神編


「――くんのことが、好き」

自分が特別な何かに対して、強い感情を抱きやすいことには気が付いていた。
けれど、それを周りに悟られないようにしているつもりだ。
執着し嫉妬に塗れた感情は、自分自身の中にしまい込んで、消化させる癖が付いていたし、それを周囲に晒して歩くなど、自らの未熟さを表すようで嫌だった。
幸いにも、温厚そうに見られる容貌から、そんな暗い部分を周りに悟られることは一度もなかった。

なのに――。
夢とは言え、最悪の気分だ。
好いた相手の口から、別の男が好きだと告げられるとは。

神は、自室の寝具の上に仰向けで寝転がったまま、片腕で目を隠し、未だ寝起きのぼんやりとした頭で憂いの溜息を吐いた。



恋愛にうつつを抜かしている暇などないとは頭では解ってはいても、それでも、誰かに対して好意を抱くという感情は抑えられないようだ。別に決して自分が異性に惚れやすい質でも、恋愛が得意というわけでもないが、気になる相手がなんとなく近くにいると、何をしているのか不意に気になってしまって、視線で追ってしまう。初めは、そんな些細なことだった。
すると、それを自覚してからすぐに、相手の子とやたらと目が合うようになったことに気が付いた。
初めはたまたま偶然かと思ったが、どうやらそうではない様子で、互いにはっきりと自覚してからは、神と静は、どちらからともなく教室内で秘密のアイコンタクトを交わすようになった。

関係性はただのクラスメイト。
特別仲が良いわけでもない。

教室内でばったりと顔を合わせれば、もちろん言葉は交わすが、それもあいさつ程度の簡素なもの。
だから、彼らが秘密のアイコンタクトを幾度と交わしていることなど、クラス中の誰もが気がついてはいなかった。
――それで良かった。
その小さくて密かな繋がりが、神には堪らなかった。
目が合う度、嬉しそうにはにかむ静の表情が可愛いと思ったし、そんな表情をさせているのが自分だけだと、そして自分にだけ向けられている特別なものだと思うと、なんだか妙に満たされた気持ちにもなった。
本当なら、もっと傍にも寄りたいし、共に時間を過ごしたり、もっと言うと触れてみたいとは思う。健全な若者としては当然の欲求だ。
また、それは静にとっても同じ。
彼らが、互いに好意を寄せあっているのは明らかだった。
控えめとはいえど、離れた位置から、こちらに早く気が付いて、と言わんばかりの熱い視線を向けあえば、それは口に出さずとも解る。
その心地良い密かな両想いを、神と静は楽しんでいた。

そう、そのはずだった。
昨日までは。

どちらかと言えば静は、クラス内でもさほど活発な方ではないが、男女問わず友人は多い方だと神は認識していた。
互いに愛情を確認しなくとも、友人たちの輪の中に自分が入っていなくとも――友達と談笑しながら、ふとした瞬間に彼女の瞳に自分の姿が遠めからでも映る瞬間に、神は満足していたはずだったのに、昨日は見たくない場面にうっかり遭遇してしまった。

放課後、部活へ向かおうと荷物を抱えた神が、体育館への道を急いでいた時のこと。
ちょうど体育館の陰になるような、人の目のからは少し離れた場所に、静と同じクラスの男子生徒の姿が目に入った。
いつもなら全く気にも留めない場所なのに、今日に限っては変な勘が働いたのか、はたまた、ぼそぼそと聞こえる会話が耳に入ったせいなのか、面白いほどピンポイントに、神の視界に飛び込んで来た。

こんな、いかにも人目を避けた静まった場所に、男女が二人。
この場合、何をしているか想像でき得る状況など、ほんの僅かしかない。
しかし、どの状況だとしても、神を喜ばせるようなものは一つだってないのも安易に予想出来てしまい、彼の眉間に険しいものが浮かぶ。
神は、その男女の片割れが静だという理由だけで、その場から一歩も動けなくなってしまった。
幸いにも、まだ彼らは神の姿に気が付いていない。
盗み聞きなんて野暮なことをするべきではないと解ってはいても、ざわざわと嫌な胸騒ぎと、静の様子が気になって、そっと耳を澄ませる。

