藤真編


「あんたなんか嫌い。傍に寄らないで」

今まで十数年生きてきて、人に好意を向けられることはあっても、これ程までに嫌悪されたことは初めてのことかもしれない。
険しく厳しい表情。キッと睨みつけ、そしててひどく歪み、今にも泣き出してしまいそうなほど感情的な姿。
目の前の彼女に、そんな表情をさせてしまった原因は自分だとはっきり自覚はしていたものの、その時の藤真は微塵も気にしていなかった。

相手は、悪友ともいえる佐藤静。
そんな風に泣かせたとしても、藤真は、「上等だ」と鼻で笑いながら嘲笑うかのように言い捨てて、どこかその状況を楽しんですらいる。
何故なら、藤真はこれが夢の中の出来事だと、うっすらと認識出来ていたからだ。瞼を閉じたまま、現実の自分が微睡みの中でこの状況を俯瞰で見つめているような、そんな不思議な感覚を味わっていることに気が付いている。

いつも顔を合わせれば、憎まれ口の一つや二つ、通常運転で飛び交う間柄の藤真と静。
彼の潜在意識の中でも静の立ち位置はリアルの関係性と全く異ならず、夢の中であろうと取る態度は全く変わらない。
ただ、どうしてこれ程までに嫌悪されたのか、藤真にはその発端の原因だけが明確ではなかった。
自分が何かをしでかした、もしくは何かを言ってしまったという自責は多少あるものの、その詳細部分だけがどうしてもぼんやりとしていて、はっきりしない。
けれど、それ以上は深く掘り下げて考えることなく、藤真は夢の中の架空の物語を流されるがまま楽しんでいたが、とうとういつもの起床時刻に鳴り響く目覚ましのアラームによって、夢の世界は予告なしに強制終了させられる結果に終わった――。


目覚めは、お世辞にも決して心地が良いものではなかった。
夢の中の出来事ははっきりと覚えているものの、眠りが浅く半覚醒状態だったせいか、頭がすっきりとしない。
夢の結末も中途半端で少々後味も悪いが、それについては所詮は夢の中の話だと、藤真は上手く自らで折り合いをつけことにする。ただ一つだけ自分でも意外だったのが、どうして佐藤静が夢の中にまでわざわざ出てきたのか、ということだった。こんなことは、今までかつてなかったこと。

静と藤真の関係性は、小学校からの同級生で家も比較的近所。
二人は小・中・高と同じ学校に通い、麗しい見た目とは裏腹に、実は裏表の激しい藤真の素性を知っている数少ない人物の一人だ。

静もまた、お淑やかとは程遠い性格をしていて、高校に入る前までは男子に交じってボールを蹴って遊んでいるような活発な女の子だった。
高校生になってからは、本人にも年頃になったという自覚が芽生えたのか、さすがに昼休みにサッカーやドッジボールなんてすることはなくなったけれど、人間、根っこの部分の性格はそうそう変わらない。
気の強さと、口の悪さ、それに相手が男だろうと物怖じしない性格。それ故に、幼い頃から何かと藤真とは衝突することも多かった。
藤真もまた本来は気が強く、頑固な性格。

つまりは、藤真も静も負けず嫌いで似た者同士ということ。同族嫌悪という言葉がまさにぴったりで、顔を合わせればどちらともなく憎まれ口や皮肉をちくりとぶつけてしまうような、見事なほどに犬猿の仲だった。
それは、翔陽男子バスケ部の中でも周知のことで、そんな二人の様子を部員たちはいつも呆れ顔で眺める。誰もその間に割って入り、止めることも出来ないし、端から止めようともしない。それが暗黙の共通認識だった。


*


それから時間は経過し、その日の放課後。
藤真は、部活の練習の為に教室から部室へと移動する道すがら、ちょうど渡り廊下に差し掛かったところで、一組の男女の姿が物陰に潜んで、なにやらひっそりと会話をしている場面に遭遇した。
察しの良い藤真は、すぐにどういう状況かを理解すると、思わず運ぶ足の速度を緩めてしまう。別に他人の恋路にさして興味もないが、ただの興味本位だった。
後でバスケ部の仲間たちに提供できる面白いネタの一つにでもなるだろうか、とその程度のもの。
止せば良いものを、藤真はじりじりと彼らの声がぎりぎり聞こえるくらいの距離にまで近付き始める。

