仙道編


心地の良い温かさと柔らかな感触に、もっとと強請るように腕を伸ばした。手指に触れる髪の毛の感触すら生々しい。
今日はツイてる。こんな良い思いが出来るなんて。唇同士の触れ合いに加えて、欲を出して舌まで絡め取ってやった。夢なんだから、これくらいしたって良いだろう。相手は誰だか知らないけど、別に構いやしない。夢なんだから――。


女の子は嫌いじゃない。付き合った人数は言うほど多くはないが、既に小学生くらいの頃から自分が運動がそこそこ得意という点で異性から人気があるということは、なんとなく自分でも自覚が出来ていたように思う。
中学で本格的にバスケに取り組み、高校は熱心な監督の誘いもあって陵南高校へ進学することにしたが、中学でも高校でも、それなりに異性からの言い寄られ人生は継続している。
こんなことを言ってしまうと、己惚れるなと顔を引きつらせた越野あたりに嫌味をぶつけられてしまいそうだが、本当のことだから仕方がない。
可愛いじゃないか、女の子。柔らかいし、気持ちいいし。言い寄ってくるタイプにも色々いたけど、そのあざとさもまた本能に忠実で良いんじゃないの?と、面白おかしく思ってしまうあたり、今まで自分が真剣に惚れた相手など居なかったということなのかもしれない。

「仙道くん、彼女いるの?」
「いないよ」
「じゃあ……」

こんな風に解りやすいお決まりのような展開を迎えることもあれば、わざわざ昼休みや放課後に人気のない場所に呼び出されて、がちがちに緊張しながら、「好きです」と、真っ向から告白を受けることもあった。
ほらね、可愛いじゃねえの、女の子。解りやすくて。
その度に身をかわして、「ごめんね、誰とも付き合う気がないんだ」と、毎回俺も懲りずに同じようなセリフで断る。
別に真剣に好いた相手とじゃなきゃ絶対に付き合いたくないという清い貞操観念があるわけでも、付き合うことに変なこだわりがあるわけでもない。ただ単に今はそういうつもりがないというだけ。
そう、根本的に女の子は嫌いじゃないんだ。


そうして俺が誰かしらに呼び出される度に、呆れたような顔を向けてくるのは先ほどにも挙げた同じクラスの越野と、男子バスケ部のマネージャでもある佐藤。
今日もまた昼休憩に、顔も知らない、喋ったこともない一年生の女の子が友人を何人か引き連れて、教室で寛ぐ俺の元へとやって来た。

教室の出入り口で、「仙道先輩いますか?」と、呼びかける声に気が付いて、全てを察する。ゆっくりと重い腰を上げて、彼女たちの元へ向かおうとする途中、クズでも見るような目をする越野と視線がぶつかった。
口の動きだけで、「バァーカ」と嫌味を言われるのに対し、「行ってきまーす」と笑顔で返すと、膝裏に軽く蹴りを入れられてしまった。思わず苦笑いが浮かぶ。
越野の横に立っていた佐藤も、「どこが良いのかな、こんな男」と、越野と同盟を組んだように顔を見合わせながら、ちくりと辛辣な言葉を小さく吐き捨てた。
そんな気心知れた部活仲間二人に見送られ、呼び出した一年生の女の子たちの前に立つと、そこでもまた、いつものお決まりのセリフを口にした。俺も大概懲りない。

「俺が仙道だけど」

「あっ、あの、仙道先輩、今、お時間ありますか?」

「あぁ、いいよ、何?」

「えっと、ここじゃあ……ねぇ?」

率先して会話をしていた代表格の女の子が、周りにいる取り巻きの女の子たちに同意を得るように言葉を濁して口籠った。これで確定だ。予想通りの展開に、俺も助け舟を出すことにする。
こういうことに長く時間を取るよりも、はっきり全てを明らかにしてやる方が親切というものだろう。

「ん〜……じゃあ、そこの廊下の突き当りで良い?あんまり人もいなさそうだし」

「あ、はい……」

後ろの方で控えめに答えた女の子が、おそらく本日の主役なのだろう。
俺が彼女たちに先行して少し歩き始めると、いつの間にか数名の取り巻きの女の子たちはあからさまに距離を取って、先ほどの控えめな女の子だけが俺の後ろをついて歩いてきていた。

