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人間は何故生きているのか。それは生まれてきた人間の誰しもが一度は思う疑問であり、そして明確な答えがないとても難しい質問である。人によっては死ぬためだとか、生きる意味を見つけるためだとか、そういった答えをする場合もあるだろう。ただ、早苗はそれこそ「神のみぞ知る」のではないかと思っている。
どんな神話も神々が人間を作り出している。そして作ったものにはどんなかたちであれ愛着を持っているだろう。つまり神々がどんな意図で人間を創りだしたのか?その答えこそが人間の生きる意味だと。

ところがその考えも、この箱庭に召喚されてからは更に深い疑問に姿を変えてしまった。神々は人間に愛着を持つどころか、人間とはなにかを学ばねばならないほどに、人間に無関心であったり嫌っていたりするらしい。


「どうして、生まれてきてしまったんだろうか…」


矢坂早苗は短すぎるだろうという制服のスカートを無視して左足を椅子に乗せ、音楽室のピアノ椅子の上で俯いていた。左手で膝を抱え、右手はピアノの鍵盤に乗っていて勝手にクープランの墓第一楽章を奏でている。ラソレミソシ、ラソレミソシ、ラシラソラ。ラシラソラ。指は細かく上下する。
小さな頃からピアノにお琴、三味線、日本舞踊と習い事を色々とやってきた。勿論自分もそれが楽しくてやっていたのだが、そう過ごしてきたが故に人付き合いが苦手だった。平日も習い事があるので友達と遊ぶことも出来ず、それを理由に小学校の頃から周囲と疎遠になった。その延長である中学校でも同じで、進学した高校でも一部同じ中学校から来ていた人のせいで、同じように周りに馴染めなかった。

きっと誰のせいでもないのだ、この悪い連鎖は。強いていうのなら、早苗のせいだ。机に落書きされたり、あからさまに悪口を言ってきたり、教科書を破かれたり、上靴に虫を入れられたりしたのも、全部自分のせいだ。
それについて他人を責めることはしたくないが、それでも自分をこの世に産み落とした神様という存在に疑問を抱いていた。なぜ生まれてきてしまったんだろう。


「いっそ死にたい…」

「この学園でそのようなことを口走るなど…随分とお偉い身分だな、貴様」

「トト様…」


早苗は音楽室に入ってきたトトに右手の演奏を止めると、椅子の上から足を下ろして座り直し、それから丁寧にお辞儀した。


「世界と人間の創造に関わった神が多く居るこの場でその発言、やはり脳みそが足りないようだ。死にたがりで学習能力がないとは、救いようがないな」

「そうですね、ではその救いようのない一人の人間を消していただけませんか。創造神であるトト様なら容易いことでしょう?」


トトは不機嫌さを隠すこともなく眉を寄せると、コツコツとヒールを鳴らして早苗に近づいてくる。
さぁそうだ、そのまま消してくれ!こんな苦しくて生きる意味なんて到底見つからないし、死ぬために生きるとか無意味なこともしたくない。だから早く!早く貴方の手で消してくれ!
そんなことを心の中で叫び、早苗は目を閉じた。

ところがいつまでたっても苦痛もなにもやってこず、ただ頭の上に手が乗せられただけだった。これで寿命でも奪っているのだろうかと思ったが、体に違和感は無い。


「本当に、死にたいのか?」

「消してくださらないんですか?私なんていう卑しい人間は、生きている意味は特に無いと思います。早く消して…殺してください。」

「……私以外がこの場に来ていても…例えばあの根暗、ハデスがここへ来ていても同じことを願うのか?」

聞かれて早苗は想像した。ここにハデスが来たとしよう。早苗はきっと慌てて足を下ろすと左手も鍵盤にのせて演奏を続けただろう。そして目線と雰囲気で「出て行ってくれ、関わらないでくれ」とアピールしていたはずだ。
アポロンやバルドルが来たら殺してくれないのは分かっているので追い出すし、尊や月人、ロキも同じだろう。きっと無言で追い出す。何より他の神に殺される、消されるところを想像すると、苛立ちが募るのだ。


「いえ、トト様だからお願いしています。他の神々に消されるとか、虫酸が走ります」

「ほう。ならば今ここで、私が貴様の魂を好きにして良いということだな」


問いかけではなく言い切ると、トトは頭に乗せていた手を頬に持って行き、そして顎を捉えると上を向かせた。そして特に抵抗する気も無い内に、唇が重ねられる。
え?と疑問が浮かんだ時にはもう一度、もう一度と唇が合わせられ、強く閉じていた訳でもない唇は簡単に侵入を許し、深く口付けられる。逃げようと思っても後頭部に手が添えられていて、逃げも息継ぎも許されない。


「早苗、貴様は今この瞬間から私のものだ。」


あぁ、そうか。
私は別に殺されたいわけじゃなかったのかもしれない。

早苗はもっとと強請るように目を閉じた。
きっとこれは、自分には無いものを全て持っている者への妬みであり、そしてそんな存在を求める愛情だったのだ。早苗にないものを兼ね備えるトトに、羨望し、絶望し、そして愛してしまっていたのだ。









【 自殺願望 】









「私を殺して下さい」


出会う度にそう言う生徒がいた。神々に人間について教えるために来ていたはずの生徒の片方で、正確に難ありの人物・矢坂早苗だ。
自ら人間を愚かな存在だと言い、あまつさえ消してくれと心から願う存在は目新しく、そして世界の害になるとまで言う早苗を気にかけていた。それと同時に、決して殺さないとも思っていた。

偶然音楽室からピアノが聞こえることに気づきやってきてみれば、いつものように真っ黒い瞳は絶望を映し、死者を思って書かれた曲を奏でている。決して上手なわけではない演奏だが、それでも彼女の心境をよく表していた。
近寄ってみればまた殺せと言う彼女に、この願いを叶えるのは他の神でも良いのだろうかという疑問が浮かんだ。問うてみれば返ってきたのは予想外の回答で、


「いえ、トト様だからお願いしています。他の神々に消されるとか、虫酸が走ります」


その瞬間にトトは悟ったのだ。たかだか人間風情が、絶対的な存在である叡智の神に大きな影響を及ぼしていたことを。
死を望む早苗を側に置きたい。なんとしても手に入れて、未来永劫、例えこの世界に終焉を迎えることになったとしても、彼女だけは側に。そんな感情が自分にもあったのだ。


「早苗、貴様は今この瞬間から私のものだ。」


強請るようにこちらを見上げてくる早苗に意地の悪い笑顔を向けながら、トトはその唇をもう一度奪った。今後一切この唇に、早苗の体には誰も触れさせない。そんなことをする輩が居るのなら消す。そんな物騒だと自覚がある愛情を持て余し、トトは決して崩れてくれない理性を煩わしく思いながら早苗を抱きしめた。








END




















2014/06/19 今昔
アンケートのコメにトト様夢が増えますようにとあったので。比較的ファンの少ないトト様、夢ともなると更に数が少なくて…自給自足にも限界があるので皆さん是非書こう(提案
そしてこの設定、ちょっと連載に使えそうだなと思い立ったので、保健室の連載が終わったらトト様一筋な連載もちょっと検討します。果たして需要があるのかどうか…




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