つたないこころの裏側で


独り――。
私は、今日も独り。
友達なんて呼べる人なんていない。
私はいつも独りぼっち。


高校1年生、16歳にして、早々に他人と深く関わるとろくな事にならないと身を持って学んだ。
初めは、何故自分だけこんな嫌な思いをしなくちゃならないんだ、と悲しんでみたこともあったけれど、そんなことを考えたところでキリも無ければ、何一つ、誰一人私の味方になってくれるものは無いんだと気が付いてしまったのだ。
それからだ。考えるのも悲観して自分を可哀相だと思うのも止めた。
周りの人が私を哀れんだ目で見てこようとも――。

吹っ切れてからは自分を不幸だと思うこともなくなった。
煩わしさから解放されて気が楽と言ったらそうだし、もう面倒なことに巻き込まれなくて済むと思ったら自分の中で割りきれて逆にスッキリした。


今日の昼休みもただ一人、体育館裏の日の当たらない少し廃れたベンチに座って自分で作ってきたお弁当を膝の上に広げて食べる。
周りには誰一人他の生徒の姿はなく、閉めきった体育館の中からはダムダムとボールを床につく音だけが遠く聞こえるだけ。

私がこの場所を見つけて以来、側にある体育館へと繋がる大きな扉が開いたことは一度もないし、中の音は微かに聞こえるものの決して人の目に触れることがないことが、私がここをお気に入りの場所にした一番の大きな理由だった。


私がここ、海南大附属高校に転校して来たのは、つい先月の事。
私はここへ逃げてきた。
元は都内の中高一貫の私立の女子校、所謂世間ではお嬢様学校と呼ばれる学校へ通っていた私は、そこで嫌という程、人間という生き物を知った気がする。
そもそも、前の学校へも自分がどうしても通いたくて通っていたわけではない。
幼い頃から、「とにかく世の中は学歴社会だ」と、一切疑わなかった母親の影響で、私は物心が付いた時からずっと勉強漬けの生活を送っていた。
勉強を頑張って、良い成績を残せば残すほど母親はとても嬉しそうな顔をするし、その生き方を幼かった私は一切疑うこともせず、自分の意志とは関係なく決定付けられていたのだ。

今思い返せば、母親は教育ママの典型のような人だった。
良ければ嬉しそうに誇らしそうに褒めてはくれる。しかし、逆の場合、彼女はヒステリックを起こしたように怒鳴り、私を蔑んだ目で見下した。
そして決まったようにこう言う。

「あなたって本当にダメね」


そんな母親は、もうこの世にはいない。
私が小学生の頃に再婚した義理の父親と私を二人残して、晩年は病気で入院がちだった彼女は、私が高校に入ってすぐに他界してしまった。
私が例のお嬢様学校に合格した時、彼女は病室でとても良い笑顔で笑っていた。
今思えば、私はただ彼女のその笑顔が見たかっただけだったような気がする。だから必死に勉強もしたし、新しい継父が出来る時も、何も言わず受け入れた。

ただ、母親がいないのであればあの学校に通っていても意味がないし、なにより私は入学してすぐに目を付けられてしまった。

元々、家もそんなにお金持ちではないし、家系自体が優れているわけでもない。
しかし成績はいつも学年で上位から数えた方早かった。
それに加えて、学校の外に出ればよく他校の男子生徒から声を掛けられることも多く、いろんなことが同時に重なったのだ。

その学校に通う一部のお嬢様たちは、私を鬱陶しそうな目つきで見下し、だんだんと意地悪をされることも日常茶飯事になっていった。
どこかの少女漫画に出てくる主人公のような待遇を受けたが、もちろんそこは女子校。白馬の王子さまのような救世主なんて存在する訳もない。

それに加え、母親の再婚相手、つまり継父も私が授業料の高い私立の学校へ通うことを快くは思っていなかった。
継父はごく一般的なサラリーマン。
あれだけ高学歴に拘って我が子を育てた母が、なぜこのような何の変わり映えもしない、ごく一般的なサラリーマンである継父と再婚したのか、今でも謎だ。

「お前の学費だけでこの家は破産する」、「働けど働けど金は出て行く一方」、「俺はお前の為に生きるなんてまっぴら御免だ」
何度も何度も言われ続けた。
確かに継父の言っていることは理解出来なくもない。娘といえども結局は他人。そんな赤の他人に割く時間も労力も惜しいだろうなと、安易に想像は出来た。

頭ではすべて理解は出来る。しかしもういい加減限界だった。
学校では嫌がらせをされ、家でも血の繋がらない継父に皮肉を言われ続け……。
とうとう私は、その場から逃げ出した。
いや、違う。捨ててやったんだ。
その嫌気が差すような生活を捨てるのに、未練の“み”の字も感じなかった。
だって、こんなギスギスとした生活に何の意味があるのか全く分らなかったから。

決断してからは、行動は早いほうが良い。そう思って、直ぐに母方の祖母の家のある神奈川県へ。
祖母は母とは違ってとても穏やかな人だ。
私が高校も転校して、祖母の家で一緒に暮らしたいと電話で申し出ると、「こんなに嬉しいことはない」と言って、とても喜んでくれた。
単純に祖母の優しさが嬉しかった。今まで人の優しさに飢えていた私にとっては、祖母の好意がこの上なく心に沁みて、電話口で号泣したのを今でも鮮明に覚えている。

継父にも学校を転校して家を出ると告げると、「それは良かった」とたった一言だけ言った。
それ以上は何の関心も示さず、彼はにそのままどこかに出かけてしまって、その夜は家に帰って来なかった。
これで、終わった。
もう家族ごっこなんてしなくていいんだ、と。関わらなくていいんだ、とそう思うだけで、自分の顔に自然と笑みが浮かんだ。完全に肩の荷が下りた瞬間だった。


