お名前変換


ロードオブグローリーが始まったその日の夕刻。
魔物と戦うにはやはり昼間の方が人間に分がある。夜目の効くものも居る魔物と違って、人間はそうそう夜目が効かないからだ。そこでサナはリーンハルトやサシャと共に、グランロット周辺の森に作られた宿営地から釣りへ向かった。各パーティごと程度に集まって、夕食を作ることになったのだ。
アステルは同郷の二人や獣耳の兄弟などと一緒に、サナはジャミとリーンハルト、そしてその繋がりで王宮勤めの者たちと一緒だ。


「リーンハルトさん、ここでは何が釣れるのですか?」

「どこの国でもメジャーな川魚がメインだね。あまり変わったものは居ないはずだよ」

「気候も安定していて川の場所が変わることもなく、釣りをするにはうってつけです」


見れば周囲にも他のスレイヤーたちが釣りをしている姿がちらほら見える。アステルとは違い特定の誰かと共に王宮に現れたわけでもなく、初日に城門へ現れたキマイラを退けたこともあってか、手をあげて挨拶してくれる者も居た。
それを見ていたサシャに「人気者ですね」と言われたが、それは違うような気もした。

ここに居るのは誰もが己を猛者と言うにためらわない人間ばかりだろう。戦いの中に身を置く男性が多い分、若い女人が一人まじれば自然と視線が向くというものだ。


三人が少し離れて釣り糸を垂らし始めた時、サナは背後にふと嫌な気配を感じ


ぺろっ


何かをされたと気づくと同時に振り返った。


「無礼者おおおおおお!!!」


ごすっ!
素敵な音が鳴った。


そもそもだ、唐突に女人の背後に立ってみたり、女人の肌を舐めようとしたり、女人の首元に息を吹きかけてみたり、何かとサナにだけちょっかいを出してくるのが悪いのだ。






04:危険な毒蛇






「アンタ、俺がスレイヤーで良かったな」

「何を言いますか。スレイヤーでなければ関わることもなかったでしょうに」

「もしもアンタが俺の標的だったら…今頃何回命を落としているかな?」


ククッと喉の奥で笑うジャミの左頬には、先ほどサナが振り返りざまにプレゼントした肘鉄による赤みが残っている。
共にグランロットでのレースに参加しはじめて分かったことだが、ジャミはとても優秀だ。魔物相手に大きな怪我を負うことは無い。それは勿論、サナのパーティに参加すると言ってくれたリーンハルトたちも同様であったが、ジャミのそれは二百人は居るだろうかというスレイヤーの中でも群を抜いている。
そんな彼がサナの肘鉄を避け損なうなど思いもしなかったし、彼の「うぐっ」というくぐもった声を聞くことがあるなど誰が予想しただろうか。結局サナは申し訳がなくなり、宿営地で割り当てられたサナの部屋で手当をすることを申し出た。


「で、今日は一体どんな御用だったのかな?ひょっとして俺にご褒美をくれる気になったのかい?」

「だれがご褒美なんぞ!!」

「何もアンタの内腿を舐めたいだとか、新しい媚薬の実験台になって欲しいなんて言ってるじゃないぜ」

「っ!?……ゾワゾワします」


内腿を!!舐める!!なんて無礼な!!!
怒りのあまり言葉少なになったサナに、ジャミはまた喉の奥で笑った。


「そもそも、ジャミ、あなた舌に毒があるのでしょう?内腿だなんて皮膚の薄いところを舐められたら、毒がよく回ってしまいそうじゃありませんか」

「存分にシビれさせたいんだよ。俺が一番好きなのは、きめ細やかで綺麗な肌だ。特にアンタみたいな気の強い女の肌…しかもあの魅了に長けた蝶の一族だ」

「この毒蛇め……私をからかわないでください」


薬草から作った塗り薬をたっぷり塗布し、べちんと音がするくらいの勢いで頬に貼り付ける。今度はしっかり予想していたからか悲鳴はあがらず、むしろククッと笑われてしまった。


