(球磨川禊)
球磨川禊が転校してきてすぐのこと。
三年十三組の名字ななしと、−十三組の球磨川禊は数日に渡り会話をしていた。
それは勿論授業中のことであったが、お互いに屋上や廊下、旧校舎前や校庭など待ち合わせも打ち合わせもしてないのに必ずどこかしらで出会っていた。
−十三組の球磨川は自身の目的のために登校してきていたが、ななしにはそれといった目的も何もない。
ただフラスコ計画も無くなり家にいても何もすることがないので、こうして登校してきては適当に校舎内を歩き回っているだけであった。
「『全くよく会うね。何、君ってもしかして僕のストーカーだったりする?』」
「冗談は存在だけにしてくれよ。本当に、どんだけ俺とお前には縁が出来てるんだって話だ」
球磨川は呆れたような笑みを浮かべているが、ななしはこれといって興味無さそうに笑う球磨川を見つめるだけ。
そんな視線に毎回居心地が悪そうに目をそらす球磨川だが、今回はななしをじっと見つめた。
「あんまり見つめるなよ。照れるだろ?」
「『あれ。もしかしてななしくんって受けなの?』」
「何の話だ?」
「『知らないならいいや』」
この手の冗談が通じないとわかったのか、球磨川は呆れたようにため息をはく。
「『これまで君に手出ししてこなかったのは生徒会の次で良いかって思ってたからなんだけど、君の"異常性"をちょっとばかし耳にしちゃったからそうは言ってられないね』」
「あー……理事長の孫か」
「『そんなわけないだろあの子は僕を嫌ってるんだぜ?』」
「それ以上に俺は嫌われてるよ。ていうかお前の嘘わかりやすすぎ」
そう言ってななしが球磨川から目を離した瞬間。
いつの間にか球磨川の手に握られていた螺子が宙を舞い、風を裂き、ななしめがけて飛んでいく。
ズドドドドッ、という鈍い音と共に、それらの螺子は地面へ突き刺さった。
しかしななしは平然とした表情でその螺子の上に立っている。
しかも右手にはそのうちの一本を持っており、呆れたように球磨川を見下ろした。
「何?不意打ち?」
「『へー。避けるんだ』」
「当たり前だろ。当たったら死ぬし」
瞬間。ななしの足場であったはずの螺子は消失し、ななしは綺麗に地面へ着地する。
刺さって穴が開いていたはずの地面は元通りになっており、ヒビ一つ見当たらない。
これこそが球磨川の異常性。
―――大嘘憑き。
しかし、ななしの右手に握られていた螺子はしっかりとその形を保っている。
それを見上げて、球磨川は感嘆の声を漏らした。
「『ふぅん…話に聞いてはいたけど、僕が"無かったこと"に出来ないなんてね』」
「まぁ武器は持ってるに越したことはねぇだろ。宗像と戦うわけじゃあるめぇし」
「『なんでそこで宗像くんの名前が出てくるんだよ』」
「なんでお前はそこで怒るんだよ」
酷く不気味に笑う球磨川に、ななしは気味が悪いとは思ったが、ただそれだけだった。
だからといって見えないようにしようとはしなかったし、きちんと会話をしている。
球磨川は目を細め、ななしを観察するように見た。
「『"全問正解"、ねえ……』」
「そういうお前はなんだ?"無かったことにする"だなんだの言ってたけど、まさかその捻じ曲がった性格と曲がった螺子が武器ってわけでもないだろ?十三組に対してよ」
「『"大嘘憑き"。現実を虚構にする―――不正解を正解にする君とはどうやったって相容れないものだ』」
現実を虚構に。
不正解を正解に。
「なるほど。お前に抱いてた嫌悪感はこれか。そして、お前が俺に抱いてる嫌悪感も」
生まれ憑いてのマイナス球磨川禊と、生まれツイてのプラス名字ななしでは、相反しない方がおかしいというもの。
間違っているもの自体を消してしまう球磨川禊。
間違っているものを正しいものへと変える名字ななし。
「『僕は君達みたいなエリートに、人生はプラスマイナスゼロなんかじゃないってことを教えたいだけなんだ』」
「まだ18年くらいしか生きてないガキが悟ったみたいなこと言ってんじゃねえよ」
右手に持った螺子を観察するようにななしは目線を球磨川から外した。
先ほどそれで攻撃されたのにも関わらず、なんの警戒もなく。
しかし球磨川は攻撃をしかけてくる様子は無かった。
