「なあ、ケイト。名前は?」
山のように積まれた書類の前に、仏頂面の敬人が座っている。彼が現在忙しいということは、レオにだってすぐわかった。
でも、聞かずにはいられなかった。
敬人に聞く以外、名前と連絡をとる方法を思いつかない。名前がいる部屋には許可がない限り近づくことさえできなかった。
「様をつけろ。貴様ごときが近づけるようなお方ではない」
敬人はレオには目もくれず、目が痛くなるような文字の羅列とにらめっこしている。
これでは話にならないとレオは思った。
「もう一ヶ月だ。おれのこと忘れたのかな。また呼ぶっていってたのにな。なにかあったのか?名前は元気なんだろ?」
名前からの呼び出しを待つレオは、母親の帰りを待つ子供のようだった。
彼女がどこでなにをしているのか、気になって夜も眠れない。この屋敷でレオを必要としてくれるのは名前だけだ。
自分の周りを行ったり来たりしているレオに、敬人は深いため息をついて目を伏せた。変わったやつを拾ってしまった、と思う。
「名前は他のことで忙しい。貴様に構っている時間などないのだ。わかったら持ち場に戻れ」
こんな風に突き放されては、これ以上敬人に期待するのも無駄だろう。
名前の話し相手になることが、レオにとっての重要な役目だった。
この屋敷の鐘が夜の十二時に鳴るということを、レオは一人になって初めて知った。
名前の部屋には時計がないので、外で過ごしてようやく気付いたのだった。
しかし、あの鐘の音が、本当はなんのために鳴って、どこから響いているのか、レオにはわからなかった。
そのほかにも、不思議なことはたくさんあったのだけれど。
「あんたって、あの人に呼び出されても話をするだけなんだって?なんのためにここにいるの?」
灰色の髪の彼は、なにかとレオに親切にしてくれた。
一つ一つの言葉に棘が刺さっていることを除けば、根はやさしい人なのかもしれない。
「おまえたちは一体なにをしてるんだ。待って、答えは言うなよ!」
「言うわけないでしょ、大切なことなんだからさぁ。まあでも、そんなんじゃもう二度と呼び出されないかもね」
彼は瀬名泉と名乗った。
泉は、どこか遠くを見るように目を細めて、レオに忠告した。
呼び出されなくなったのは、レオだけではないとわかった。泉の瞳はそういう色をしていた。
「どういう意味だ?なにをしたら名前が呼んでくれる?」
今夜も、敷地内のどこかで重い鐘の音が鳴っている。
「心を求められただけじゃ、ここでは生き残っていけない。形を残すことがすべてだからね。愛されたって意味がないんだよ」
生き残らなくたっていいと思った。
もう一度、名前に会えるならば。
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