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「おい、――――」



だれかが呼んでいる。わたしではなく『彼』を。いつも聞いている声だ。

わたしはまだ夢を見ている。もしかしたらあの日からずっと、浅い夢を見続けているのかもしれない。
あなたと、みんなと出会った日から、ずっと。


夢から覚めたら、制服に着替えて、重い足を動かし、大嫌いな学校に行かなくてはならない。
そこにわたしを待っている人がいなくても。

ああ……一瞬で、憂欝になる。翠の口癖が、わたしにも移ってしまいそう。


「月永!」


耳に馴染んだこの声は、敬人の声。この声を聞くと、何もしていないのに悪いことをした気分になるの。小さいころからわたしもみんなも、よく彼に怒られたから。わたしは悪さなんてしていないのに、だいたいはみんなに巻き込まれて。

でも今日はいったいどうしたの?

敬人は、レオ、の名前を呼んでいる。
ここはわたしの部屋で、わたしはまだ夢の中。温かいベッドの中で、だれかに抱きしめられて眠っている。

だれかに?


「月永っ!」


今度は怒気を含んでいる声。

ここまで来ると、彼は相当限界に近い。このまま放っておくと、屋敷中に響き渡る声で怒鳴ったあと、長い長いお説教を聞かなくてはならなくなるの。もちろんわたしもね。


「聞いているのか?なぜ貴様が名前のベッドで寝ている」


わたしの斜め上のほうで、ん〜、と眠りから覚めた『彼』の声がした。

そこでようやく、わたしの意識も現実に引き戻される。
腰にだれかの腕が巻き付いている。だれか、というか、レオの。

ずっと夢の中にいたのに、なぜかだいたいの状況は理解し始めている。


「ん〜?ここはおれの部屋じゃないのか?」


まだ半分夢の中、といった感じで、レオが問いかけた。

視線をあげると、寝ぼけ眼と目が合う。目が合った瞬間に悪戯っぽく笑われて、ああ、わざとだな、と気づいた。敬人が何度も呼ばなくたって、レオはもうずっと前から起きていたんだ。


「違う。貴様の部屋は一つ下の階だ」

「そうだったのか!そんな気がする!ごめんな、名前!にしてもおまえ、リッツのいう通り抱き心地がいいな!よく眠れた☆」


急に元気になったかと思うと、言い終わらないうちにぎゅっと抱きしめる腕に力を入れる。「ごめん」にまったく気持ちがこもっていない。ありがとうも、大好きも、レオの場合はどの言葉だって軽い。

起こしにきたはずの敬人の前で、もう一度眠ろうとしているんだから、とんだ度胸の持ち主だ。


「おい、月永!貴様わざとだろ……寝るな!話を聞いているのか?」


敬人がどんなに声を大きくしても、レオにはもう聞こえていない。聞こうとしない、の間違いか。

二人と同じ空間にいて、一言も話さないわたしは、まるで空気みたいだ。
このままだと永遠に続きそうな二人のやりとりに、辛抱できなくなって体を起こす。


「敬人、おはよう……あまり怒らないであげて。わたしはもう起きるから、ベッドはレオに貸してあげる」


腰に回された手は、想像以上に優しくて、力のないわたしでも容易に逃げ出すことができた。
ゆっくりベッドから起き上がると、背後でバサッと布団がめくれあがる。


「なんだよ〜!だったらおれも起きる!一人で寝ててもつまんないからな!」


意外とあっさり起きてくれるみたいだ。
皺一つないスーツを身にまとった敬人は、眼鏡を押し上げて深いため息を吐く。


「最初から大人しく起きればいいんだ、月永。まったく、今日も一日先が思いやられるな」


お人形みたいなわたしの面倒を見るだけでなく、執事たちの指導もしなくてはいけないのだから、敬人には頭が上がらない。