「からかう?俺はいつでも本気だぜ。」

「寝言は寝て言えと、先人たちの言葉にもありまして」

「おおっ、怖い怖い」


怖いなどとはちっとも思っていないくせに。
サナは薬箱を片付けると魔導のちからで作られたウォーマーからポットを取り出した。室内で火を使えないが女人に冷えは大敵だ、と大臣が寄越した品物だ。上に載せたものを適度な温度に温め続けることができるウォーマーを、サナは重宝している。
ポットからカップへとお茶を注げば、ほっと肩の力が抜けるような優しい湯気がでる。二人分のカップを用意してジャミに渡すと、思いの外素直に受け取ってくれた。


「……毒は匂いで分かる、とでも言うのですか」

「そうだな、大抵のものは。流石に、アンタたち蝶だけが使うような毒があったら知らないが…まあ他の蝶とは違ってお優しい奏者サマは毒だなんて盛らない、だろう?」

「他の蝶とは違う…?」


首をかしげたサナに、ジャミはすっと表情を消した。普通の人であればしまった!という顔になったのだろうか。明らかに、サナに聞かせてはならない、またはサナが知らなかったことに驚いたというリアクションだ。
ジャミは言葉を探るようにして紡ぎ出してきた。


「アンタ、自分の出生について聞いたことはないのか。例えば、そう、祖母に」

「お祖母様に?お祖父様から横笛を頂いた以外、その世代の方から何か話を聞いたことはありません」

「……蝶がそうしたのなら、蛇から言えることは無い。」


愉しげに笑いだしたジャミに、サナは更に首をかしげた。フクロウになれそうだ。


「私の出生なんて、特に変わったことは無いと思うのですが」

「ヒントをやるよ。アンタの来ているその蝶の紋章を織り込んだ上着。その形の上着はアンタの家系だけの…しかも女系だけの正装じゃないか?」


幼い頃から参加していたお祭りや何やらを思い出し、サナはぞくっと背筋を震わせた。何故、街のことを知らないジャミにそんなことを言い当てられるのか。何度思い返してみても、確かにサナの街でこの格好をしているのはサナの家系の人間だけだ。他の女性たちはワンピースのような格好を正装としていたように思う。

他にも芋づる式に記憶が引き出され、言われてみれば他の同世代の子供たちの中でもサナは特に舞を覚えさせられたし、催事ではことごとく踊っていた。歌も楽器もそうだ。サナの一家だけが優先して披露していた。


「……何故それを、ジャミが知っているのですか」

「さぁてね。報酬が貰えるのなら答えるのも良いかもしれないな」

「お茶を出したじゃありませんか」

「見合わないんだよ、それじゃあ。俺はひとつ、互いの一族における禁忌を犯すことになる。本当に知りたいと願うなら、アンタを寄越せ」

「爪でもはぎますか?」

「ククッ、それでも足りない。アンタを…サナという人間をまるごと貰っても足りないくらいだ」


訳がわからない。
人間一人の命を手に入れてもまだ報酬に足りないという情報、しかもサナ自身に深く関係しているはずなのにサナは知らない。ロードオブグローリーが開催されている今は、実家へ連絡を入れて聞くというのも他人の目があり危険で、かつ自ら足を運ぶことも難しい。


「なあ奏者サン、刺激がほしい時はいつでも言いな。俺の舌で、アンタを望むままにシビれさせてやるぜ…」


困るサナに楽しそうに笑うジャミに、サナは胸の奥がゾワゾワとするのを感じた。まさに蛇に睨まれた蛙、蜘蛛に囚われた蝶の気持ちだ。


「アンタは本当に旨そうだぜ」


不快感だけではなく、奇妙な高揚をも覚えさせる心の波に、サナは困惑した夜を過ごすことになった。







2018/02/04 今昔




_