段々と、他人の目から身を隠すように建物の壁際にぎりぎりに向かい合って佇む男女と、藤真との距離が短くなってゆく。けれど、おそらく彼らは藤真の存在に未だ気が付いていない。
しんと静まり返る中、男の方が女に対し、「もし良かったら、付き合って欲しい」と、ありきたりな言葉をたどたどしく告げるシーン。女がなんと返答するのか、藤真は野次馬的な観点から気になって、意識をそこへ集中させた。

すると迷いなく、「ごめんなさい、好きな人がいます」と告げた女の声。その声がやたらと聞き慣れたものだったことに、藤真はひどく驚いた。
こちらからはちょうど死角になっていて見えなかった、その女生徒の姿。
その正体が誰なのか、気になって仕方がない。自分の頭に浮かんだその人物の通りなのか、どうにかして確認をしたい藤真は、うっかり彼らに近付き過ぎてしまった。動揺が形になって表れた瞬間だった。

「あ……」
「!」
「あ、悪い……」

一瞬、三人で見つめ合い、その場の空気がぴりっと固まる。
しかし、フラれた恥ずかしさからか、告白を仕掛けた男の方は、「じゃあ、そういうことで」と、一方的にその場から小走りで逃げ去ってしまった。
その姿を藤真と一緒に見届けた女生徒の正体――それは紛れもなく、佐藤静だ。

静寂の中、気まずい空気が流れる。さすがに自分の安い野次馬根性のせいで場の雰囲気を台無しにしてしまった自覚のあった藤真は、静に向かって謝罪の言葉を口にした。

「あ〜……なんか、悪かったな……」

「どこから見てたの?ほんと、悪趣味」

「付き合ってください、のところからだな」

「相手が私だからって、からかいにでもきたの?最低」

「初めはこっちからは見えなくて気付かなかったんだよ、相手がお前だって。ていうか、ははっ、佐藤、お前、好きな奴いるんだな」

「うるさい、黙って」

「しかも、いっちょ前に告白なんかされてよ、物好きもいるもんだよなぁ?」

「うるさいって……最低」

「お?どうした?いつもの調子は。覇気がねぇぞ」

「あんたになんか、一生わかんないよ、きっと」

「はぁ?何、キレてんだよ、ただの冗談だろ?」

「もういい、疲れた……あんたなんか嫌い、傍に寄んないで」

その言葉を聞いた瞬間、藤真は先程まで忘れていた今朝の夢の内容を思い出していた。電気が全身に走るような変な感覚が身体中を駆け巡る。
全く同じセリフに、同じ表情。夢の中で見たものと、寸分の狂いもない。これが予知夢というものなのかと、藤真は驚きを全く隠せないまま微動だにも出来なかった。目を見開き、固まる藤真をそのまま取り残して、静は何も言わずにその場から離れようとした。

藤真がもし、あの夢を見ていなければ、きっとここでも、夢の中と同じ反応を見せたに違いない。
「上等だ」、と嘲笑うように言い捨てて、去ってゆく静を追いかけるなんて以ての外。

けれど、今は解る。直感的にこのままじゃいけないのではないかと、警告か何かのように自らの感覚が、そう告げている。確かに、悪ふざけが過ぎてしまったという自覚もあった。
藤真は、去ってゆく静の後ろ姿に向かって、大きく声を張り上げる。

「待てって、静!」

思わず昔のように下の名前で呼び掛けると、静もまたひどく動揺した。反射的に進める歩を止めて、立ち止まってしまう。
気が付けばいつの間にか、名字で呼び合うようになっていた互いの名前。きっとそのくらいの時期から、藤真と静の関係性は、少しずつ変化していた。思春期特有の、あの感じ。照れからなのか、恥ずかしさからなのか、その気恥ずかしさを誤魔化し隠すように生まれた距離感。

