愛は香りとともに


海南大附属高校には、高校バスケ界で一年の頃から怪物と称され、神奈川NO.1プレイヤーだとか、帝王と呼ばれる男が存在している。
それは、現男子バスケ部主将である牧のことだ。

その牧紳一という人物は私にとっては同級生という枠組みの他に、同時に愛しい恋人という関係性も併せ持つ相手。
一年生の頃から、私たちは男女の交際を続けている。

しかし付き合って3年目になるが、日常的に紳一の部活の練習がかなり遅い時刻まで行われる為、一緒に過ごせる時間というのは格段に少ない。
けど、それも覚悟してのこと。
恋人としての時間が僅かだとしても、私は彼の隣にいたいと願った。


だが今日は珍しくバスケ部の練習が早く終わる予定だと紳一が言うので、久しぶりに一緒に帰宅をしようかという話になり、予め紳一に告げられていた時刻を見計らって、体育館まで彼を迎えに行く約束をしていた。
久しぶりだもんなぁ、一緒に帰れるのなんて……。
恋人同士なら当たり前に見られる行動も、私たちは違う。むしろ新鮮なくらいだった。


体育館に到着し、館内へのメイン入り口からひょっこりと少しだけ顔を出して、中の様子を覗き見てみる。
すると、どうやらちょうど練習が終わり最終的な後片付けをしているところのようだった。
数名の部員達が体育館の床にモップをかけている。キュッ、キュッとバスケットシューズが床に擦れる音が心地良い。


「あれ?静、さん?」

あともう少しで終わるかな……なんて思いながらその場に立ったまま部員たちが館内から出てくるのを待っていると、ふいに背後から自分の名前を呼ばれたのに気が付いた。
声のしたほうへ振り向いてみると、そこには紳一がよく可愛がっている後輩、清田信長の姿がある。


「あ、ノブくん。お疲れ様。紳一、そろそろ終わるかな?」

「牧さんっすね!ちょっと待ってて下さい!……牧さぁぁん!静さんのお迎えっすよぉ!」

ノブくん、相変わらず大きな声だね。
彼のトレードマークとも言える元気で大きな声が、体育館中に響き渡った。
なんだかくすぐったい。嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気持ちになってしまって少し苦笑い。

ノブくんの呼びかけに気がついた紳一は、こちらに視線を向け、ゆっくりとした足取りで傍までやって来てくれた。


「なんだ、静。そんなところに突っ立ってないで、中に入れば良いのに」

「だって、邪魔になっちゃっても悪いな、と思って……」

「そんなわけないだろ。もう終わりだ、すぐ着替えて来る。悪いがもう少し待ってくれるか?」

そう言って紳一は、私の頭の頂点にポンと軽く手を置くと、すぐさまその場を離れて部室のほうへと向かって行った。
彼の後ろ姿を微笑みながら見つめる。私は、紳一の逞しく凛とした後ろ姿がとても大好きだった。
それはおそらく、彼が背負っている重圧だとか責任だとか、そういうのに負けない力強さが背中に滲み出ているからかもしれない。


「あの、牧さんと静さんって、ほんっと仲良しなんすね!いいよな〜!俺も可愛い彼女欲しいっすよ!!ねっ、神さん!」

「ははっ、そうだね。牧さん、静さんの前だと表情が全く違うからなぁ」

「そうかな、いつもとそんなに変わんないけど?」

彼らの言葉の意味を不思議に思って、目の前の後輩たちにそう訊き返してみれば、二人は互いに目を合わせて驚くように言う。

「ぜんっぜん違いますよ?今日だってなんだか様子が違うな、と思ったら、静先輩がやって来るし、合点がいきました」

「そうっすよ!少なくとも練習中の牧さんは――」

「……俺がなんだって?清田」

「うわぁっ!!あ、あ……ま、牧さん!!何でもないっす!じゃ、お疲れっした!!!」

噂話をしているとなんとやらっていうのは本当で、突然、背後から紳一がぬぅと音も無く現れたものだから私も驚いて心臓が跳ね上がる。
周りを見ると、さっきまで一緒にいた神くんの姿はもう跡形もないし、ノブくんはノブくんで私以上の驚きっぷりを見せて顔面を真っ青にさせながら、その場から逃げるように走り去って行っってしまった。

