リオが寝てからリビングに戻ると、レオくんはソファで楽譜とにらめっこしていた。今日は遅くまで作曲するのだろうか。
でもリビングで仕事するのは珍しい。夜に作業する日は、だいたい自分の部屋に閉じこもって朝まででてこないのに。
「レオくん、寝ないの?」
集中してるときに声をかけるのは申し訳ないけど、放って置くわけにはいかない。わたしは先に寝るよ。起きててもチョコは渡せないし。
「ん〜?まだ寝れない!やることが残っててさ」
レオくんはすぐに楽譜から視線を上げた。集中してたわりには反応が早かった。
「そう。じゃあわたし先に寝るね。おやすみ」
「え!?」
部屋を出ようとした途端に、レオくんがソファから立ち上がる。
わたしは吃驚して思わず身を引いた。なに、なにか変なことを言った?
「なんで!?おれのこと忘れてない!?それとも今年はくれないのか?」
涙目でそんなことを訴えてくる。相当我慢した末に出た言葉だとわかった。
この流れでなんのことかわからないなんて、とぼけるつもりはさすがのわたしにもない。
「去年はくれたよな?もしかして、他のやつに渡したとか!?」
でもリッツはまだもらってないって言ってたし、となにやらぶつぶつ言っている。
確かに去年は凛月くんにも渡したけど。
「渡すわけないじゃん。あるよ、ちゃんと」
こっそり自分で食べて終わりにしようと思ってた、なんて言えない。
「リオと作ったから、リオが渡したのと同じだけど」
「なんだそれ。全然違うだろ。名前がおれのために用意してくれたことに意味があるのに。ずっと待ってたんだ。ちゃんと渡して」
いつもは子どもっぽいくせに、こういうときのレオくんは目つきが鋭い。男の人なんだなって実感する。
「レオくん、いつもありがとう。はい」
可愛さのかけらもない声とともに、チョコを渡す。
「それだけか?」
「なに」
でも、レオくんはなかなか受け取ってくれなかった。機嫌を悪くしてしまったのか、いつもの笑顔もない。
「す」
「す?」
わたしが黙り込むと、レオくんが言葉を促してくる。真っ直ぐ射貫くような瞳と見つめ合った。す、って何。
「あとは自分で考えろよ。おれは言わないから」
本当はわかっている。
レオくんがどの言葉を望んでいるか。
ああ、もう毎回毎回どうしてこんなにたった一言が重いのだろう。
言葉にしなくても気持ちが伝わればいいのに。そんなの自分から逃げてるだけだってわかってるんだけど。
「好きだよ」
「もう一回」
今日のレオくんは簡単には引き下がってくれなかった。貴重な一回を大切にしてほしい。
「す」
き。
と言う前に、レオくんに手を引かれる。
まずい、と思う暇もなく、気が付いたらすぐ目の前にレオくんがいて。
「ちょっと、近い!!なんでこっちにくるの――んっ」
いつもなら押し返す力ぐらいあるのに、今日はチョコのせいで手が塞がっていた。なんて言い訳は必要ない。だって抵抗ぐらいできたはずだし、それをしなかったのはどこかで期待していたから。
「……今日はおれの勝ちだな」
「っ馬鹿!」
唇が離れてから反射的に殴りかかろうとすると、逆に手をとられてソファに押し倒される。待った、これはいけない。下になったらさすがに押し返す力では負けてしまう。
「今夜は静かにおれのいうことを聞いて?」
「いや、待って」
服に手をかけられて息を止める。涙がでそうになってレオくんを見上げたとき、同時に小さな声が部屋に響いた。
「パパ、ママ」
「!?」
二人して固まる。
声がした方に視線を向けると、リオが立っていた。
「どうした、リオ?」
「おしっこ」
寝ぼけているのか、目をこすっている。
レオくんがそっとわたしの上から起き上がった。
「パパと一緒に行くか。えらいな〜、よく起きられたな」
リオの頭を撫でてあげているレオくんはすっかりパパモードに戻っていた。切り替えが早すぎる。
ソファに横になったままリオとレオくんの後ろ姿を見送って、わたしは息を吐いた。
わたしの手の中にあった箱はいつの間にか消えている。ほんとにレオくんには敵わない。
←