学校の転入もちょうど時期のタイミングが良く、すんなり転入手続きを済ませる事が出来た。
しばらく引っ越しや転校の準備をしてバタバタした日を過ごした後、とうとう私が家を出る日。
私はもの凄く晴れやかな、清々しい心持ちだった。

心の中で「お母さん、さようなら」と、一言呟いて玄関の扉を開いて外へ出る。
その日はこの上ない晴天で、私の新しい門出にはとても相応しい。こんな晴れやかな気持ちで空を仰ぎ見れたのは、いつぶりだろう。
もちろん、継父の姿はそこにはなかった。


祖母の家に暮らし始めてからは、毎日がとても穏やかで、気を許せるたった一人の家族である祖母との食事、会話、何をするにも楽しく感じた。
私が今まで抱いてきた“家族”というものが、いかに偽物だったのかということを、ここへ来てまざまざと感じてしまう。

あんな母親だったけれど、彼女のことは好きだった。けれども、やっぱり、今のこの穏やかな生活の中に身を置いてしまうと、あれはあれで何かがおかしかったのだと、そう思わざるを得ない。
あの家にいた時は常に心苦しくて、何かに縛られているような……言葉では上手く言い表せない緊張感しか味わってこなかったように思う。
こんなに身も心ものんびりした時間を過ごせているのは、生まれて初めてかもしれない。


「おばあちゃん……ありがとう」

「なんだい、急にこの子は。どうしたの?」

「ううん、なんでもない」

私がそう言って少しだけ笑うと、祖母も優しい微笑みを浮かべた。けれどその祖母の笑みの中には、ほんの少しだけ悲しむような……彼女の目にはうっすらと瞼に涙が浮かんでいた。


それから、転校先の海南大付属高校へと通うようになって、今に至るのだが――。

私が心を許せるのは、たった一人の家族である祖母だけ。
それ以外の人と関わるのはやっぱり苦手で、特別に親しくするのはどうしても無理だった。
信用した後で裏切られるのも、また嫌味を言われ、哀しい思いをするのも面倒だし、御免だ。
だからこうして私は、転校して以来、誰とも深く関わることなく、こんな陽の当たらない物哀しいベンチでたった独りの時間を過ごしていた。

いつものように独りきりの昼食を済ませ、余った休み時間は文庫本を鞄の中から取り出し、静かに読書の時間を楽しむ。
これもいつも通り。私の日常だ。
おもむろに、前回読み終わったページの続きを開こうと栞に手をかけた、ちょうどその時。


「うっわ〜!あっち〜!こっちの扉も開けようぜ!」

ガチャガチャと大袈裟に扉を解錠させる音と、男子生徒の声が聞こえたと思ったら、目の前の体育館に繋がる扉が大きく開いた。
突然の出来事で身体がビクッと反応し、非日常的なことが起こったせいで全く動けないまま、開いた扉と目の前に立つ男子生徒をただ凝視することしか出来ない。

「あっ……」
「えっ?」

私と目の前の彼が声を上げたのは、ほぼ同時だった。
男子生徒は私の存在に気が付き、目を見開き驚いた表情を顔に浮かべる。
制服姿のその男子生徒は、肩まである長めの髪の毛をヘアバンドで額に留め、汗だくの顔で、「そんな暗い所で、何してんの?」と、馴れ馴れしく私に尋ねた。

「何って……別にあなたに関係ないでしょう?」

「ははっ!まぁ、そうだな」

私の放った可愛気のない言葉を受けても、彼は全く怯む様子はなく、「確かにそうだ」と、妙に納得した様子で人懐こく陽気な素振りを見せる。

「なぁ、暇なのか?」

「別に暇じゃない。さっきも言ったけど、私がここで何をしてようと、あなたには関係のないことでしょ?もう行ってよ」

「暇ならさ、バスケ、一緒にする?」

「は?しないわよ!するわけないじゃない!」

「だよな〜、邪魔して悪かったな」

私の言動をいちいち試して楽しむかのように、彼は一通りの会話の後、体育館の方へと身体の向きを変えて去ってゆく。体育館のと中の方から、「清田ぁ!どうしたー?」と別の男の子の声が聞こえた。

「べつに何でもねぇよ!」

私に背を向けた彼は、大きな声でそう一言叫んで、颯爽と館内へと消えて行った。

なに……?なんなの、一体。
まさかこんな所で誰かに話しかけられるなんて、思ってもみなかった。
さっきの彼……“清田”と呼ばれていた彼。彼の持つ雰囲気はどうも苦手だ。
きっと彼は私とは違う人種の人間。友達も多くて明るくて陽気で気さくで、私が最も苦手とするタイプのような気がする。
たった一言二言しか会話をしていなくとも分かる。そういうアンテナを張るのは得意だし、人間という生き物が苦手な私にとっては人を観察し、どういう類なのか判断するのは容易だ。
彼の醸し出す雰囲気は、紛れも無くそういった、私が最も苦手とするものだった。



キーンコーン……カーンコーン……。

午後一番の授業の開始を知らせる予鈴のチャイムが聞こえて、腕時計に目を落とす。
“清田”と呼ばれた彼に話かけられてからは、なんだかペースを崩され、再び読書を楽しむ気になれなかった。

「あ〜ぁ……今日は1ページも進んでないじゃない……」

心穏やかに過ごすはずだった午後。
予想外のことに、自分が心がかき乱されている。
私は持っていた文庫本を鞄の中に慌てて仕舞い、ベンチから腰を上げた。


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