(黒神真黒)
「――――は?」
この力の抜けるような、それでいて間の抜けた声を出したのは天才解析者とまで謳われた黒神真黒であった。
そして、その真向かいに立ち唖然と真黒を見上げているなまえは声も無くその口をパクパクと動かしている。
「どうしましたか。喜びなさい、真黒くん」
「どうしましたか―――って、あ、あなたという人は……!!」
目の前で黒神真黒―――なまえは彼の名を知らないが―――が動揺するのも無理は無い。
この男は見た目は偉そうで実際に偉い人物で、しかしだからといって思考回路がぶっ飛びすぎである。
しかしその堂々とした出で立ちに、彼のように言葉が出てこなかった。
そこのところを考えると流石息子といった感じなのかもしれないが、とりあえず、なまえも何か発言しなくては、と停止した思考回路を必死に動かす。
「安心しなさい。彼女はめだかちゃんほどとは言えませんが容姿は可愛らしい方で、頭の良さはくじらちゃんほどとは言えませんが成績は良い方です。しかも道に迷ったこの私にあろうことか道を教えてくれるという優しさも持ち合わせています」
「あ、あの。これ、ドッキリか何かですよね?え、えへへ…」
「笑顔はあまり可愛くないので笑わないでいただきたいですね」
こいつぶっ飛ばしてやろうか。
「黒神家の血筋は元来、愛情過多ですからね。めだかちゃんとくじらちゃんには荷が重過ぎるでしょう」
事の始まりは10分前。
そう、10分前なのである。しかも時計をチラリと盗み見てみれば、しっかりきっちり丁度10分前。
今すぐにでも全財産を投じてタイムマシンを作りたいところだが、私にそんな予算も無ければ知識も経験も無いのでそんな現実逃避は今は隅に置いておこう。
10分前、この男――黒神舵樹と名乗ったこの男が地図を片手にキョロキョロとしていたものだから、ほんの少しばかりの親切心があった私は声をかけたのだ。
「あの」「もしかしてあなた道に迷っていたりしますか」「もしよろしければ」「案内しましょうか」
今にしてみれば、あれこそが既に罠だったのだろう。
あの黒神グループの人間が今時紙の地図など持っていないだろうし徒歩で移動というのも頷けない。しかし私は知らなかったのだ。
あのときまで、私の目にはこの男は道に迷ったカワイソウナヒトに見えたのだ。
笑顔で、そりゃもうとっても良い笑顔で、あの一言を言うまでは。
「決めました。あなた、真黒くんと結婚しなさい」
そう言われたときには、いつ準備したのか、目の前で黒神舵樹につっかかろうとしている男が目の前に立っていたのだ。
おそらく彼こそが"真黒くん"なのだろうが、今はとにかくそんな場合ではない。
「結婚って!僕が妹にしか愛情を注がないことはあなたも知っているでしょう!」
「は!?」
そこかよと、驚きの矛先が舵樹から真黒へと移り変わった。
なんだ。今、この男、なんて言った?
「確かに真黒くんの妹愛は理解しています。しかしだからこそ、妹でない子にもそろそろ愛情を向けて下さい」
ここだけ聞けばシスコ…おっと失礼。他の人よりも妹が少しだけ大好きな息子を心配する親の台詞に聞こえるが、突然人を息子の結婚相手にした人だ。しかも道案内だけで。
騙されてはいけない、と意を決して口を開く。
「あ、あの!この人もそう言っていることですし私も結婚する気なんて無いので「もう決めたことです。それともあなたは戸籍謄本がもらえなくなっても良いと言うのですか?」
………消される。しかも、存在ごと。
世界有数の財団である黒神グループの会長である黒神舵樹が本気を出せば―――いや、本気を出さなくともそれくらいのことは出来そうである。それこそ、朝飯前どころか寝ながらでも簡単に。
「では。あとはお二人でごゆっくり。私は仕事がたくさんあるのでね」
そう言う彼を真黒は止めようとするが、いつの間にか出てきたボディーガードに止められ、彼が出て行った扉は無情にも閉ざされる。
なまえはというと、舵樹に言われた一言が衝撃的過ぎて呆然とその場に立ち尽くしていた。
ボディーガードもすぐにいなくなり、あとに残された真黒は「とにかく」と溜息を吐きながら振り返る。
「君はいますぐおうちに帰……」
「戸籍謄本がもらえない…消される……戸籍………」
ぶつぶつと頭を抱えて絶望しているなまえに、真黒は言葉を紡ぐのをやめてどうしたものかと首を傾げた。
「大きな力の前では、人は無力、か…」
「…………………」
一周回って悟り始めたぞこの子。
「ま、そうだね」
真黒は小さく溜息を吐くと、後頭部をかきながらゆっくりとなまえへ近付いていく。
そんな真黒に気付いたらしく、なまえは明後日の方角に行っていた意識を急いで戻した。
そしてなまえの目の前にくると、真黒はじっとなまえを見下ろす。
「(……大きい)」
今まで黒神舵樹という存在感が大きな人がいたので気付かなかったのか、なまえは目の前でこちらを見下ろす真黒をじっと見上げてそんなことを思う。
「自己紹介が遅れたね。僕は真黒。さっきの男の息子だよ」
「…あ、えーっと。なまえです。どうも」
やはり彼が真黒だったかとなまえはその名前を頭の中で復唱しながら静かに頭を軽く下げた。
「初めに言っておくと僕は妹が好きだ」
本日何度目かわからない問題発言に、反応するのも疲れてくる。
しかし彼はこちらの反応を伺おうとしたわけではないらしく、淡々とドン引きするレベルの自己紹介を続けた。
「妹萌え。いつだって、それが僕の唯一の行動原理だ。僕は妹から尊敬されるために生まれてきたんだからね」
「はあ。そうですか」
「つまりだ。この場を上手く切り抜けるには1つしか手は無い」
「まあ、そうですけど…」
実の息子が言ってくれれば先程の男も存在抹消の話を考え直してくれるだろうかと、真黒の遥か後ろにある誰の気配もない扉を見つめる。
しかしその視界を遮るように、黒い陰が目の前を覆った。
次いで、何故か感じる誰かの温もり。
「僕が君を妹だと思い込もう。そうすれば、きっと結婚なんて簡単だ」
「……………………」
あまりのことに、声すら出ない。
抱きしめられていると理解するも、抵抗すら出来ない。
なんだ。今、自分の目の前で一体何が起きているんだ。
「さあなまえちゃん。試しに愛らしく『お兄ちゃん』って呼んでみてくれないかな」
誰が呼ぶかと叫びたかった。
到底手に負えない
(何をぼさっとしているのですか。もうすぐ結婚式が始まりますよ)
(親父殿もああ言ってることだしなまえちゃん。お兄ちゃんの格好良い姿を目に焼き付けておいてくれよ)
(…穴があったら存在ごとそこに消えたい……)
夢小説サイト、絡繰人形のあるまみん。さまへ相互記念というカタチで贈らせていただきました。
あるまみん。さま以外の方のお持ち帰りは許可していません