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【 知られざる思いは何処へ 】




神霊化、とは。
人間でありながら時代を次のステージへと導いた偉人であったり、同じ人間から崇められたり尊敬されたりした者が、神に近い存在へと変化することであるらしい。つまり、古い話で言えば、卑弥呼だって神霊として日本神話の世界に住んでいた。
早苗は自分の首から下がっている八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を握り、はあぁっと盛大なため息をついた。何故自分が神になってしまったのかはさっぱり分からない。もちろん、箱庭での記憶が戻りトトの元へと行ける権利を得たのはとても嬉しいが、神と近いどころか日本神話でも力のある神アマテラスと同等の仕事量をこなしているのだ。元々人間である早苗の体力は神よりも弱い。つらいことこの上ないのである。


「あれ、うさまろだ」


自室の板の間に畳を1畳敷いて横になっていた早苗の目の前に、ぴょこんと可愛らしい仕草で兎が飛び出してきた。その後ろから見慣れた兎がもう一匹全力で跳ねてきたかと思うと、早苗のお腹の上に飛び乗った。


「う、ウーサー…苦しい……」

「ウーサー、いけません。矢坂早苗が困っていますよ」


兎たちが開けた襖の隙間から、紫色の髪の毛が見えた。早苗は慌てて起き上がって髪の毛を整えると、「どうぞ」と入室を促した。他の男神たちは女性に対してここまで気をつかってはくれないこともあるのだが、ツクヨミ−−月人は箱庭での経験からか、とてもよく気が回る。
黒い着物に身を包んだ月人は、早苗と目があうと優しく微笑んだ。


「お久しぶりです、お元気でしたか?」

「月人さんもお元気そうで、お久しぶりです。」


早苗はウーサーの背骨が反らないように気をつけながら膝に載せると、久々にその背中をゆっくりと撫でてやった。箱庭から帰る時、一番に扉をくぐった月人たちに着いて行って以来、早苗が死ぬ前はもちろん死んで神格化してからも会っていなかった。
箱庭に居る間は毎日同じ部屋で過ごしていたのでとても懐かしいように感じる。うさまろも膝に頭を乗せてくるので撫でてやれば、気持ちよさそうに目を閉じた。


「君がトト・カドゥケウスの元へ行くと聞いて、それまでに一度は会わせなくてはと思っていました」

「ありがとうございます。私もあちらへ行く前にこの子たちにも月人さんにもお会いできて、嬉しいです」


早苗が顔をあげて微笑みかけると、月人はちょっと困ったように微笑んだ。始めて出会った時とは比べ物にならないくらい表情豊かになった彼は、まだ思ったことを言葉に変えていくのは得意ではないのか、早苗は彼が次の言葉を紡ぐのを辛抱強く待った。


「君は、ずるいです。」

「え?…陽さんのところに居ることが……ですか?」

「違います。…俺は多分、矢坂早苗という存在を…母のように、妹のように、そして一人の女性としても恋しく思っています」


月人の告白に目をまるくすると、月人は「俺もこちらへ帰ってきてから気づきました」と微笑んだ。確かに保健医という立場上、神々に頼られていた自覚はあるが、まさか女性として見られていたなんて想定外だ。
月人も比較的、保健室へと足を運んでいたため仲は良かったと思うが、一緒に居ても、先日トトに日本神話の世界を案内した時に感じたような嬉しい緊張感はない。早苗の驚愕した顔を見て、月人は板の間に座るとうさまろを呼び寄せ抱き上げた。