「好きな奴でも、いるのか?」

「えっと……」

「いないなら、付き合って欲しい。好きなんだ、佐藤のこと。ずっと前から……」

「あ……私、その……」

「待って、まだいい、返事は……また改めて聞かせて欲しい」

「……わかった」

ぎこちない会話。声のトーンの低さ。
何もかもが冗談ではなく、本気の告白だった。
相手の男の本気度と、それに戸惑う静の声色。
彼らの表情は神の場所からは見えなかったが、結果は火を見るよりも明らかだ。
だから、告白した彼も結果をはっきりと告げられるのが怖くて、早々に逃げ出して行ったのだろう。今は、静がその場に一人ぽつんと取り残され、微動だにしないまま立ちすくんでいる。

心の整理でも付けているのだろうか、ふぅと大きな溜息を吐いてから、静は身体の向きを変えてその場から立ち去ろうとした。
すると、目の前に神の姿が。
不意のことで、あまりに驚いた静の口から、「ひゃっ!?」と、普段聞けないような声が飛び出した。

そんな静と対峙するように立つ神は、表情を硬くしたまま、じっと静を見下ろす。189センチの身長の神とこんなにも近くで向き合ったことなど一度もなく、その大きさと、好いた相手に見つめられるということだけで、静の心臓は高鳴った。
先ほどの、特別な感情を全く感じない相手に告白された時とは、雲泥の差だ。

しかし、その喜びも束の間。
どうやら様子がおかしいと静が気が付くのに、ほとんど時間はかからなかった。

いつも教室内で視線を交わす時の神とは、雰囲気が全く異なっていたからだ。
静は、神の柔らかく温かい優しい瞳を既に知っている。
自分だけに向けられる優しい表情も知っている。
だけど、今、目の前に立っている神宗一郎からは、その優しさが微塵も感じられない。
その両極端ともいえる変化に、静は恐怖さえ覚えた。

「神くん……どうし――」

「付き合うの?あいつと」

「えっ?」

どうして?という静の問いを聞き終わらないうちに、食い気味の神の言葉が重なった。
神が放つ静なる威圧感、そして、静の抱える戸惑い。
二つの複雑な色味の感情がその場に渦巻く。
変な空気感を纏ったまま、二人はただ黙って見つめ合っていた。
それに対して先に口火を切ったのは、神だった。

「何も言わないってことは、そうなんだ?」

「待って、神くん」

先ほどのクラスメイトの男子とのやりとりを、神が見ていただろうことに気が付いた静は、どうにか弁解し、誤解を解きたいと思うものの、上手く言葉が出てこない。
心の中では、『違う!!!』と叫びたい衝動に駆られるものの、今までこうして神と面と向かって会話することに慣れていないせいか、静はもどかしい想いを抱えるだけで、上手く否定出来ないでいた。
もちろん、告白してきた男子生徒と付き合うつもりなどない。
けれど、本人にすらはっきり断ってもいないのに、先に神へあれこれと言うのも憚られた。

何か言いた気になのに、どうにもはっきりせず歯切りの悪い静の返答に、神の苛立ちはただただ加速してゆく一方だ。

どうして、好きな人がいるとはっきり伝えなかった?
どうして、しっかりと拒まなかった?
どうして、悩む必要がある?

幾通りもの“どうして”が、神の頭の中を占めてゆく。
けれど、それを強く静に突きつけることも出来なくて、また黙り込んだ。

神はこの時初めて、後悔した。
こんな風になるのなら、さっさと自分のものにしておけば良かったと。
静に好意を抱く男が自分以外に居ないはずがないのに、悠長に構えて、ぼんやりとしていた自分にも苛立つ。
けれど、それ以上は何も言えない。
神と静の関係性では、それを突き詰めて話し合うには、あまりにも弱かった。

ただ俯いて何も言わない静を尻目に、神は黙ってその場から立ち去ろうと動いた。
すぐ傍で、はっと息を呑む雰囲気は微かに伝わったものの、神はそれに気が付かない振りをして、歩を進めた。



その日は、散々だった。

部活にもいつもより身が入らなかったし、ふと気を抜くと、静のことが頭を過った。
恋愛などに振り回されている場合ではない、と自分に言い聞かせながら上手くこなしているつもりでも、シューティングの決定率が数字として現実を突きつけてくる。
動揺以外の何物でもなかった。

更に決定的なのは、その日の夜、夢に静が出てきたことだ。
内容も、目覚めも最悪で、全てを認識した瞬間からどっと疲れた。
夢の内容とは言え、静の口が誰か他の男の名を呼び、好きだと言う。
自分がこれ程までに静に対して特別な感情を抱いていたこと、そして、その感情に振り回され、紛れもなく好きだということを、事実として突きつけられた気がした。
もう、この気持ちから逃げられないところまで来ていた。