少し陰になっている廊下の端。一番隅の目的地に辿り着くと、どちらからともなく自然と向き合う形になる。
この瞬間だけはさすがの俺でも少々気まずい。答えは既に決まっているし、その決心が揺らぐことも絶対にないけれど、今から精いっぱいの勇気を出す相手に対して、少なくとも悲しませてしまう結果になるのだから。

「仙道先輩……あの、いつも試合とか練習、見てました」

「ああ、そうなんだ、ありがとう」

「あの……好きなんです。付き合ってもらうことは出来ますか?」

「ごめんね?誰とも付き合う気がないんだ」

「……あ、そうですよね、私なんてお話したこともないですし……好きな方でもいるんですか?あの、いつも仲の良いマネージャーの方とか……」

「え、あ、佐藤?」

「はい、いつも楽しそうにされてるので、そうなのかな〜って思ってたんですけど、あはは、それでも後悔したくなくて、こうして玉砕しに来ました」

「……ははは、佐藤は関係ないけど……でも、悪い……それに応えてやることは、出来ない」

「……解りました、これできっぱり諦めます。ありがとうございました」

そう最後まで言い切った目の前の彼女は、必死に笑顔を作りながら小走りで遠くから見守る取り巻きの女の子たちの輪の中へと戻って行った。そこで彼女が小さく首を横に振ったことで、この告白の結果が伝わったらしく、慰め励まし合うような仕草を、未だ動かずにいた廊下の端から眺める。彼女たちのその姿を、仕方のないことだと割り切ってどこか他人事のように感じながらも、ほんの少しだけ申し訳なく心苦しい。

こういうことがある度、教室から出かけに佐藤が呟いたように、どうして俺なんだ、と自身で思ったことは一度や二度じゃない。多少運動が得意なだけで、何がそんなに良いのか俺本人にも解らない。
自分の好きなことしか出来ない。マメなほうでもない。俺がもし女の子だったら、絶対に自分みたいな奴とは付き合わず、口うるさくても面倒見が良くて誰にでも優しい越野の方が、よっぽどましだとさえ思う。

結局、その後すぐに教室に戻ると、冷めた目をした越野から二度目の膝蹴りを食らってしまった。
地味に痛いんだよな、いつも。


*


その日の部活の自主練が終わった後、体育館から出ようとしたところで、未だ後片付け作業を行っている佐藤から不意に声を掛けられた。

「あ!仙道!帰り、ちょっと部室で待っててくれない?」

「ん?いいけど、なんかある?」

「あんた暇なんでしょ?帰りに備品買うの手伝ってくれない?仙道が一番家が近いし、簡単な荷物持ちのお仕事です」

「いいけど……それ、俺に拒否する権利は?」

「もちろん、ないに決まってる」

「ははっ、強引だな、ま、いいよ。部室で待ってるから終わったら声かけて」

佐藤の強引さは今に始まったことじゃない。
これほどの性格だからこそ、監督、選手揃って曲者揃いの男所帯のうちの部で上手くやっていけるのだろうし、俺の周りには今までなかなか居なかったタイプの女の子だ。
佐藤と越野とは、部活もクラスも一緒で気兼ねなく過ごせる友人。彼らは面倒見も良いが、引くところはきちんと引いて、必要以上にベタベタとしてこないところがまた共に居て気持ちが良かった。
良いようにも悪いようにも、一人が好きな俺のことを解っている。ありがたい話だ。
その佐藤からこうして改まって頼み事をされては、断れない。別にそれを嫌なわけでもないし、佐藤の為だったら付き合ってもいいかなと、思わせられるのが自分でも不思議だった。

体育館から少し歩いて辿り着いた部室には、他の部員たちの姿はなく俺一人だった。いつも一緒に帰る越野は、どうしても外せない家の用事があるとかで珍しく全体練習が終わった直後に、すぐさま帰宅して行った。

(あと残っているのは、福田と魚住さんくらいか……)

ずらりと並ぶロッカーの前に立ち、頭の中でまだ体育館に残っているメンバーを思い浮かべた。
あの二人はいつも自主練が長い。真面目過ぎる魚住さんと、負けず嫌いの福田。彼らに最後まで付き合うとなかなか帰れもしないので、こうしていつも一足先に体育館を後にするようにしていた。
自身のロッカーの前で練習着から制服と新しいTシャツに着替え終わると、室内に並べて置かれているパイプ椅子の一つに腰を掛けた。スポーツバックに放り込んだままになっていた週刊バスケットボールを取り出してパラパラと暇つぶしに眺めながら、佐藤が呼びに来るのを待っている――そのはずだった。


