三井編


触れる柔らかい肌。漏れる吐息。
自分よりもはるかに細く小さな身体の上へと馬乗りで跨り、余すところなく全身に唇と舌を這わせる。
攻めれば攻めるほど、細く華奢な指が三井の頭部を強く引き寄せて、仕草だけでもっとと強請ってくる様が堪らない。
求められることがこの上なく心地良くもあり、そして興奮する。目の前で震わせる身体。擦れるシーツの音でさえも、この上なく生々しくいやらしい。
欲に駆られ、身体を貪ることだけに意識が集中し、止めることの出来ない衝動。もはや、本能だ。

目の前の、ご馳走にも似た身体への愛撫に夢中だった三井は、いよいよ更なる密着を求めて相手の女性の脚を抱えて、口付けを落とそうと顔を近付け、更に肌を寄せた。
しかし、そこで妙な違和感を感じて、ハッとする。

身体を駆け巡る快感ははっきりと明瞭なのに、相手が誰なのかだけがずっとぼんやりとしていたことに、初めて気が付いた。何故、今まで気が付かなかったのか。
キスをしようと彼女の顔を覗き見た時、全てが明らかになった瞬間だった。

一気に靄が晴れたように、はっきりと相手を認識した時、三井はひどく驚愕し、戸惑った。
自分の施す愛撫に艶めかしい吐息を漏らし、しきりに自分を求めてきていたのは――紛れもなく佐藤静だった。
恋人でも、好意をもっていた相手でもなく、ただのクラスメイトである彼女の顔を認識した途端、そこで三井は自らの意識を一瞬、途切れさせてしまった。
三井が最後に見たもの。それは紛れもなく色香を含み、女の顔をした静だ――。



次に三井が意識を取り戻したのは、自室のベッドの上でのこと。
薄っすらと目を開けてぼんやりとしたのも束の間、先程まで感じていた感情が一気に舞い戻り、眠気など瞬時に覚めてしまう。
まず一番に、見事な反射神経で上半身を起こして確認したのは、ベッドの中と自らの衣服の状態。
そこで、通常通り、普段と何ら変わらないことにほっと安堵しながらも、同時に沸き起こる羞恥の感情に、三井は片手の手のひらで顔を覆った。

(まじかよ……信じらんねぇ……)

未だに心臓がばくばくと大きな拍動に包み込まれ、その動悸は全く治まるところを見せない。
全てが夢の中の話だったと認識出来た今でも、身体は正直だ。男にはよくある現象だが、今日は少々訳が違った。
昂ぶりは全く治まらず、辛うじて暴発していないことだけが救いだった。
しかも、夢の内容を思い返せば思い返すほど、生々しい。
あんな風に夢中になって求め、肌と肌の触れ合いも、互いに荒い呼吸や息遣いも、やたらとリアルだった。ただその相手が問題だ。
なぜ、相手が佐藤静だったのか。それが、三井には全く解らない。心当たりすらもない。

三井と静とはクラスメイトというだけの間柄だった。それ以上でもそれ以下でもない。ただ中学も同じ武石中で、顔馴染みになってからは長いが、それでも当時から特別仲が良かったというわけでも決してない。
しかし、そのおかげか一つだけ他と違うのは、一旦バスケットボールから離れ、学校内で浮いた状態だった三井に対しても、静はいつも態度が変わらなかった。特別親しいわけでもなかったが、良くも悪くも変わらない態度。顔を合わせれば当り障りのない挨拶をし、一言二言、軽く会話をする程度のもの。

静自身も、さして三井に対して特別な想いを抱いてるいるわけでもない。
本当にそれだけの関係だったにも関わらず、三井はこの失態にひどく頭を抱えた。

「なんで、アイツなんだよ……」

誰にも解らない。三井本人にも、もちろん静にも。
静にとってみれば、まさか三井が自分を相手に淫夢に耽っていたなど、それこそ夢にも思っていないのだから――。


*


その日、学校に登校してからの三井は特に落ち着きがなかった。今朝、あんな夢を見てしまったせいだ。
学校に到着してしまえば、静とは必ず顔を合わせてしまう。それはどうしても避けられない現実。幸いにも、席が少し離れていることだけが救いで、出来る限り静の方へと視線を向けないように努めるくらいしか、今の三井自身に出来ることは何もない。もはや、意識をするなということの方が難しい。

とは言っても、やはり気になって仕方がない。
現に今でも、彼女を見ないと決めたつもりだったのに、三井はふいに視線を静へと向けてしまっていた。友人と楽しそうに談笑する彼女の姿。いつもなら全く気にも留めない光景。
なのに、あの彼女の手や唇が夢の中で艶めかしく自分に触れているのを思い出して、変な気分にさえなってしまう。三井は完全に静に捕らわれていた。ただ一つ滑稽なのは、静自身には全く身の覚えのないことで、三井が一人で静に対して欲情しているということ。

さすがに、三井自身も自分があまりにも気持ち悪いことをしているという自覚はあった。
挙句の果てに、ついにはなす術を無くし、堪らなくなった三井は、机の上に顔をうつ伏せて自らの視界をシャットダウンさせる。けれど、それでもやっぱり瞼の裏に浮かぶのは、静の姿だった。


「三井」

「あん?――っぅおい!」

ふいに頭上から名を呼ばれて、うつ伏せた顔を上げてみると、そこには三井をそっと見下ろす静の姿。
こんなタイミングの良さってあるものだろうか。
あまりにも驚いた三井は、思わず座っていた椅子から少しだけ腰を浮かせて飛び起きた。

「なんなの?そんなにビックリすること?」

「い、いやぁ……わりぃ……」

悪い、と謝った三井の言葉には、静が思っている以上の謝罪の意味が込められていることなど、もちろん彼女には知る由もない。
未だに変にどぎまぎとする三井の態度に、静は少し不思議に思いながらも、要件を伝えようと言葉を続けた。

「あのさ、今日、私たち日直だから。日誌、取ってきた。三井が書いて」

「は?なんでだよ、お前が書けよ」

「ええ?たまには頑張ってクラスに貢献しなさいよ」

「はぁ?ざけんな、俺は部活あんだよ、放課後は」

「じゃあ、放課後までに全部書いておいてよ、職員室には私が持って行ってあげるから」

「お前、そりゃずりぃだろうが!」

「いいじゃん、頼んだからね?ん!」

押し問答の末、分厚めの黒い表紙の付いた日誌帳を静は三井の方へとぐいっと押し付けた。
初めこそ差し出された手を無視していた三井だったが、尚も懲りずに彼の手の内へ押し付けてくるのに、ついつい根負けしてしまい、溜め息交じりに仕方なく受け取る。

するとその際、ふいに少しだけ掠め触れた静と三井の手指。
三井は思わず、咄嗟的に手を引っ込めてしまった。その行動に、驚きを隠せない静は目を丸くして少しだけ固まる。

「なによ……びっくりするじゃない。言っとくけど、私の手、そんなに汚くないからね?」

「……わりぃ」

「ま、いいけど。それ、頼んだからね!」

「ああ、わーったよ!早く行け」

「よろしく〜」と、大して三井の態度に突っ込むこともせず、静はそのまま三井の席から背を向けて去っていった。
その後ろ姿を三井はそっと横目で見つめる――掠れた指の熱と、ばくばくと煩い心臓の音を抱えたまま……。

「よろしく〜、じゃねぇよ、バカヤロウが……」

一人小さく呟いた三井の独り言は誰にも届かず、がやがやと賑やかしい教室の中に溶けて消えた。


(2020.8.20)





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