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「ようちえんいきたくない」


朝の第一声がそれだった。


「せやけどなぁ、今日行ったら明日は休みやろ?あと一日だけ頑張ってみぃひん?」
「やだ」


今日の送り迎え担当であるみかは、名前をなんとかして説得しようとする。けれど、幼稚園嫌いな名前が簡単に折れるわけもなく、口を尖らせて首を横に振るだけだった。


「困った子ねェ。お姉ちゃんが一緒に行ってあげるけど、それでも嫌なの?」


一緒にいた嵐が声をかけるが、名前は仏頂面を崩さない。
むしろ眉間の皺が深くなるばかり。


「嵐にぃがいっしょでもやだ」
「もう、こうなったらテコでも動かないのよねェ。あと、お姉ちゃんって呼びなさいっていつもいってるでしょ?」


名前にとってはお兄ちゃんはみんなお兄ちゃんだった。だから本人の希望だとしてもお姉ちゃんとは呼べない。


「ちょっとだけ幼稚園で遊んできたら俺が迎えに行ったるで。なぁ?すぐやで。行こうや」


ここで引き下がるわけにもいかないので、みかがなおも説得を続けるが、名前には逆効果。


「みんな『すぐ』っていうけど、ぜんぜんすぐじゃないもん!おにいちゃんのうそつき!」


終いにはわんわん泣きだした。
火に油を注ぐとはまさにこのことだ。
これにはみかも狼狽えてしまう。


「な、泣かんくてもええやろ!?わかった!ほら、飴ちゃんあげるで!」


慌てて常備している飴を取り出すものの、名前はぴたっと涙を止めて無表情でみかを見つめた。


「あめちゃんにつられるようなおんなじゃない」


小さくても立派な演技派女優だった。

みかは小さい妹の機嫌の取り方がわからず、いつも困ってしまう。できることなら彼女には笑顔で幼稚園に行って欲しいし、泣かすようなことはしたくない。


「わかったわ。名前ちゃん、こっちにきて」


見兼ねた嵐がいいことを思いついた。
動きたくない、とごねる名前を手招きで呼ぶ。


「ようちえんはいかないよ」


名前は不安げに眉を下げて控えめに抵抗した。本人も疲れてきたようだ。どちらかが折れるまで双方とも譲る気はない。


「はいはい。ここに座って。そう。じっとして。動いちゃダメよ?」
「なにするの?」


家に一つだけある鏡台の前に座らされて、名前は不思議そうに嵐を見上げた。


「髪を結ってあげる。どんな髪型がいい?」


そう言って名前の髪を撫でる。


「うさちゃん」
「わかったわ。お姉ちゃんに任せて♪」


鏡の中の名前にウィンクすると、嵐の手が動きだした。






「なるちゃんすごいなぁ。めっちゃええやん!」


名前のリクエストどおりに髪を二つに結ってあげると、名前よりもみかのほうが嬉しそうに声を上げた。


「なにか飾りもつける?」
「これとかどうや?」


みかが選んだのは緑色の小さなリボンの髪飾りだった。名前はそれを見てすぐに口を開く。


「みかにぃのすきないろだ」
「よう覚えとるなぁ」
「だって、名前もすきだもん」


兄が三十七人もいると、自分のことなんて忘れられてしまいそうなものなのに、名前がちゃんと自分の好きなものを覚えていてくれたことが嬉しい。


「ほらどう?かわいいでしょ」
「うん」


リボンもつけてもらって、準備はバッチリ。
鏡の中の名前はいつもと違ってちょっとおねえさんにみえる。


「お友達にも見せたくない?」
「みせたい」


あと一押し。


「だったらアタシとみかちゃんと一緒に幼稚園に行きましょ?」
「いく!」


大きく頷いた名前を見て、みかと嵐はホッと胸をなでおろした。

次の日の朝になれば、また幼稚園嫌いが発動してしまうのだけど。