(江迎怒江)

初めに視界に入ったのは、手がぐずぐずに溶けた人吉くんだった。
昔病院で読んだ少女漫画の1コマのように道の角でぶつかった彼。
私は衝撃に尻餅をついてしまったけれど、彼はその頼りない見た目とは違って鍛えていたようで少しよろけただけですぐにこちらを心配してくれた。
大丈夫かと差し出された手を、私は期待に胸を膨らませて取ったのだ。―――取って、しまった。
昔病院で読もうとした少女漫画も、その1コマを見るだけでこんな風に溶けてしまったっけ、とショックで気絶している彼を見下ろす。
嗚呼、人間と紙の束なんて似たようなものなんだな。

「……………………」

次いで視界に入ったのは、顔がぐずぐずに溶けた球磨川さんだった。
昔病院で見たドラマのワンシーンのように私の手を力強く握った彼。
私はそんな強引さにドキッとしてしまったけれど、彼はいつものように優しい笑顔で私を見つめてくれていた。
ダメだと遠慮した手を、彼は自分の顔に持っていったのだ。―――その行為が、どんな結果を生むかなんて知っているのに。
昔病院で見たドラマのように上手くはいかないんだな、とぐずぐずになった顔を下にして倒れている彼を見下ろす。
嗚呼、この人もちゃんと生きていたんだな。

「……………………」

最後に視界に入ったのは、綺麗に笑う名字さんだった。
昔病院で見た退院していく子供たちのように無邪気に、そして綺麗に笑う彼女。
私はそんな彼女になんだか胸が暖かくなったけれど、よくわからない得体の知れないものになんだか彼女が怖かった。

「江迎ちゃん。もしかしてその包丁って、宗像くんの?」

「宗像?誰ですか、それ」

「うん?違うならいいや。今、宗像くんが落とした物を拾い集めてるんだけど、何か武器みたいなのそこらへんに落ちてなかった?」

「私が言うのもなんですけど、物騒すぎませんかその人」

いつここに来たのかはわからない。
私は屋上で一人、いつものように包丁の刃を握りしめて下を見下ろしていた。
そんな背中から声をかけたのは、三年生の名字なまえさんだった。
キョロキョロと辺りを見渡しながらこちらへ近寄ってくる彼女は、その言葉通りに"武器みたいなの"を探しているらしい。
しかし私は自分がいつここに来たのかもわからないので、そんなものを見たという記憶は無かった。

「どうかした?私の顔とかに何かついてる?」

「え……ああ………」

じっと意味も無く見つめてしまっていたらしい。
名字さんは不思議そうに首を傾げた。
彼女は十三組だったが、こうして見ればそこらへんの人間となんら変わらないじゃないかと思う。
人吉くんも球磨川さんも、どうして彼女みたいな人間を気にするんだろう。

「ええ…ついてますよ」

「え!どこ!?」

私は笑う。
いつも通りに。
私はどこまで行ってもマイナスだ。どこまで戻ってもプラスではない。
笑え。何もかも。この世も。私も。笑い飛ばせ。

「……………………」

手を伸ばす。
ぐずぐずに溶けた包丁が、カラン、と屋上の床を叩いた。

「?」

彼女も笑う。
いつも通りに。
彼女はいつまでも彼女だ。私とその笑顔の種類が違う。
私は笑えない。
彼女のようには、笑えないのだ。

「素敵な、笑顔が」

そんな言葉と同時。
伸ばした手を自分の顔の前に持っていき、躊躇うことなく顔を覆う。
ぐずぐずと溶ける音。突き刺さるような痛み。腐敗臭がしたような気もしたが、そんな機能もすぐに溶けていく。
最後に見たのは綺麗な笑顔。
そんな笑みを浮かべられることが出来ないのなら、せめて脳裏に焼き付けて。

これで見えない


(もう、笑わなくてすむ)


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