……紳一、あなた、部活中は後輩にどういう振る舞いをしているの?
それが主将としての威厳、なのか……私にはよく分からないけれど、紳一が普段私には見せない姿を後輩たちには示しているというのが、彼らの反応から一目瞭然だった。
主将というのも、いろいろ大変なのね。


「ったく。清田のやつ……悪い、待たせたな、静。帰ろうか」

「あ、もう良いの?」

紳一が私の問いに「あぁ」と一言だけ答えて、私達は体育館を後にすることにした。


共にする久々の下校。
たったそれだけなのに、私はとても嬉しくてついつい顔が綻んでしまう。
一緒に帰るからといって、別に何か特別なことをする訳でもない。ただ並んで手を繋ぎ、会話をしながらゆっくりと噛みしめるように歩くだけ。

選択科目がどうとか、お母さんの昨日の晩御飯が美味しかった、紳一のうちのメニューは何だった?ああ、そうなんだ、昨日の夜はカレーだったんだね、今日はなんだろう?とか。

本当にそんな他愛もない会話ばかり。
でも私にとって、こうして特に意味のない会話を気兼ねせず紳一と楽しめるということ自体に、とても意味があった。


そして話題がひと段落したところで、おもむろに紳一が尋ねてくる。

「静、今日うちに寄ってくか?」

「え……いいの!?練習後で疲れてるのに……迷惑じゃない?」

「そんな訳あるか。今日は時間も早いし、最近はなかなかゆっくりと時間割いてやれてないもんな」

紳一の突然の申し出に、跳ね上がり小躍りしてしまいそうなほどだったが、なんとかその衝動を抑え込むことに成功した。
今日はまだ一緒に居れるんだ!嬉しい!

感情のまま本当は紳一に抱きつきたい。けれど、ここはまだ公衆の面前。まだ……まだ我慢!
私よりも、はるかに身長の高い紳一の顔を下から仰ぎ見るように覗き込めば、ふいに彼と目が合った。
私を見つめる紳一の目があまりに優しいものだったから、意識せずとも繋いだ手にギュッと力を込めてしまう。
ああ、好きだな。紳一のこと、本当に大好き。
じんわりと自身の心の中に温かいものが流れてくる。
そして、これから二人で過ごす時間のことを想像すると、あまりに楽しみ過ぎてウキウキと浮足立ってしまった私は、紳一の家に着くまでの間の記憶がとても曖昧なものになってしまった。


*


見慣れた立派な外観の一軒家。
その大きな家の玄関に到着すると、紳一が鞄から鍵を取り出して慣れた手つきで解錠する。
ガチャリと扉が引かれ玄関から中に入ると、自分の家とは全く異なる家の匂いがした。
家の中はシンとしていて、私と紳一以外の人の気配が無く、「おうちの人は?」と、尋ねてみる。

「いないぞ。おふくろも今日は会社の付き合いで遅くなるらしい。それより、静。少し汗を流してくる。先に部屋へ行っててくれ。俺の部屋、分かるだろ?」

「それくらいは、ちゃんと覚えてる」

「ははっ、頼もしいな」

そう笑って言った紳一と私は、玄関を入ってすぐ、二階へ続く階段の下で一旦別れた。
私はそのままゆっくりと階段を上り、目的の部屋の扉をそっと開ける。


「あはは、やっぱり。紳一らしいや」

もう幾度となく足を踏み入れたことのある部屋。
前に来たときはいつだったか……もうはっきりと思い出せないくらい前だったけれど、きちんと整理整頓され、デジャブかと思うくらい部屋の配置も置かれている物も、目立った変化が全く感じられなかった。