次に意識がはっきりとしたのは、微かに頬へ触れた感触に違和感を感じて、身体に少しの重みを感じた時だった。
あまりの心地良さの中でうっすらと瞼を開けると、自分にも凭れ掛かるように体重を預けている佐藤の姿が視界に入る。
同時に彼女をがっちりと抱きしめている自分の腕に違和感を感じたが、先ほどまで溺れていた夢の内容を俺は嫌というほど鮮明に覚えていた為、これがどういう状況なのかをまだ僅かにぼんやりしている頭で全てを悟った。

「あ、うそぉ……佐藤?」

「……」

「ひょっとして、俺、襲われちゃった?」

「バカ、早く離して」

口では強がっているのに、俺の胸の中で腕を突っ張って逃れようとする彼女の手は少し震えていた。
それと、未だにはっきりと残っている先ほどまでの柔らかく甘美な唇の感触が、この状況下で一体何が起こったのかを明白にしてくれる。

おそらく、佐藤を待っている間にうっかり睡魔に負けてしまった俺に、自らの身体を至近距離にまで近付けて最初に接触してきたのは、目の前のこの震える佐藤の方だ。
うっかり夢の中でだけのラッキースケベだと思っていたのは、どうやら現実世界でも繋がっていたらしく、俺は佐藤に対して無遠慮に欲のまま深い口付けをしてしまったようだ。
微かに胸の中で震えるいつも威勢の良い彼女を、椅子に座ったまま抱きしめ見下ろしながら、可愛いなんて思ってしまう自分が可笑しくて、ふっと口端から笑いが零れる。

「なに、笑ってんの。良いから離しなさいよ」

「先に近付いてキスしたのはそっちなのに?」

「……ま、まさか起きてたの?」

「いいや、寝てた。けど、否定しないってことは、本当にそうなわけだ?まさかな……こんな男、どこが良いんだよ、自分で言ってただろ?」

昼休みに彼女に言われた言葉をそのままそっくり真似て、皮肉を一つ。
おそらくまた強気に言い返してでも来るだろうと予想していたのに、その思惑は見事外された。

「本当にね、情けないけど……いい加減、私にしておきなさいよ」

「ええ?……ははっ、まさか佐藤からそんなことを言われるなんて夢にも思ってなかった、本気?」

「冗談でこんなこと言うわけない!もうやだ……帰る!!」

どん、と強めに胸を叩かれた弱い拳。彼女の体がすっと離れた瞬間、慌てて思わず無意識に腕を伸ばしてしまった。自らの掌で掴んだのは、彼女の細い手首。その、あまりにもか弱い存在に、一瞬にして取り込まれてしまう。
佐藤がこんな姿を見せてくるなんて思ってもみなかったし、正直、今までだって恋愛の対象になんか見たこともなかった。
なのに、いざ彼女に拒絶されてしまうと、それをどうにかして阻止したいという強い感情が、胸の奥から衝動的に沸き立った。
これが好きという感情なのかははっきりとしない。けれど今、佐藤の手を離してしまっては絶対にダメだと、本能がそう告げている。

今までのように、見知らぬ女の子に告白をされて決まりきったセリフで断れるほど、俺にも余裕がなかった。
佐藤だけは、明らかに他の女の子とは違う。その要因がなんなのか、まだ少し測りかねてはいるけれど。

「待てよ、本気で付き合いたいのか?こんな男と?」

「……」

「いいよ、佐藤とだったら」

「……」

「黙ってないで、なんか言えよ」

「なんで、こんな男を好きになっちゃったんだろ……やだ、もう」

一瞬驚いて目を見開くも、すぐに顔をゆがませて今にも泣きだしそうな佐藤。口ではそんな風な悪態をついていても、不意に向けられた笑顔があまりにも可愛く思えて、思わずつられて笑顔になってしまう。

「まさか、こんなことになるなんてな。ははっ、あの一年の子、なかなか鋭かったってことか……」

「え?」

「いや、こっちの話」

妙に満たされた気持ちになった。
もう一度、彼女の腕を引いて、胸の内側へそっと抱き寄せる。彼女の固まる身体から緊張感が直に伝わり、同時に愛おしさというものを少しだけ理解出来たような気がする。
ただ女の子が好きなんじゃない。佐藤静のことが好きなのだと実感出来る日もそう遠くない気がした。
自分でも気が付かないうちに、彼女の存在が俺の中で特別になりつつあった、ということだろうか――。


(2020.10.21)





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