少し前まで何の確証もないまま、彼女も自分と同じような気持ちでいてくれていたのかもしれない、と考えていたことが、なんて浅はかだったのだろうと、急に恥ずかしくもなった。
人の気持ちなど、全て解りもしないのに……。


それから、翌日の学校でも明らかな変化が見られた。
いつものように視線を交わすが、静は明確な困惑の色を表情に浮かべている。
神の様子を伺うような、少しおずおずとした様子を滲ませる。
神はまた、それも面白くなかった。
彼女にそんな顔をさせたいわけじゃない。けれど、昨日の自分の言動が原因で、そのような事態になっているのも十分解っている。

静も同様に、神の想いに対して疑いを持っているような、そんな感覚にすら陥った。視線は絡まるも、そこに安心感などない。
静も、神の硬い表情にはもちろん気が付いていて、昨日の段階で面と向かって誤解を解くことが出来なかったことに、後悔もしていた。もっとはっきりと自分の想いを口に出せていたら、こんな事態にはならなかったのかもしれない。
自分が本当に好いているのは神だけなのだと、きちんと言えば良かった。

昨日告白してきた男子生徒にははっきりと断り、すぐに神へ自分の気持ちを伝えよう。
静が昨晩一人で考え、導いた決断はこうだ。

なのに――。
神と静が目を合わせることは、そこから一度もなくなってしまった。
朝一番、教室に入ってから一度だけ目が合ったが、それ以降は、神が一切、静の方へ見向きをしなくなったからだ。

すれ違いは、どんどん大きな溝として広がる。
互いの感情が解らなくて、二人して身動きが取れなくなってしまった。
もどかしさ、歯がゆさ、嫉妬心、独占欲、焦り、罪悪感、後悔、そして愛情。
様々な感情が一気に沸き起こり、若い二人を飲み込む。

このままではいけないと思うのに、どうすれば良いのか。
静は不安定な感情で考えるも、いよいよ回りくどいことをしている場合ではないと、気を引き締めた。
自分が神を好きだという感情は確かなもので、それをどうにか彼に伝えたい。
このまま何も言わず、神のあの優しい視線と特別感を失うことが一番怖かった。

静は、まず告白してくれた男子生徒に、好きな人がいるから交際は出来ないと、はっきりと断りの言葉を伝えた。
男子生徒は、「そんな気はしていた」と、静の言葉を残念そうに受け入れた。
想いに応えることは出来ないけれど、静にも彼の気持ちが痛いほど解ってしまう。
自分も神に対して恋焦がれ、好きで堪らないのだから。
そして、今度は立場が180度変わる。次は静が男子生徒と同じ立場になることを、静は決意していた。

放課後になると、揺ぎ無い強い気持ちを持ったまま、すぐに静は神の席まで近寄って行った。
神が多忙なバスケ部に所属していることから、放課後のこの時間帯に、さほど時間の余裕がないことを知っていたからだ。
うかうかなどしていられない。

少し顔が強張ったまま、自分の席に近寄ってくる静の姿に、神は目を見張った。
互いに多少の気まずさを残しながら、それでも好いた者同士が引かれ合うかのように、徐々に神と静の距離が近付いていく。

「あの……神くん、あのね」

「どうしたの?」

「あの……神くんのことが好き」

神は息を呑んだ。
全く同じこの場面を、一度見たことがあったからだ。
同じ声色、表情、そして、同じシチュエーションで。

まさかこんな所で静が想いを伝えてくるなんて想像すらしていなかった神は、夢の中では神以外の誰かに好意を伝えているとばかり思ったが、まさかその相手が自分で、現実に起こるなんてこと、全く予想など出来るはずがなかった。
あまりに驚き過ぎて、未だに固まる神を他所に、静は神の反応を待っている。
恥ずかしい気持ちと気まずい気持ちを必死に押し殺して、神の目を見つめる姿は、愛おしい以外の何物でもない。

「あ、うん、俺も。昨日はごめん。ただの嫉妬」

「えっ」

「だから、俺も好きってこと」

ようやく二人の間に、以前にも増して柔らかく優しい視線の絡まりが戻ってきた。
それが嬉しくて、互いの顔が緩む。
神は、静がこうして行動を起こしてくれたことが嬉しかった。
ただ、自分の不甲斐なさと嫉妬に塗れた少々子供じみた言動については、あとでしっかりと詫びよう。そして、今度は自分の気持ちを静に余すことなく伝えようと思った。

夕方の日差しが窓から差し込み、二人を包み込んだ。
誰にも悟られることなく、今、この瞬間から二人の新しい関係が静かに始まる。


(2023.6.2)





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