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「おにいちゃんのばかぁああああ〜〜!」


朝から響き渡る名前の泣き声。
鼓膜を刺激する声量は、近所の迷惑になってもおかしくなかった。


「名前のおきにいりだったのにぃいいいいい!もうぜったいようちえんいかないからぁああああああ!」


うわぁあああああん、とこれでもかというほど泣き喚く名前に、彼女の前で正座しているレオは浮かない顔で名前を見つめる。


「ごめんな?お兄ちゃんが悪かったから許して?ほら一緒に、うっちゅ〜☆」
「うっちゅ〜なんてしないよ!!!!!」


鬼のような形相で返ってきた言葉に、レオは肩を落とす。いつもなら一緒にポーズまで合わせてくれるのに、今日は怒りが収まらないようだった。


「そんなこと言うなよ〜!」


困ったレオが名前の顔を覗き込んでいると、ちょうど泉が通りかかった。
名前の泣き声に驚いて駆けつけたのかもしれない。


「れおくん、なにしたのぉ?」
「うぅ……名前が大切にしてるうさぎさんのハンカチに……ちょっと霊感が湧いて」


珍しくしゅんっとしているレオに、泉は大きなため息を吐く。
名前の手には、彼女が一番気に入っているうさぎ柄のハンカチが握り締められていた。レオの言う通り、ハンカチには黒いペンで音符が書き込まれている。


「馬鹿。だから紙に書けっていつも言ってるでしょぉ。しかも油性だし」


これでは洗っても落ちそうにない。


「もうぜったいぜったいようちえんいかない〜!!このハンカチがないと『ほんりょうはっき』できないもん〜!」


大粒の涙を流して抗議する名前に、レオと泉は二人で困ってしまった。
さて、どうするか。


「わかった!今度同じやつ買ってきてやるから!な?今日だけは我慢して?」


レオが提案するが、名前はぶんぶん首を振って余計に涙の量を増やした。


「レオにぃなんてきらいだもん〜!ようちえんなんていかないからぁああああ〜!!」


これはもう手のつけようがない。
だからといっていつまでもこのまま放っておくわけにもいかないので、泉が名前に視線を合わせて座り込む。


「名前、お兄ちゃんの言うことぐらい聞きな。れおくんの作曲癖は今に始まったことじゃないんだし、あんたのハンカチに書いたのはいけないことだけど、それと幼稚園行かないのは関係ないでしょ」


ちゃんと話せばわかってくれると思ったのだが、名前は急に静かになって、目元を拭いながら口を開いた。


「だって、ママがかってくれたやつだもん」


名前の口から出たその言葉に、レオと泉は身を固めた。お母さんのことを出されると、それ以上なにも言えなくなる。


「……れおくん」
「なんだ?ごめんって言葉だけじゃ許してもらえないのは知ってるぞ。おれは取り返しのつかないことをしたんだ」


泉に名前を呼ばれて、レオは俯いたまま答えた。名前のハンカチはたとえ同じものを用意しても、代わりにはならない。


「この曲、どんな曲なの」


泉はハンカチに書かれた楽譜を広げた。


「聴かせてあげなよ。あんたが夢中になるくらい真剣に作った曲でしょ」


名前にとってこのハンカチが世界に一枚だけのハンカチであるように、レオが作ったこの曲も世界にたった一つだけの貴重な曲だ。


「おれの自信作なんだ」


レオがハンカチに書かれたメロディを口ずさむ。泣いていた名前も、ぴたっと動きを止めてレオの曲を聴いていた。


「どうだ?」
「……なんていうなまえのおうたなの?」


歌い終わって名前の様子をうかがうと、名前はきょとんとした顔でレオに問いかけた。
曲名は最初から決まっている。


「『名前の笑顔がだいすきの歌』だな!」


レオは名前が生まれる前から、彼女のためにたくさん曲を作ってきた。この曲も彼女のために作った曲の一つだ。


「よかったねぇ。なかなかレアなんじゃない?」


泉が頭を撫でてあげる。有名な作曲家であるレオから直接曲をプレゼントされるなんて、きっと妹である名前でしか経験できない。


「レオにぃ、ごめんなさい。レオにぃのことだいすきだよ」


名前がちょっと躊躇いながら謝ると、レオはいつもの笑顔に戻って名前の手をとった。


「ありがとう!おれも名前のことが大好きだ!……幼稚園行くか?」


おそるおそる聞いてみると、名前もいつもの笑顔を浮かべて大きく頷いた。


「うん!これ、みんなに自慢する!」


嬉しそうにハンカチを抱きしめた名前を見て、レオと泉は二人そろって笑顔になった。