに。うるさい。教室の後ろの方で騒いでる不良たちのような、いや、行事の際の生徒会長の挨拶のような、のほうがわかりやすいかもしれない。思い付いた案外良い例えにくすりと笑みをこぼす。が、すぐに静かにする。

誰にも見つかりたくはない。

退屈な授業、騒がしい休み時間、いつも通りの放課後。
それら全てが面倒になった。
だから、逃げ出してきたのだ。
先生もクラスメイトも別に嫌なわけじゃない。
ただ、サボりというものをしたかったという好奇心。
もうすぐ休み時間も終わる。
クラスメイトが探している声がするが、私は隠れる。
体育が得意なわけではないけど、気配を消すのは上手いほうだと思っている(というよりいつも人吉くんに「お前居たのか」と驚かれる)(思い出したら腹立ってきた)(失礼じゃないか)。
眉間に皺が寄るのがわかった。
いかんいかん、とおでこに手をやった瞬間、

「『きみ、もうすぐ授業だよ』」

と、背後から声が聞こえた。
しかもすぐ近くから。
振り返る。

「『早く行ったほうがいいんじゃないかな?』」

おどけた口調で言う男を、私は知っていた。
確か、球磨川とかいう人だ。
別に仲が良いというわけではない。
新しく入ってきた転校生の話は聞いているし、というか夏休み前に衝撃的な登場の仕方をしたんだ。忘れるわけも無い。
でも、問題はそこじゃない。
どうして彼は、私なんかに声をかけた?
彼は確か−十三組とかいう意味のわからないクラスの人間だったはずだし、ここは−十三組のクラスからは程遠い場所だ。
というか女子トイレだった。

「『あ、ちょっと!』」

考える前に先に身体が動いていた。
逃げないと。
私の人生初のサボりが台無しになってしまうとかではなく、とにかく彼が危険な人間だと察知したのでがむしゃらに走る。

「……………………」

危険を察知して興奮しているのか、いつも以上に走っても息は切れなかった。
確か彼はあまり運動が得意なほうじゃなかったはずだと考えて後ろを振り返る。
良かった、着いてきてない。
前を向く。
球磨川禊が立っていた。

「―――――!?」

「『ちょっと、なんで逃げるのさ』」

声にならない驚き。
しかもその驚きのせいで彼のフルネームを思い出してしまった。
どうして、ここに。
気味の悪いものを見るような表情を浮かべている彼としばらく見つめ合い、その表情はこちらがするべきだろうと権利を主張する前に、私は逃げることにした。
私は気配を探るのは得意ではない。
だけど、だからといって、彼がすぐ近くにいたことに気付かないほど馬鹿じゃない(はずだ)。
それとも自分は馬鹿なのか、とまで考え込まされてしまう彼は何者なのだろう。
目をつむる。
気配を消す、この感覚は別に嫌いじゃない。
場所と、空気と、環境と、景色と、光と、闇と、空間と、時間と、世界と同一化する感覚。
溶け込む。
嗚呼なんでなんだろう。
消した、はずなのに。

「『幽霊でも見たような顔して一体どうしたっていうんだよ』」

目を開ける。隣を見ると、そこにはやっぱり彼が立っていた。手には何故か螺子を持っていて、不思議そうに首を傾げている。
首を傾げたいのはこっちだ。

「なら、なんで私を追いかけるの」

「『逃げる者を見たら追えっていうだろ?』」

言わねぇよ。

「『で、君はどうして授業をサボろうだなんて悪い考えを持っているんだい?』」

「……私がいなくなって、世界は変わるのかを実験中」

彼は笑うかと思ったが、一向に笑う気配は無い。
『世界は変わらない』。誰かが言ったその言葉を、私は覆してみたかった。いつも私がいる場所から私がいなくなったら、世界は変わるのか。何かを失ったのなら、世界はなんらかの変化をもたらすのか。
だけどやっぱり、世界は変わらない。時間は戻らないし、空間は歪まない。私が何処に居ても、世界はそのままだった。世界は普遍なのだ。誰かが言ったあの言葉は真実。そう、世界は変わらないのだ。繰り返そう、世界は変わらない!

「『へえ。凄いね。実験は大成功だ』」

嬉しそうに笑う彼の言葉の意味がわからなかった。

「成功、って…?」

「『おいおい成功の意味くらいわかれよ高校生』」

やっと絞り出した声の倍以上の大きさで、彼はこちらを煽るように肩を竦める。
先生に見つかるとかそんなことは、今現在この状況ではどうでもいいことだった。
成功、だって?
何を言っている?
何回でも言おう。

「何言ってんの…?」

「『なんだよその可哀想なものを見るような目は』」

「教室じゃあ授業は始まってるし、先生も生徒も慌てず普段のまま。外の景色は変わらず、天気さえ変わらない。時間は普通に進んでて空間は歪まない。変わったのは授業の出席人数くらいで、世界は何も変わって無いんだよ」

「『世界は変わったよ』」

この期に及んで、彼はまだ、実験は成功だと豪語する。
何を根拠に言ってるのか。
私の言っている意味くらいわかれよ高校生と今度はこちらが煽りたくなったが、どうせ無駄だろうと窓の外に視線を送る。
世界は変わっていない。今日もどこかで争いが起こり、人が死んでいる。人が死に、人が生まれ、戦いが始まり、争いが終わる。日は昇り続けるし月だって沈み続ける。私が世界からいなくなろうとも、それは変わらない。時間は進めど世界は繰り返す。
それなのに、どうして。

「『今日、僕は君に会った。それだけで僕の世界は変わったよ』」

それが良いのか悪いのかは別としてね、と彼は括弧付けて笑う。私は訳もわからず走り出した。
後ろで私を止める声がする。
構うな、走れ!

「――はぁっ、はぁっ…!」

息が上手く出来ない。
気配を消すなど、もちろん出来ない。
もし出来ても、意味は無いんだ。
あぁ、彼からは

「『だから、なんで逃げるんだよ!』」

逃げ切れはしない


(きっと、私の世界も変わってる)



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