そして当然のように部屋の中は紳一の匂い一色。
彼の部屋だから当然のことなんだけど……なんだかものすごくドキドキした。
全身を紳一に包まれているような感覚がして、堪らなくなってしまう。
こういう時、自分はものすごくいやらしい子なんじゃないかと自覚しそうになる。
けれど、生物学的には男女の相性にも匂いってとても重要な要素だと何かの記事で知って、この感情は至極当然なものなんだと自身を無理にでも納得させることにした。


しばらく部屋で大人しく待っていると、シャワーを終えた紳一が部屋に戻ってきた。
上下スエット姿。
家で寛ぐ彼の姿をこんなに間近で見れるなんて、それこそ彼女の特権だ。


「どうした?物欲しそうな顔して」

「そんな顔してないもん」

「ははっ、そうか?待たせてばかりで悪いな」

私の熱い視線に気付いた紳一は、冗談事を交えながらニヤリと意地悪く笑う。そして、まだ少し濡れている髪の毛をタオルでガシガシと荒々しく拭いた。
部屋の中に充満する紳一の匂いと、微かなソープの香り。

……だめだ。そろそろ制御が効かなくなりそう。
私はもうずっと我慢していた。
共に校外へ出て、紳一にうちへ来ないか、と誘われてからずっと……。

そんな無防備な姿……ダメだって!
良いの?それは誘っているって意味でOK?
紳一、オオカミは男の子だけとは限らないんだよ。

とうとう我慢の限界を突破して制御不能となってしまった私は、堪らなくなり勢いよく紳一に抱きついた。
その反動で紳一の身体が少しだけよろけてしまったけど、ちゃんと私を抱きとめてくれる。
それから、私はそんなのお構いなしに彼の首筋に顔を埋め、抑制させていた欲の全てを解放させるかの如く思いっきり鼻で息を吸った。


「うわっ!ちょっ……おい、どうした、静?」

「匂いが……」

「え?俺、今、風呂から上がったばっかりなんだけどな……」

紳一は私の予想外の行動と言葉に戸惑い、困ったように苦笑している。
そして、そんなに臭うか?と、自身の腕の辺りを軽くクンクンと匂ってみているが、どうやらピンと来ていない様子だ。


「あははっ、違う……嘘だよ。紳一の匂い、すっごく好き。安心する」

「ふはっ、なんだよ。それ」

「私、匂いフェチかもしんない……それに、こんなに近くで紳一の匂いを嗅げるのって、私くらいでしょう?」

「……ん〜、あながち間違ってもいないが、発言が変態ぽいな、エロい。さっき首筋を噛まれるかと思ったぞ」

「あはは、吸血鬼みたいに?うーん……そっか、やっぱり私って変態なんだ」

それから紳一は抱きついていた私を軽々と抱き抱え、そのままベッドの上へ……。

「静になら、変態行為も大歓迎だ。何なら今から試してみるか?」

そっと囁くように、そして少し意地悪に微笑んだかと思ったら、唇に柔らかく甘い感触が降り注いだ。
私の心臓はこの上なく大暴れ。
紳一の甘美な色気と匂いにクラクラする。極上だ。


「浮気しないでね。じゃないと、匂いで直ぐにバレちゃうよ?」

「するか、そんなこと。怖くて出来ねぇよ。俺だってお前に夢中だ」

きっと私たちはどんなに一緒に過ごす時間が短くても、一瞬にしてお互いが唯一無二の存在であるかを確認し合える。
匂いで、なんてもう運命レベルじゃない?相性の良さは最強だよね。

遺伝子的に組み込まれていること――きっと私は、この先何度でも生まれ変わる度に貴方を香りで見つけることが出来ると思う。
それ程までに、私も、貴方に夢中。


(2018.6.20 Revised)


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