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「ようちえんいきたくない」


今日もいつもと同じ朝がやってきた。もちろん名前の幼稚園嫌いもいつもと変わらない。


「だァー!もうそれ何度目だよ!!テメ〜毎朝そればっかだろ!」


けれど、今日の兄は名前の我儘を優しく聞いてくれる相手ではなかった。晃牙は言うことを聞かない名前の手を引いて玄関までつれていく。


「うぅ……晃牙にぃがこわい……」


大きな声をだされて名前が泣き始めた。一瞬で家中に泣き声が響き渡る。


「おぉ、どうしたんじゃ名前。わんこに泣かされたか」


泣き声を聞きつけた長男の零が顔を出した。名前が「零にぃ……!」と彼の元に駆け寄る。こういうときはより歳が上の兄に助けを求めればいいと名前はよくわかっていた。


「そいつが勝手に駄々こね始めたんだろ!俺様は関係ね〜からな!」


自分のせいではないと主張するが、名前が晃牙の名前を挙げているせいであまり説得力がない。


「ほれほれ、わんこ。あまり吠えると名前がさらに泣くぞ?」


零が名前の頭を撫でてあげる。
すると泣き喚いていた名前もぴたっと泣き止んで晃牙を見上げた。


「ないちゃうよ。名前がないたらほかのおにいちゃんもきちゃうよ。晃牙にぃわるいこだっておこられるけど、それでもいいの」


相変わらず名前演技力は抜群だった。幼稚園児でここまで涙のコントロールができる女の子は他に探してもそう簡単には見つからないだろう。
涙は女の子武器だとよく知っている。


「ったく。だったら大人しく幼稚園ぐらい行けよ!俺様が一緒に行ってやるって言ってんだよ!」


偉そうに言い放つ晃牙だが、彼だって名前のことが嫌いでこんなひどいことを言っているわけではない。ほんとに嫌いなら幼稚園に行かそうなんて思わないし、わざわざ一緒に行く必要もないからだ。でも素直になれなくていつも言動が荒っぽくなってしまう。

そのことを零はよくわかっていた。


「名前、わんこがどうしてもお散歩に行きたいそうでなぁ。一緒に行ってやってくれんかの?」
「おさんぽ?」
「なっ!テメ〜また余計なこと教えやがって!」


零の一言で、名前の顔色が変わった。
夢ノ咲家では二匹の犬を飼っているので、名前もお散歩のことならよくわかっている。たまにスバルと一緒に大吉とレオンの散歩に行くからだ。


「晃牙にぃ、おさんぽいきたいの?」


零の足にしがみついたままの態勢で名前が晃牙に問いかけた。
傍から見ると、犬が怖くて近づけない少女のようだ。


「だれが散歩なんか」


晃牙はそこまで言いかけて止める。
名前を家から連れ出すには、他に道がない。


「……まぁ、そうだな。行ってやらなくもね〜けど」


でも完全に折れることはできなかった。
少しだけ尖った言い方になってしまったけれど、名前の気持ちを変えるには十分だったようだ。


「どこまでいくの?」


名前が晃牙のもとに歩み寄る。


「おまえの幼稚園のあたりまでな」
「名前といっしょがいいの?」


小さく首を傾げられて、晃牙は少しだけ葛藤してから口を開いた。


「おまえ以外にだれがいるんだよ!行くぞ!」
「うん!」


兄に合わせて元気よく頷いた名前は、幼稚園の鞄を持って靴を履き始めた。
その姿を見て、零もほっと一息つく。


「これで一件落着じゃな」
「零にぃもいっしょだよ?」
「ん?」


一瞬、時が止まる。


「ハっ!そうだな、そりゃいい考えじゃね〜か。ほら、行くぞ、吸血鬼ヤロ〜」


名前の提案に、晃牙もすっかり乗り気だ。
零は部屋着のまま冷や汗をかく。


「わ、我輩は朝は動けんからの。すまんな、名前」
「……零にぃがいないと、おさんぽいかない」


途端に瞳をうるうるさせていつもの涙攻撃が始まる。


「うっ」


この攻撃に勝てた兄は、いまだかつていなかった。