お名前変換


そんな早苗に、偶然の女神は微笑んでくれた。
ある日、先輩看守が罪人を連れてまたもや最奥の独房へとやってきた。ところがそいつは、独房へ入りたくないと暴れだしたのだ。もちろん、先輩とて看守なのだからひと通りの戦い方は身につけているが、罪人の必死に抵抗に取り逃がしたのだ。
独房が続く廊下の入り口に居た早苗に向かって走ってくる罪人に、早苗は舌なめずりをした。


「どけええええええええ!!!」

「お黙りなさい」


右手で印を結び、人差し指と中指をつきだした状態の手を、スッと地面に向けて振り下ろす。簡単な陰陽術の1つであった。
罪人は早苗の前でピタリと止まると、まるで塗り壁か何かに押し倒されたように廊下に押し付けられてしまったのだ。先輩看守は関心したようにため息をついた。早苗は罪人に洗脳術を行使すると、先輩に向かって無礼と知りながらも、会いたい欲求にまかせて提案すべく口を開いた。


「先輩、この者の連行に同行しても構いませんでしょうか。」

「そうだな、白崎の術が近くで効いていれば安心だ。」


先輩は早苗を崇拝するように平伏した罪人を無理やり立たせると、後ろから早苗が付いてくる気配を確認するような早さで最奥の独房へと足を進め始める。早苗は内心で狂喜乱舞しながら、けれどそれを悟られないように細心の注意を払って後を追う。
これでようやく、あの最奥の独房に住まう畏怖と敬愛を捧げるべき人物に会えるのだ。あわよくば声を聞き、顔を拝見できるかもしれない。そんな高鳴りは、先輩看守が扉を開く時には絶頂に達しそうであった。

ギギと鈍い音をたてながら扉が開く。


「おや、新しい家族がやってきたのか」


早苗は、身震いした。
狐のお面、罪人服は上裸で両足には重たい鎖の足かせが嵌められている。なによりも注目スべきは、綺麗な白髪とお面からちらりと見えた紫色の瞳だ。白髪紫瞳、この特徴を持つ一族は世間でも有名であり、かつ恐れられるあの一族しか知らない。


(風魔の一族だ…)


内心で高揚する感情を押さえつけつつ、早苗は罪人が風魔の者とやりとりする様子をじっと見ていた。不躾だと怒られるかとも思ったが、風魔の者は何も言わなかった。ひと通りのやりとりが終わるまで風魔の者が放つ気をたっぷりと堪能していると、罪人は先輩看守に立たされて退室の時が来てしまったようだ。
名残惜しく思いつつ早苗も先輩看守に続こうとすると、背後で風魔の者が放っていた気が少しだけ変化した。


「おい、看守の女」

「はい、お呼びでしょうか」


罪人に慇懃でない敬語を使うことになるとは、早苗にも想定外であった。風魔の者はその態度が気に入ったのか、背後で驚いたようにえ?という声をあげた先輩看守を退室させると、早苗を小さく手招きした。
その動作にすら早苗は身震いしそうになり、慌てて帽子をとるとさっと許されるであろう距離まで近づくと、片膝をついて頭を垂れた。


「お前は、何者だ」

「私は曇神社の分家にあたります、白崎家の子、早苗と申します」

「なるほど、白崎の家の者か。俺にあてられるのも頷ける。随分と前からこちらの様子を気にしていたようだったな」


顎に手がかけられ、ぐいっと上を向かされた。首が痛んだが、その痛みさえも彼によって行われたものであれば身体の奥がズンとうずいた。
彼は早苗の顔に手を添えたままで己の頭の後ろに手を回すと、お面を外した。外れたお面の下から覗いた顔は、その半分ほどが火傷でもしたかのような痛々しい傷跡に覆われていた。


「…」

「お前は、俺になにを感じる。大蛇様を崇める家の子、早苗」

「私は…ただ、貴方様にお仕えしたいと、そう思っております。貴方様の持つ気が、私の名を、身体を、命を、呼んだのです。」

「俺は風魔小太郎、風魔一族の十代目当主。大蛇様の眷属が引かれ合うのは当然のことだ。歓迎しよう、我が同胞よ」


嗚呼。
早苗は全身が歓喜しているのを感じた。

彼のため、彼が目指すもののためであれば命など惜しくない。彼のために死ねるのであれば、それはどれほど名誉なことだろう。そう思ったのだ。
それがいかに異常なことであるかを自覚したうえで、彼のために死ねると思う。自分でもおかしいと分かっているのに、どうしても高鳴る心臓は止められず、同胞と言われたことに身震いしそうだった。

紫色の瞳に見据えられ、早苗は時間を忘れるほどにその紫と視線を合わせた。






2014/12/18 モバイルサイトへ転載


_




_