「『だったらお前、明日死んだらどうするつもりだ?』」
こちらを見下ろすように笑う球磨川。
しかしななしは笑みを零し、球磨川を下から睨み上げる。
「人生がプラスかマイナスか?そんなものは死んでから考えろよ馬鹿かお前」
まさかの罵倒に、球磨川が一瞬驚いたような顔を浮かべた。
「本気出せよ本音を出せよ!ああ?マイナスだとかプラスだとか変に分類すんな!!この世界に生きる全員と関わったこともねぇくせに諦めたように笑ってんじゃねえ!!」
怒鳴ると同時、ななしが、右手で思いっきり螺子を球磨川めがけて投げる。
球磨川は驚き避けようとするが、ななしは静かに口を開いた。
「【避けないのが正解】」
「『うっ、ぐ………!!』」
球磨川が避けようとした瞬間、その左目にゴミがはいり、その痛みに気をとられて避ける動作が一歩遅れる。
そしてその一歩の差で、螺子は球磨川の右肩に突き刺さった。
ななしは何も言わずに地面に尻餅をつく球磨川を見下ろす。
しかし球磨川は笑い、右肩に刺さった螺子を抜いた。
みるみるうちにその傷は"無かったこと"になる。
「『諦めたように笑ってる……?ふざけるなよ。僕達過負荷は思い通りにならなくても負けても馬鹿でも、目にゴミが入っても右肩に螺子が突き刺さっても、正しくなくても卑しくても諦めないでへらへら笑ってるんだ!』」
「だったら俺だってそうして笑ってるだけで世界と相容れようとしないお前達を笑ってやるよ」
「『来いよ生まれながらのプラス野郎。お前の正解なんか鼻で笑ってやる』」
球磨川の螺子がななしの頬を掠め、その掠めたはずの螺子が球磨川の右足に突き刺さり。
数十本という螺子がななしの頭上から降り注ぎ、その降り注いだ螺子が球磨川の足元に突き刺さり。
みるみるうちに傷だらけになっていく球磨川を見下ろすななし。
それでも笑い、傷を無かったことにし、螺子を手にする球磨川。
「そうやって無かったことにすればすむと思ってんのか?全てを」
「『無かったことにすれば、救われるものだってきっとあるはずさ』」
「そう思っている間は、お前は決して救われないな」
勢いよく投げられた螺子を、ななしは右手で軽々と受け止める。
それこそも正解。正しい行為。
強いから正しいのではない。勝つから正しいのではない。名字ななしだから正しいのである。
「全て間違えているお前と全てが正しい俺。戦えばどちらが生き残るんだろうな」
「『自慢じゃないけど僕は一度も勝ったことがない。つまりはそういうことだろ?』」
「俺は勝ち負けの話はしてないよ。どっちが明日までに生きていられるか。それだけの話だ。それとも何か?混沌より這い寄るマイナスとか言っておきながら、お前はまだ、『死んだ方が負け』だなんて括弧つけた言い方をするつもりか?」
その"正しさ"で、ななしが握った螺子は消失する。
球磨川はその様子を見ながら、じっと黙り込んだ。
既に笑顔は無い。
それとも、もう笑う気力さえ残っていないのか。
それすらもなくなってしまったのか。
「俺は格好付けてるやつと括弧付けてる奴が大嫌いだ。嘘でしか虚構でしか生きていけない、そんな怠けてる人間が大嫌いだ」
気味悪がる視線でもない。哀れむ様子でもない。
ただ一人の人間として、ななしはじっと球磨川を睨みつけた。
今まできちんと、自分の気持ちで、一人の球磨川禊としてこうして人と対峙したことない球磨川は、その擦れた目でななしを睨みつける。
「………僕だって君みたいな人間は嫌いだ。プラスの奴はそうやって、この世の全ての人間が自分みたいに生きられると勘違いしてる。僕たちがマイナスだからって最初から何もかも諦めてると勘違いしてる。だからそんな奴らは死んだ方がいいんだ」
「どれもこれも嘘にしか聞こえねえよ。そうやって自分はダメだと自分に酔ってるだけじゃねえのか。俺に対して腹を立てている時点で、お前はそうなんだよ。何も死ぬ気でやったことがないくせに、一丁前に泣き言だけは言いやがる。限界までやったことがないくせに、自分はダメだと諦める。だからお前は俺の為にも死んでくれ」
「嫌だね。君こそ僕のために殺されてくれよ」
白い骨になって出直してこい
(そうしたらまた話し合おう)