「君がトト・カドゥケウスに思いを寄せていたことには気づいていました。今更どうということもありませんが、ただ知っておいてほしいと思ってしまった」

「えと、ありがとう…ございます」

「とてもお世話になった君には、どうか幸せになってほしいと思っています。俺に出来ることならなんでも言ってください。」


その後二人でお茶を飲み、少しだけ箱庭のことを思い出したりしながらお喋りを楽しむと、月人は兎を二匹抱き上げて帰っていった。




翌日。
箱庭では、アポロンと結衣が恋人同士だった以外には、誰も色恋沙汰にはなっていないと思っていた。まさかよりよって自分に思いを寄せてくれているとは。予想外の出来事を嬉しく思うと同時、申し訳なく思いながら、早苗は風呂敷に自分用のメモ帳である台帳と、それから大切な書類をいくつかくるんだ。
今日は朝から陽のお供でエジプト神話の世界で行われる5カ国代表会議なるものに参加する。ラインナップがまた微妙な取り合わせで、ケルト神話のアリアンロッドと補佐役のオグマ。日本神話から陽ことアマテラスと補佐官の早苗。ローマ神話からディアーナ。ギリシャ神話からゼウスとアポロン、草薙結衣。そしてエジプト神話のラーとトト。
なんでも第二回目の「箱庭」開催に関する会議だそうで、結衣と早苗は前回の人間代表として呼び出されているのだ。開催場所は間を取って…ではなくて太陽神ラーの我が儘によりエジプトだ。
早苗はトトの国に行けることを嬉しく思いつつ、陽と連れ立ってエジプト神話の世界へと足を伸ばした。


「ぅぉああああああ〜、暑い……暑いです」

「こら、少しおとなしく出来ないのか?」

「神と違って元人間は暑さにも寒さにも弱いんです!干からびる…」


早苗は巫女装束の中に外気が入ってこないよう、口だけは文句を言っているものの丁寧な歩き方をしていた。うっかり襟元を扇ごうものなら灼熱と呼べる空気が衣服の中に入ってきて余計に暑そうだ。
陽は太陽神であるが故か特に辛そうな様子ではなく、飄々と目的地へと足を進めている。そもそも別の神話に足を踏み入れた時点で、目的の建物の最寄りに行くことは出来なかったのだろうか。確かに日本とエジプトは近くないが、それでも神の力でそこを何とか…
早苗がそろそろオアシス(幻)が見える気がすると思い始めたころ、目的の建物に辿り着いた。


「…大きい、ですね」

「我が家と然程変わるまい?」

「木造よりも石造りの方が、なんとなく技術が必要な気がして」

「うぐいす張りだって十分に技術は必要だ。ほれ、参るぞ」


小さいスフィンクスが両側に置かれている階段を登った先は、某ミステリーハンターが巡る遺跡のような作りのお城で、本当に石で出来ているのか疑わしい程精巧な置物が多い。
階段の上にもあるスフィンクスの向こう側からすっかり見慣れた白い翼が見えた。途端に自分の足が軽くなったような気がするから、人間とは単純な生き物である。


「おや、トト。可愛い恋人の出迎えか?」

「黙れアマテラス。こいつを待って何が悪い」

「おぉ怖い、ほら早苗早く前へ。私の盾になっておくれ」


ふざける陽の前に立たされ、素直に階段を登っていくと、最後の数段というところで目の前に手が差し出された。照れくさいが、これを断れば彼の知る言葉と過去に得た知識を総動員して意地悪されることは分かっているので、おとなしくその手を借りる。


「お久しぶりです、トト様」


そこまで言うとつないでいた手を思い切り引かれ、彼の胸元に突撃してしまった。つないでいた手はほどかれ、両腕が背中に回っている。アヌビスもそうだったが、エジプト神話の神は露出が多い。こちらが照れてしまうし、何より太陽光が痛くないのか気になってしまう。


「ああ。早く中へ入るとしよう。この国の日差しはお前には辛いだろう」

「お気遣いありがとうございます」

「気くらい使わせろと言っている。こちらへ来たら目一杯甘やかすからそのつもりでいろ」


背後から陽の呆れたため息が聞こえた。きっとあと月の満ち欠けが一回りもしないうちにエジプト神話の世界へ常駐することになるのに何故今日盛り上げるのか、などと思っているのだろう。
けれど早苗にとって、箱庭での記憶を失って人間として過ごしていた時間は大きなブランクだ。後輩の男性社員に絡まれたり、大学へ行った同級生男子に告白されたりと、男性関連は嬉しくないことばかりだった。


「はい、心しておきます」


構われたい相手、愛されたい相手はトトだけで、本当に他の男性とお付き合い…なんてことにならなくてよかったと自分を褒めたい気分だ。
早苗はそっと握られた手に感じる温もりを嬉しく思いながら、代表会議の行われる建物へと足を踏み入れた。












終。






2014/07/15 今昔
午前中に01話を書いて午後には続きが出来上がる、というトト様愛。FDが出るまではあまり書かないで置きたいのですが、「自殺願望」と「熱砂の大地」についてはちまちま書いていこうと思います。




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