ただ、実のところ、その距離感が静にとっては、とても寂しくてつらいものだった。
静の好きな相手は、もうずっと昔から藤真だけだというのに――藤真は彼女のその淡い恋心には、全く気が付かないままだ。
静が幼い頃、女子一人だけで男子に交じってサッカーやドッジボールへと精力的に参加していたのも、アクティブな遊びを好んだ藤真と一緒に遊びたかった、ただそれだけだったのに……。

素直になれない静の精いっぱいの恋心は、藤真本人には全く通じていなくて、それでもこうしてどんな形でも藤真と関わりを持てることが、静にとっては何よりも特別なことだった。
高校も同じ翔陽高校へ通うことになったと知った時は、本当に嬉しかった。部屋で一人、飛び跳ねるように喜んだし、また藤真と三年一緒に過ごせると思うと、高校生活が楽しみで仕方がなかったというのに、こじらせ過ぎた静の片想いは、もう、取り返しのつかないところまで来てしまっていた。

藤真が自分を恋愛対象として意識していないということくらい、静にもちゃんと解っている。
だからせめて、好きな人がいる自分の想いを大事にしようと思い至り、きちんと言葉に出して先程の告白を断ったというのに、まさか藤真本人にその現場を見られていたなんて、思いもよらなかった。
しかも、その長年の積もり積もった想いすらも否定されてしまっては、もう……どうしようもない。

堪らなくなって思わずその場から逃げ出してしまった静だが、藤真に引き留められるなんてこともまた想定外だった。
併せて、藤真からまた昔のように下の名前を呼ばれたことにも嬉しくなり、思わず顔が熱くなって、呼び止められた今も振り返ることが出来ない。

「おい、聞いてるのか、静。何か言えよ」

「勝手に下の名前で呼ばないで」

「何を、お前は佐藤静だろ?どう呼ぼうが俺の勝手だ、いいからこっち向けって……悪かったよ」

「無理、許せない、嫌い」

「……静と俺の仲だろ?」

「どんな仲?もともと特別に仲が良いってわけでもないのに?」

「いいや、仲が良いだろ?俺たち」

「良くない」

「そんなに嫌いなわけ?」

「嫌いだよ、健ちゃんのことなんて。優しくないし、意地悪だし、ほんと最低」

「ははっ、俺のこと、よく知ってるじゃん。それを仲が良いって言わなくて、なんて言うんだよ」

また同じく、藤真も静に昔からの呼び名で呼ばれてひどく心地が良いと感じていた。懐かしさや馴染みの良さに、思わず頬が緩む。
静の機嫌を損ねて、ひどく嫌な思いをさせてしまったことへの自覚はあったが、こうしてしつこく許しを請うなんてこと、藤真自身にとっても意外だった。
今までは別に静になんと思われようとも、痛くも痒くもないはずだったのに。
それが夢のせいなのか、はたまた、見た夢に何か意味があるのか、それは解らない。
けれど今、ここで静を離してしまっては駄目だと、そんな思いに駆られていた。藤真にしてみても、確かに静は特別なはずなのに。本人には未だその自覚がないのが、滑稽極まりない。互いに、こんなにも大事に想っているのに……。

「とりあえず俺、部活行くからさ、見に来れば?」

「は?やだよ」

「あ、そうですか、じゃあいいけど、別に」

そう言い残して、藤真は静をその場に置き去りにしたまま、部室の方面へと一人歩き始めた。
次に、練習の為の身支度をしてから体育館へ足を踏み入れた藤真は、すぐさま人が多く連なるギャラリースペースへとそっと視線を送る。
そこに在るだろう静の姿を容易に見つけて、うっかり自分の頬が緩むのを、自らではっきりと自覚した。

不服そうにぶすっと仏頂面をした静の顔を見て、藤真はひどく機嫌が良かった。
後でどんな言葉を静に投げつけてやろうか。その時の静の反応を想像してみれば、藤真はただただ愉快で仕方がなかった。
同時に、少しだけ自覚した愛おしさも抱えて――。


(2020.9.3)





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